2022年の上半期(対象:4月〜8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第2位は、こちら!(初公開日 2022年7月16日/肩書などはすべて当時)。

昨年から日本のモータースポーツ界に注目の選手が参戦している。ジュリアーノ・アレジ、22歳。本場ヨーロッパでも4輪デビュー戦となったフランスF4選手権の初戦でいきなり優勝をするなど、その輝かしい才能が話題となった彼だが、それだけではない。元F1ドライバーのジャン・アレジと日本の人気女優である後藤久美子を両親に持つ。

「両親は厳しかった」と振り返るジュリアーノは、いかにしてレーシングドライバーになったのか。本人が明かす(全3回の1回目/#2、#3に続く)。

 ジュリアーノ・アレジは1999年、元F1ドライバーであるジャン・アレジと日本の女優である後藤久美子との間に生まれたレーシングドライバーである。父アレジは2001年にF1の現役を引退した後、メルセデス・ベンツのワークスドライバーとしてDTM(ドイツツーリングカー選手権)に転身、競技活動を続けた。父アレジは幼子をDTMの現場に帯同したようで、ジュリアーノは物心ついたときにはモータースポーツの現場にいたと言う。

「ちっちゃい頃からエンジンのうるさい音が大好きだったんです。3、4歳ぐらいの頃、お父さんとレースの現場に行ってた。クルマを見るのも、音もにおいも、全部大好きだった。触るのも大好きで、(走行直後)熱くなって赤いブレーキディスクに知らないまま触ってしまったことがあった。1回触って、赤いときは触っちゃダメだって覚えた(笑)」

「お父さんもお母さんも学校へ行けとすごく厳しかった」

 元F1ドライバーの息子として幼児の頃から最先端のレーシングカーに文字通り触れ、まさに英才教育の条件が整っていたジュリアーノが「自分もレースがやりたい」と言い出したのは必然だった。ところが、意外なことに父アレジは「ダメだ」とジュリアーノの申し出を当初、受け入れなかった。

「レーシングカートを始めたいと言ったけど、最初は『ノン!』と言われちゃった。それで、13歳までできなかった。お父さんもお母さんも学校へ行けとすごく厳しかったの」と、ジュリアーノは当時を振り返る。

 ジュリアーノの母親である後藤は、本人もレーシングカートを嗜むなど大のモータースポーツ好きで、日本のF1ブームの中、ジュリアーノの現マネジメントを担当する会社代表がきっかけで父アレジと知り合った。結婚して3人の子どもを授かり、長男として生まれたのがジュリアーノだ。モータースポーツが縁で結ばれた父母ではあったが、当初息子のモータースポーツ入門を積極的には後押しせず、スポーツ選手としてよりも社会人としての成長を優先していたようだ。

「お母さんは、エデュケーションや挨拶、他の人とのリレーション、しゃべり方、テーブルマナーなど、とても厳しかった。エデュケーションについてはお父さんも厳しかったけど、お母さんと息子のリレーションは近いから、何かあると必ずお母さんから言われていた」

 こうした両親の教えは、フランス人と日本人のハーフとしてフランスのアビニョンに生まれたジュリアーノを国際人に育てた。

「生まれてすぐスイスに引っ越して学校に通いました。でも、毎週末ほとんどアビニョンに行って、家族に会っていました。お父さんは時々イタリア語も混じるけどベースはフランス語。お母さんは日本語と英語、フランス語もちょっと。お母さんは僕には80%日本語、20%は英語。日本語を覚えてほしかったみたい。だけど僕の言葉はもうほんとにバラバラで、フランス語と英語と日本語、そのとき一番簡単な言葉を考えないで選んで使っていた。ただ、日本語はお母さんとだけだから、まだちょっと難しいかな(笑)」

ドライバーの若年化「やっぱり始めるのが早すぎる」

 教育を通して人間形成を優先する一方、父アレジにはジュリアーノとモータースポーツに関しては思いがあったようだ。近年、世界的にモータースポーツ選手の若年齢化が進んでいる。日本でも、物心ついた頃にはキッズカートと呼ばれる小型レーシングカートに乗り始めて実戦経験を積み、13歳で正式に全日本カート選手権に出走する資格を得て16歳で限定Aライセンスを取得し4輪レースにデビューするという英才教育が珍しくなくなった。

