9月7日から10日まで東欧ラトビアの首都リガで行なわれたフィギュアスケートのジュニアグランプリシリーズの第3戦、女子シングル。ブラジル代表として出場した14歳のマリア・レイクダルが、世界的な注目を集めた。
 その最大の理由は、フィギュアスケートの国際大会に出場した世界初のトランスジェンダーの選手だったからだ。14歳にして、トランスジェンダー選手として世界の頂点を争う舞台に立った異色のスケーターはこれまでどのような人生を歩んできたのだろうか。(全2回のうち第1回/続きは#2へ)

身体が男の子でも、心は女の子だと感じたの

 2008年3月29日、マリアはブラジル南東部クリチーバで男の子のジョアンとして生まれた。その2年後に妹タリアが、そのまた2年後に弟カルロスが生まれた。

 やがて、ジョアンは自分が他の男の子とは少し違うことに気付く。

「身体が男の子でも、心は女の子だと感じたの。他の男の子のように髪を短くするのが嫌いで、髪を長く伸ばし、妹の服を借りて着るのが好きだった。でも、そうすると周囲の人がすごく嫌がり、反対した。それがとても悲しかった」

 母親は未婚だった。母は育児を放棄し、祖母に預けられたが、その祖母も扶養する能力に欠け、虐待もあったことから、2014年、3人は市内の孤児院へ入れられた。ジョアンが6歳のときだった。

ジョアンら3きょうだいを迎え入れたのは…

 数年して、ジョアンに手を差し伸べた存在がいる。クリチーバ出身のグスタヴォとクレベール(いずれも男性)だ。2人は孤児院を訪れてジョアンら3きょうだいと一緒に遊んだり、週末だけ自宅へ3人を招き入れ、一緒に過ごしたりして相性を確かめた後、この年の末、彼らを養子として迎えた。ジョアンが8歳、タリアが6歳、カルロスが4歳だった。

 グスタヴォとクレベールはもともと2006年に知り合い、翌年に結婚していた(ブラジルでは同性婚が認められている)。しばらくは2人だけの暮らしに満足していたが、やがて子供が欲しいと考えるようになる。2016年、2人は市の家庭裁判所に養子縁組の希望を出した。そして、ジョアンら3きょうだいを紹介されたのだ。

孤児院で初めてあった時の印象

「孤児院で3人に初めて会ったとき、彼らは全く笑わなかった。いつも悲しそうな表情をしていて、彼らがそれまでの短い人生で非常に過酷な経験をしてきたことがすぐにわかった」(グスタヴォ)

 3人を引き取る際、グスタヴォとクレベールは孤児院のスタッフからジョアンが女の子の格好をしたがる傾向があると知らされた。

「我々も性的マイノリティだけど、男の子として生まれながら気持ちは女の子なのだと言われても、どういうことなのか、しばらくは理解できなかった。だから、当初は孤児院時代と同様、髪を短く切り、男の子の服を着せてしまった」(グスタヴォ)

 このことは、ジョアンをひどく悲しませたようだ。

「大声で泣いていた。長い時間話し合い、また心理カウンセラーによるセラピーを受けさせる過程を通じて、ようやく我々はトランスジェンダーの何たるかを理解した。以後は、好きな髪型、好きな服装をすることを認め、女の子として扱った」(グスタヴォ)

両親は2人ともスケートのインストラクターだった

 ジョアンの両親となった2人はローラースケートとインラインスケートのインストラクターで、市内に練習場を構え、子供たちにスケートを教えていた。ジョアンも自然とスケート靴が馴染んだかというと、そうではない。当初、スケートにさほど興味を示さなかったという。

「少しやってみたけれど、転倒したらすごく痛い。あまり好きじゃなかった」

 ところが、しばらくすると次第に興味を覚えるようになる。

「あまり倒れなくなると、スケートが楽しくなった。自由に動けるので、とても気持ちがいい。やがて、暇さえあれば練習をするようになった」

女子シングルに出場できない問題、さらには嫌がらせも

 2年ほどたったとき、両親が「インラインスケートの競技会があるよ」と告げると、「私も出てみたい」と答えた。

 2018年、10歳で国内の幼年女子の大会にジョアン・レイクダルとして出て優勝。翌年、ブラジル選手権のノービス(12歳以下)の部に出場して準優勝。この年、ブラジル南部で行なわれる南米選手権への出場資格を手にした。

「ところが、ここで問題が持ち上がった。当時、マリアの戸籍上の名前はジョアンで、性別は男となっていた。そのため、南米選手権の女子シングルには出場できないと言われたんだ」(グスタヴォ)

