勝負の世界に「たられば」が禁物であることは百も承知だが、今シーズン、もしソフトバンクが優勝を果たしていれば、MVPには藤井皓哉(こうや)が輝いたはずだと思っている。

 ソフトバンク入団1年目だった今季は55試合に登板して防御率1.12、5勝1敗3セーブ22ホールドという抜群の成績を残した。

 シーズン前に一体どれだけの人がこの未来図を予測できただろうか。2年前に広島カープから24歳の若さで戦力外通告を受け、昨年は独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでプレーした投手に対して――。

育成から大出世…藤井皓哉は何者?

 ソフトバンクから声がかかってNPB復帰を果たしたものの育成選手契約だったため、当初は背番号157のユニフォームで春季キャンプやオープン戦を過ごした。支配下登録を勝ちとったのはペナントレース開幕の直前だった。

 ソフトバンクへの入団が決まった際の会見では「自分には特徴となるボールがない。いろんなボールをまんべんなく投げられるのが自分のスタイル」と話していたが、現在の印象はまるで違う。150キロ台中盤の威力あるストレートを投げ込み、伝家の宝刀フォークボールは千賀滉大につづく「第2のお化け」と表現したくなるほどの落差を誇る。

 そして、いかにも負けん気の強そうな面構えが印象的だ。マウンドに立つと、鋭い目つきで打者を睨みつける。とはいえ、大きく吠えたり、派手なガッツポーズを見せたりするシーンはあまり見たことがない。今時の若い選手には珍しい職人気質のような雰囲気を醸し出す。現在のチームメイトで同い年の甲斐野央や栗原陵矢と全く違う物静かなタイプで、取材をしていてもリップサービスが得意な方ではないのが分かる。

 そんな藤井が活躍すればするほど、ある疑問がわいてきた。なぜ、広島はこんな好投手を手放したのだろうか。

14年ドラフト4位…カープはなぜ手放した?

 広島にはおかやま山陽高校から2014年のドラフト4位で入団した。3年目に一軍デビューし、4年目にはプロ初勝利を飾ったが、一軍定着はならず広島時代の白星はその1つのみ。在籍6年間で一軍登板は通算14試合、防御率7.94だった。しかし、広島から戦力外通告を受ける前年にはウエスタン・リーグで26試合に登板して防御率0.33という驚異的な成績も残していた。実力は間違いなくある。しかし、一軍に上がると別人のような姿を見せてしまうのだった。

 答え探しをする中で「藤井は精神的に弱いんだよ」という声をいくつも拾うことが出来た。

 だが、ソフトバンクにやってきた藤井から、“メンタルの弱さ”を感じ取ることは難しかった。好投に好投を重ね、シーズンが進むにつれて彼の役割は重要性を増していった。特に7月上旬に又吉克樹が骨折離脱して以降は絶対的セットアッパーとして欠かせない存在となった。終盤戦の激しい優勝争いでは、緊迫した局面になればなるほど藤井の存在が頼りになった。9月は月間12試合に登板して防御率0.00。藤井はやはりクールに、毎回最高の仕事をやってのけたのだった。

「あまり数字は気にしていないけど、ゼロに抑えようとマウンドに上がっている結果」(9月6日、楽天戦で3者連続三振)

「与えられた場所で、与えられた仕事をするだけなので、そこは明日以降も変わることなく、チームの力になれるように頑張ります」(同12日、西武戦で1回無失点)

「自分が出来ることをこれからも続けていくだけです。明日からも自分の投球ができるように頑張ります」(同19日、オリックス戦で3者連続三振)

 この一年だけを見れば順風満帆。だから「あの日」も背番号48がマウンドに上がる姿を見た時、彼はいつものようにクールに抑え、チームに最高の笑顔をもたらすのだろうと信じて疑わなかった。

勝てば優勝の試合で…藤井が泣き崩れた夜

 10月1日、ベルーナドームでの西武戦。

 ソフトバンクは優勝マジック1で臨んでいた。つまり、引き分けでも優勝できる条件だった。試合は0−1の9回表に柳田悠岐が起死回生の23号同点ソロを放って延長戦に。勢いは明らかにソフトバンクにあった。