 だが今、父アレジは、折に触れレーシングドライバーの若年齢化に対する批判を公言している。「私の時代、レーシングカーを運転するには、18歳以上になって運転免許証を取得する必要があった。これは理にかなっている。現代のように16歳になる前に時速200kmをはるかに超えるレーシングカーのハンドルを握るのは不自然だ」と、父アレジはあるインタビューに答えている。

 ジュリアーノ自身も、幼いうちからモータースポーツ活動をする現代の風潮は「良くない」と断言する。

「子供のときからレースをやっている子供たちは、お父さんやお母さんがやってほしいから始めているんです。子供自身が『僕、やりたい』と言い出すことはほとんどない。これは良くないと思う。そういう子供がレースを始めたら、家族やメカニックから、『なぜもっと遅くブレーキしないの』、『なぜここでオーバーテイクしないの』、『なぜここで相手にオーバーテイクされたの』、『なぜここでブロックしないの』と言われ続けて、遊びがストレスになってしまう。モータースポーツは元々楽しいアクティビティで、ストレスは感じないはずなのに。

 今、カートコースに行くと、ヘルメットが身体より大きいような、ちっちゃい子供たちがいっぱい走っていて、見た目はもちろん可愛いんだけど、やっぱり始めるのが早すぎる。僕はあまり良くないと思う」

やっと認められたけど「父はレースにすごく厳しかった」

 もちろん両親は息子がモータースポーツに触れることに絶対的に反対していたわけではなく、ジュリアーノが13歳になる頃、ようやくジュリアーノにレーシングカートを与えてモータースポーツへの入門を許している。だが、一旦モータースポーツの扉を開けると、父アレジはジュリアーノを甘やかそうとはしなかった。

「13歳のときかな。お父さんと一緒にカートを始めたんだけど、最初はレースが全然面白くなかった(笑)。なぜなら、すぐ一番高いレベルのレースに出たから。僕と走っていた人はみんな5歳、6歳ぐらいにカートを始めていたけど、僕は13歳から始めたばかり。みんな、すごい速かったし、すごいアグレッシブだったし、どうしたらいいかがわからなかった。でも、少しずつ習っていきました。父はレースに関してはすごく厳しかった」

 レーシングカート初心者のジュリアーノが放り込まれた上級クラスのレーシングカートレースで上位を競うのは、幼い頃から英才教育を受けてきた百戦錬磨のライバルたちだった。当然、初心者が対等に戦えるわけもない。しかし念願だったモータースポーツを始めたジュリアーノはその魅力に取り込まれていく。

「ドライビングが好きだったから、やめたいとは1回も思わなかった。それで15歳になったときにフォーミュラカーレースを始めた。そこから(モータースポーツが)どんどん面白くなって、リザルトもカートのときより良くなっていったんです」

 父アレジは厳しいながら、息子の成長をしっかりと支えた。

「父は、サーキットを離れれば優しくなって僕もリラックスできた。(日本でレースをするようになった)今も、毎日テレビ電話でつながって、必ずレースのことを話すんです。こういう関係は、ちっちゃい頃からずっと変わらない」

 ジュリアーノは2015年度のフランスF4選手権で4輪レースデビューを果たしている。F4は、レーシングカートを卒業して本格的に4輪レースへステップアップするための登竜門的カテゴリーである。このデビュー戦の公式予選でジュリアーノはいきなりポールポジションを獲得、そのまま決勝レースでも優勝を飾って一躍注目の若手選手となった。

 結局このシーズン、20名以上の選手が出走したフランスF4選手権シリーズをランキング4位で終えたジュリアーノは、父アレジの後押しもあって翌2016年、F1の名門フェラーリが運営するドライバー育成プログラム、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)の一員に選抜され、F1ドライバーへ続く王道を歩み始めることとなったのだ。

<#2、#3に続く>

撮影=榎本麻美

文=大串信

photograph by Asami Enomoto