リーグ優勝を懸けた天王山を前にして、両エースは眠れぬ夜を過ごした。自身の怪我と迫りくる重圧。決戦当日、異様な雰囲気に包まれた満員の藤井寺でふたりはベンチに座る恩師の存在を感じていた。Sports Graphic Number1023号(2021年3月18日発売)の記事『[1978.9.23 藤井寺決戦の明暗]鈴木啓示vs.山田久志「孤高のマウンドと恩師の影」』を特別に無料公開します。

 土曜日の早朝、雨模様の藤井寺球場は異様な雰囲気に包まれていた。普段はガラガラの外野席へ開門と同時に近鉄ファンがなだれ込む。徹夜組は200人、球場周辺にはダフ屋が溢れていた。

 主役はのちに「悲運の名将」と謳われた近鉄の西本幸雄監督だ。かつて手塩にかけて育てた阪急が常勝チームとなり、低迷する近鉄へ移ってから5年。ようやく初優勝まであと1勝というところまでこぎつけた西本監督の歓喜を見届けようと、阪急ファン、近鉄ファンが藤井寺に押しかけたのだ。そして、ともに30歳だった2人のエースは、優勝を懸けた“藤井寺決戦”での先発が決まっていた。

阪急のエース・山田久志の決戦前夜

 プロ10年目、その時点で通算149勝を挙げ、3度の日本一を含む6度の優勝を経験していた阪急のエース、山田久志は左ヒザの痛みに悩まされて、眠れずにいた。

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「あの試合はデーゲームだったから、前の晩は藤井寺近くの宿泊施設にいてね。3人部屋だったんだけど、相部屋の今井雄太郎と山口高志が気を遣って、他の部屋で時間を潰してくれていた。次の日は朝早いし、布団をかぶって寝ようとしたのに、でも、ヒザが痛くて寝られない。夜中になっても俺が起きているから、アイツらだって戻ろうにも戻れないんだよな。それならと2人を誘って大浴場へ行ったんだ。3人で風呂に入って、なんやかんやと喋ってたら、戻ってスッと寝られた覚えがあるな」

 一方、プロ13年目で20勝以上のシーズンが8度、この年もその時点で25勝、通算242勝を挙げていた近鉄の大エース、鈴木啓示もまた、眠れぬ夜を過ごしていた。

近鉄のエース・鈴木啓示の決戦前夜

「こう見えても気が小さいんや。時計の秒針の音が気になって寝られへん。そのうち隣の部屋で寝てた子どもの寝息がスースー聞こえてくるのが気になってもうた。アイツら、気持ちよさそうに寝よってからに、こっちは寝られへんやないかと悔しくてな(苦笑)。自分の子どもにそう思うんやから、よっぽど追い詰められとったんやろう。勝ったら優勝なんて試合は私にとって初めてやったし、何とか勝ちたいと責任を感じて力が入っていた。試合前、トレーナーにマッサージをしてもらったら、筋肉が硬直して、カチカチになってたらしいからね」

©︎Sankei Shimbun

 午後1時、試合が始まった。先制したのは近鉄だ。初回、ツーアウト満塁としたところで山田が暴投、近鉄に1点が入る。

「ヒザに水がたまって痛みが引かない。だからブルペンに行く前からテーピングをしていった。そうしたら初回にいきなり大ピンチや。ワイルドピッチで1点取られて、なおツーアウト二、三塁の場面で有田(修三)に三遊間へ打たれた。ダメだと思った瞬間、ショートの大橋(穣)さんが深いところから刺してくれた。相当うまいショートでも捕れないような打球だった。あれがもしヒットになったら、そこで自らマウンドを降りていたかもわからんな。それでベンチへ戻ってテーピングを剥がしたよ。こんなんじゃ投げられんって……」(山田)

「20勝しても負けが多かったらエースとは言えん」

 阪急も反撃に出る。3回に福本豊が、5回に簑田浩二がタイムリーを打って逆転。8回にはボビー・マルカーノがレフトスタンドへ2ランホームランを叩き込んで、4−1。続く長池徳二にヒットを打たれたところで西本監督が交代を告げる。99球を投げた鈴木は小走りにマウンドを降りた。

「小走りに? 私、交代させられたらベンチへ歩いて戻るし、走ることなんかないんやけどね。なんでかな、隠れたかったのかな。やっぱり精神的に弱かったんや。あのときは監督の顔を見られなかったしね。申し訳ない気持ちしかなかったから監督の目を見たくなかったもん。『お前らは近鉄と違う、地下鉄や、初めから潜りっぱなしやないか』と言われる弱小球団に強い阪急の監督だった西本さんが来られて、私に第一声、こう言うたんよ。『スズ、20勝しても負けが多かったらホンマのエースとは言えん、負けを1ケタにせえ』と。そんな注文をつけるおっさんとは合わんと思った。このチームで勝つのはしんどいねんで、という気持ちしかなかったから、このおっさんはわかってくれてないと思ってしまった。今思えば、それが私に対する西本さんの教育の第一歩だったんやけどね」(鈴木)

孤高のエースvs常勝軍団のエース

 藤井寺決戦は初優勝を目指す近鉄と王者だった阪急の戦いであり、孤高のエースだった鈴木啓示と常勝軍団のエース、山田久志の投げ合いだった。しかし、いずれの根っこにあったのも西本幸雄の存在だった。

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「近鉄と戦うときって、西本さんの視線ばっかり感じたからね。西本門下生の勢いもすごかったし、(鈴木)啓ちゃんもあのときは出れば勝ちで絶好調や。それでも近鉄の選手に対してはかかってこいという気持ちになれたんだけど、西本さんの視線だけは気になるんだよ。『俺はお前のことを知っているぞ』みたいな視線……長所も短所もわかられてる感じかな。ただ、俺の中にはやっぱり、西本さんに見てほしいという気持ちもあってね。やってます、頑張ってます、山田を見て下さいって」(山田)

「西本さんは1年目、私がピッチング練習してると必ず見に来て『スズ、野球は力やない、タイミングや、力抜いて投げてみい』って言う。自主トレ、キャンプ、シーズン直前までずーっと同じことを言い続けた。それも、今初めてお前に言うんやで、という感じで言ってくる。昨日も言うたとか、何べん言うたらわかるんやとか、いっぺんも言ったことはない。そのうち根負けして『監督、わかりました、いつものことでしょ』って試してみたら、剛から柔の感覚を身につけることができたんやな」(鈴木)

 山田は145球を1人で投げ切って近鉄の、恩師の悲願を潰した。左ヒザの痛みは投げるうちにマヒしていた。そして悔しさを味わわされた近鉄はその翌年、プレーオフで阪急を倒して初優勝を遂げ、連覇も果たす。それでも日本一には届かず……西本が悲運の名将と言われた所以である。

アイツが勝ったらオレの価値が下がる

 西本に鍛えられ、育った2人のエース。

「引退して何年かたった後、西本さんに初めて褒められた。『近鉄ベンチから見ていたら山田はいいピッチャーだったよ。やっぱりエースやった。憎ったらしかったもん』って。あれは嬉しかったなぁ」(山田)

「いっぺんだけ『日本一のピッチャーはスズや』と言うたらしい。直接言われたんやなくて新聞で読んだんやけどな」(鈴木)

 アイツが勝ったらオレの価値が下がる。そんなライバル意識を胸に秘めた彼らは現役時代、飲みに行ったこともなければ、会話を交わした記憶もない。オールスターではベンチにいながら離れて座った。そんな距離感が当たり前だったのだという。

文=石田雄太

photograph by Snakei Shimbun