 1−1の延長11回裏、この回から5番手で登板した藤井はあっさり2アウトを奪った。3人目の打者、森友哉に中前打を許して2死一塁。そして続く山川穂高への4球目、136キロの内角低めフォークを投じたが、完ぺきに打たれた。左翼席中段に白球が吸い込まれていくサヨナラ2ラン本塁打。今季、藤井が唯一喫した黒星は、あまりにも重たい1敗だった。

 試合直後、グラウンドで泣きじゃくる藤井の姿がテレビ中継でも大映しされた。ソフトバンクに移籍以降、おそらく初めて味わった挫折。その様子をベルーナドーム記者席から見ながら、ふと“精神的に弱い”というワードが脳裏によみがえった。

 立ち直れるのだろうか。もしかしたら、これまで積み上げてきた自信も崩れてしまうのではないか。あまりに壮絶なサヨナラ負けを目の当たりにしたことで、勝手に妙な胸騒ぎを覚えてしまった。

泣いたその日に「登板直訴」していた

 しかし、それは杞憂だった。藤井は選手宿舎に戻ると、藤本監督の部屋を訪れて翌日の登板を直訴した。

「このまま終わると本当に悔しい。(翌日も投げたら)4連投になるので、監督やコーチも気を遣うと思い、自分から投げたい気持ちを伝える方がいいと思った」

 涙をぬぐい、もう一度立ち上がった裏には、球場から宿舎への約1時間半のバス移動があった。翌日は千葉での試合だったため、定宿ではなく東京都心のホテルに泊まることに。普段より長い時間バスに揺られていると、昨年の独立リーグ時代が頭をよぎった。

「昨年を思い出す時間になって、いい意味でリセットできた。今の環境に来て、ありがたみも感じるし、こういうところで野球ができる幸せもある。悔しがれることも幸せなんだな」

 また、打たれた映像もすぐに見返した。「悔しさを糧にするというより、客観的な目線で『どんな球をどのコースに投げて、どうなったのか』というのを振り返るんです。もちろん打たれた時は、抑えたあとに比べると気持ちも違うけど、冷静な気持ちで」。広島時代にも映像は見返していたというが、現在の方が細かな点までしっかり自己分析できるようになったという。

 結果的に直訴した2日は登板がなかったが、それらのエピソードは藤井が以前とはまったく別人の投手に生まれ変わったことを証明していた。

来季は先発転向も…千賀の後釜になれるか

 来季、藤井には先発転向の構想が持ち上がっている。

 10月28日、本拠地PayPayドームでの秋季練習中。藤本監督から「プランとして先発を考えてるけど、お前の気持ちはどうや?」と打診を受けたのだ。

 藤井は驚いた。その言葉が意外だったというよりも、じつは藤井自身、その希望を心に温めており、自分から監督へ直訴するタイミングを窺っていたからだ。

「やれるのであれば、やらせてもらいたいです」

 いつもクールで、自己主張をぐいぐいするタイプでない男がそんな“野心”を抱くようになったのも、今年1年間積み上げてきた実績の賜物だ。

 宮崎での秋季キャンプでも先発を意識した練習を行っていた。ブルペンに入ったのはわずか2度だったが、普段のキャッチボールから今年はほぼ投げていなかったカーブやスライダーを取り入れて指先の感覚を養った。特にカーブは鍵を握る球種となるようだ。「以前も投げていたけど、握りは違います。固まってきているので突き詰めていけたら」と手応えを口にした。

 先発は昨年の独立リーグ時代に経験している。年間145イニングを投げ、11勝、防御率1.12、180奪三振で、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得した。また、ソフトバンク三軍相手にノーヒットノーランを達成したこともあった。

「高知で先発をさせてもらったことで、自分が変われた実感がある。だからやりたい気持ちは常にありました。最終的にはチームが決めることです」

 来年1月の自主トレは大ベテランの和田毅に弟子入りする。本拠地でのロッカーが隣で、シーズン中も野球談議を交わしていた。先発転向の話が持ち上がってすぐに自主トレ帯同を志願。「俺、左だけど大丈夫なのか?」と聞き返されたが、「いえ、お願いします」と即答した。

 ソフトバンクは大黒柱の千賀滉大が海外FA権を行使しており、今オフにチームを去るのは確実な状況だ。チーム内戦力図が激変するのは必至。千賀とはまた違うロードで大出世を果たした右腕が次代のエース候補となるのだろうか。

文=田尻耕太郎

photograph by KYODO