圧倒的な風格を持つ強打者を相手に、勝負した。全力の白球は弾き返されたが、選択に悔いはない。社会問題となった5連続敬遠が起きる直前の夏。ゴジラに挑んだ3人の投手が、怪物の痕跡を語る。
 1992年8月16日の星稜vs明徳義塾戦から30年、これまで有料公開されていたNumber933号(2017年8月9日発売)『〈敬遠の夏に〉松井秀喜から逃げなかった男たち。』を特別に無料公開します(※肩書き、優勝回数などすべて掲載時のまま。一部、修正しています)。

 彫像のように立っていた。ヘルメットのつばの奥、鋭い視線は微動だにしない。

 1992年7月28日、星稜高校3年生の松井秀喜に凝視されているのは、石川県立工業高校のエース、葛城武だ。

 奇しくも25年後の同じ日付に現れた取材者に質問を重ねられ、遠い過去は閃光のように瞬時よみがえる。

 はじめての対戦は2年秋だった。2−11の完敗は「むちゃくちゃに負けました」の感想として脳の奥に残っている。

 浴びた痛打のどれが松井によるものなのかは判然としない。ただ悔しくて、スライダーの習得に励んだ記憶は鮮明だ。

石川大会でマスコミの注目を集めた星稜・松井秀喜 ©︎Sankei Shimbun

57年ぶりの甲子園を予感させたエースの登場

 葛城は右の本格派投手だった。「そんな速くないですよ」との本人の謙遜を、高校時代の同級生だという傍らの妻が補う。

「巷の噂では140km前半じゃないかって。県工の中では逸材だと言われてましたね」

 戦前に1度だけ甲子園出場歴がある県工は、葛城の存在によって久々に強くなる。

 3年春の県大会では決勝に勝ち進み、星稜を破って勝ち上がった金沢市立工業高校を下して優勝した。あるか、57年ぶりの甲子園。膨らむ学校の期待を一身に背負った。

「勝てる気はせんでいった」前年秋から季節は移り、最後の夏、曇天の石川県立野球場で星稜と再び相まみえた。

「もう勝つ気満々で。勝つか負けるか、まあ半々やったんですけど」

 当時の星稜は好選手が多く松井だけのチームではなかったが、すでに全国区の主砲がノーマークであるはずもなかった。県工の指導者はバッテリーに策を授けた。

「キャッチャーが敬遠みたいに立って、次の2球目、ズバッといけ」

 成功すれば1ストライクを稼げる算段だ。

「キャッチャーはイヤイヤ立ってました。俺も最初から勝負したかった。打つ気をまぎらわす、みたいに言ってたけど、絶対まぎれんと思ってました」

 選手が不本意な時点で作戦は半端だった。

「成功しないです。たぶん敬遠とか信用してないでしょうね。なんも動じん表情で、こうやって立っとったんじゃないですか」

 葛城はそう言って、顎を引き目を細めた。

松井秀喜から逃げなかったエース葛城

 1ボールを撒き餌とする奇襲はむしろ仇となった。2回先頭の松井に四球を与え、後続の適時打で先制のホームを踏まれた。さらに守りの乱れから追加点を許す。結局、0−2のままゲームセットを迎えた。

 松井は4打席に立って、2四球、1安打。完投の葛城が勝負を避けた場面はない。

「センター前とセカンドゴロかなあ。2個フォアボール出したんが悔いですわ。最後、ひざ元のスライダーでストライク取ろうかと思ったらコントロールが定まらん。2個ともそうやと思うんです。未熟やったすね」

 野球はもうやめようと思っていた。強力打線を2点で抑えた好投に「すっきりしました」。葛城は笑顔でグラウンドを去った。

 翌29日の決勝で星稜と激突した金市工の岸秀幸と松井の接点は多い。小、中と1度ずつ対戦し、高校では4試合を戦った。

 金市工は73年夏を最後に甲子園から遠ざかっていたが、岸という柱を得て県下に台頭し、星稜を脅かした。

 岸は166cmと小柄な左腕で、真っすぐはせいぜい130km。内角直球を見せて外角に変化球の配球を、対左打者には貫いた。

 高校2度目の対戦、2年夏の準々決勝で、岸の心にある打者松井の輪郭は明瞭になる。

 2年生左腕は「なぜか絶好調」、9回2アウトの試合終了直前まで松井以外に許した2安打のみに抑えていた。3−0とリードし、走者もいない。大金星は目前。そこに松井の打順がめぐる。岸は明かす。

「打たれてもホームランでいいやと思って」

 金市工は貧打のチームで、「たとえば松井に1本2本打たれた瞬間に勝機はいっきに薄れてしまう」。外角勝負に徹したのも一発のリスクを最小限にとどめるためだ。

 だが3点の余裕が何かを狂わせた。なぜか打たれる前提で先を見ていた。

「4、5、6の誰か一人でアウトを取れればいい。どうせ打たれるんならホームランで、気持ちよくランナーなしでスタートしたほうがいいねって。そういう発想でした」

 松井は痛烈な打球をライト前に飛ばした。ほころびの始まりだった。安打と失策が重なり、瞬く間に同点。延長16回、サヨナラスクイズで星稜が生き残った。

「最後の夏は力勝負でした」

 3年春の準決勝では金市工が勝っている。終盤に3点を先制し2点を返されるも、最終回、松井にまわる前にゲームは閉じた。

 春の結果を反映した夏のシードで、星稜とは決勝まで当たらない。ベスト8、ベスト4、準優勝と季節ごとに階段を昇った金市工は「決勝で星稜を倒して甲子園」を明確な目標とし、その舞台までたどり着いた。