 しかし、両親は諦めなかった。クリチーバの地方裁判所へ訴えて出場資格を求め、大会当日になって出場が認められた。

「出場できることになったのは幸いだったが、他の問題もあった。これは嫌がらせだと思うのだが、試合会場で練習させてもらえず、女子トイレを使うことも許されなかった。さらに、演技の順番が最後と告げられていたのに、突然、最初に変更された。こういうことがあって、ひどく動揺していた。何度も転倒し、途中から泣きながら演技をした」(グスタヴォ)

12歳から男性としての成長を遅らせる措置を受けた

 2020年初め、12歳のジョアンはサンパウロ市内の病院で男性としての成長を遅らせる医療措置を受けた。

「ブラジルでは、性転換手術ができるのは18歳になってから。ただ、マリアは女性として生きることを強く望んだので、このような措置を施した」(グスタヴォ)

 そして、身分証明書の名前と性別の変更を申請した。これが認められ、この年の8月、名前を「マリア・ジョアキーナ・カヴァルカンチ・レイクダル」、性別を男から女に変えた。

マリアになった日「それまでの人生で最良の日でした」

「新しい身分証明書を手にして、本当に嬉しかった。それまでの人生で最良の日でした」(マリア)

 こうして、「マリア・レイクダル」という名の女性として競技会に出場できるようになった。

 そして、昨年、彼女はフィギュアスケートで世界を目指すことを決意した。

 しかし、ここでまた別の難題が立ちはだかった。気候が熱帯や亜熱帯のブラジルには、アイスリンクがほとんどない。ごく稀にショッピングモールの中に小さなリンクがあるが、それは一般の愛好者のためのもので、トップアスリートを目指す者が練習に使えるような代物ではない。

400kmほど離れたサンパウロのアイスリンクへ練習に

 そこで、普段は両親が経営するインラインスケート用のリンクで練習し、時折、400kmほど離れたサンパウロにあるアイスリンクへ行って週末だけ練習するようになった。

 このリンクにしても、面積は486㎡に過ぎず、フィギュアスケートの公式競技会が行なわれる国際規格1800㎡の4分の1強でしかない。また、ブラジルにはフィギュアスケートを専門に教えるコーチがいない。

 要するに、フィギュアスケートの選手として世界と戦うには致命的とも思えるハンディをいくつも背負っている。

今年、ジュニアGPという世界大会に出場を果たす

 それでも、昨年12月、マリアはジュニアのブラジル選手権女子シングルに出場し、優勝した。

 今年5月にはブラジル・アイススポーツ連盟の強化指定選手となり、1カ月間、ベルガモ(イタリア)で強化合宿を行なった。彼女がフィギュアスケートのプロコーチに指導を受けたのは、これが初めてだった。

 そして、帰国後、7月にサンパウロで行なわれたブラジル選手権兼ラテンアメリカ選手権で優勝。ブラジル代表として今年のジュニアグランプリシリーズ(以下、JGP)に出場する権利を獲得した。

 この記事の冒頭で紹介したように、9月、リガ大会に出場すると、10月のエーニャ(イタリア)大会にも出場。結果は44選手中39位で、優勝したのは吉田陽菜(17)だった。JGPでの女子は今年10月までの6大会中、吉田と島田麻央(13)が2度ずつ、中井亜美(14)が1度優勝しており、日本勢が圧倒的に強い。

男女差はある?

 この年齢の男女に大きな差はあるのか――。そういった疑問に対し、グスタヴォは、「ブラジルの最高学府であるサンパウロ大学の専門家から、『成人となってから性を変更した場合とは異なり、(マリアが男性としての成長を遅らせる措置を受けた)12歳では男女の運動能力に大きな差はない。この年齢で男性から女性になってもアドバンテージにはならない』と聞いた」と語っている。

 実際、マリアのISUの公式大会での自己ベストは83.62。出場した2つの大会でトップ選手たちとは120点近い差がある。フィギュアスケートは門外漢の筆者から見ても、ジャンプの回転数やスケーティング技術など、現時点でトップ選手とはかなりの差があるのは一目瞭然だ。しかも、練習環境の点でとてつもないハンディを背負う彼女にとって今後、この差を縮めるのは容易ではない。

夢は「ミラノ五輪出場」と語る本人にじっくり話を聞くと…

 それでも、マリアは「私はフィギュアスケートが大好きなの。夢は、2026年にイタリアで行なわれるミラノ・コルティナ五輪にブラジル代表として出場すること」と目を輝かせる。まさに想像を絶する壮絶な人生を歩む彼女に自身の境遇について、じっくり話を聞くと……(第2回へ続く)

文=沢田啓明

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