 2年生の捕手は、左打席に松井を迎えて内角にミットを構えた。岸はうなずく。

「最後の夏は力勝負でした。インコースの真っすぐ中心で、しかも低めじゃなくバットに近いところを狙った。見せ球にしていたこれまでとは、まったく逆のパターンで」

 3打数2安打1四球。伝令が飛んできたのは5回の第3打席、2アウト二塁の場面だった。2回に2点を先制されており、これ以上の失点は致命傷だ。「監督が敬遠しろって言ってます」。伝言は簡潔だった。

 だがマウンドに集った内野陣は耳を貸さず、「ここは勝負」と連呼した。岸は黙ってその声を聞いた。松井の奥に戻った捕手は立ち上がらない。2球目の変化球は金属音とともにライト前へ弾き返された。

「自分たちの野球なので、仲間がそう声をかけてくれるなら、ここで逃げるのは何か違う。打たれましたけど、みんなの気持ちをくんで投げられたことはすごくよかった」

 0−6で敗れた。悔し涙は流れなかった。

甲子園出場を決めて喜ぶ松井秀喜(中央)ら星稜ナイン(1992年) ©︎Sankei Shimbun

 試合後、球場のトイレに一塁手が後から入ってきた。「3年間、お前と一緒に野球できて楽しかったわ、ありがとう」。背後から不意に言われ、そこではじめて泣いた。

 92年8月11日、甲子園1回戦で星稜に立ち向かったのは新潟県立長岡向陵高校だ。

「アンダーというよりも横と下の間ぐらい」から右腕を振る竹内正人が背番号1をつけていた。3日前の組み合わせ抽選で注目度筆頭のスラッガーと戦うことが決まった時、ある映像が初出場校のエースの頭をよぎる。

「(同年春の)センバツで宮古高校のサイドスローの投手から(本塁打を)2本打ちましたよね。テレビで見てて、すごく印象に残っていました。同じタイプですから」

 石川県大会のVTRが速やかに届く。それを眺めて竹内はゲームプランを構想した。

「松井の前にランナーを出さない。僅差の試合運びができれば勝機は出てくる」

 同じ北信越エリアに属しながらも対戦経験はなかった。長岡向陵がブロック大会まで勝ち進むことはなかったからだ。固い守備をバックに打たせてとりながら、夏を勝ち上がるごとに成長してきたチームだった。

 竹内の球速は「たぶん120半ば」。ただでさえ左打者は天敵だ。内角へのボール球で意識づけ、遠くなった外へと逃げるシュート系をすくわせる。イメージはできた。

「近めのボール球、投げ切れなかったですね。あのオーラはすごいんですよ」

 第1打席、2球連続の外角球は見送られ、次のカーブは吸い寄せられるように真ん中高めに向かう。竹内が「いったと思った」ライトへの大飛球は、浜風に押し戻された。

 3万6000の観衆がどよめく中、投手はただ一閃のスイングに気圧(けお)されていた。「後にも先にもない感覚」を味わっていた。

「私はスピードピッチャーじゃないので、(リリースの後)バッターが振ってくるのと待つのって、だいたい感覚的にわかるんです。松井は、あ、待つなっていうとこからバットを振ってジャストミートされる」

「敬遠策もあったと思うんです」

 4回を終えて星稜のリードはまだ1点だ。竹内のプランは崩れていない。5回、2人の走者を置いて松井が打席に入るまでは。

「試合のポイントですね。敬遠策もあったと思うんです。でも満塁にするよりは勝負にいこうと。流れをもってきたかった」

 果敢に内を攻めようと投じた直球は、またも真ん中高めへと向かっていく。

「私、打球見失ってます。どこに飛んでるかあんまりわかってなかったですね」

1992年夏の甲子園1回戦・長岡向陵の竹内から痛烈な三塁打を放つ星稜・松井 ©︎Sankei Shimbun

 低く速いライナーは右中間を破っていた。三塁打で2者生還。ここぞと綱を引いた竹内は、巨大な力で体ごと引き戻されたのだ。

 0−11の大敗にも、敗者は清々しい。「あれ以上、何ができたか」。自問してみても答えは思い浮かばなかった。

記者から問われた「明徳の作戦、どう思う?」

 竹内の家の電話が鳴ったのは5日後だ。2回戦の第3試合を独りテレビで観たばかりだった。スポーツ紙の記者に問われた。

「明徳の作戦、真っ向勝負した竹内くんとしてはどう思う?」

 否定も肯定もできなかったが、殊更に真っ向勝負と言われたことに違和感があった。

「特段、真っ向勝負した気はないですよね。ただ普段の野球をやって負けただけなんで」

 3人の投手は勝つために、稀有な強打者に挑み、散った。その後に何が起ころうとも、既成の真実に足されるものはない。

1992年8月16日、甲子園2回戦で明徳義塾に5打席連続敬遠される星稜・松井秀喜 ©︎KYODO

●初出:Number933号(2017年8月9日発売)『〈敬遠の夏に〉松井秀喜から逃げなかった男たち。』より

文=日比野恭三

photograph by Koji Asakura