2022年の下半期(対象:9月〜12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球部門の第3位は、こちら!(初公開日 2022年11月19日/肩書などはすべて当時)。

 メジャーリーグ・パドレスで今季16勝を挙げ、日本人選手としてただひとりポストシーズンでプレーしたダルビッシュ有。日米通算200勝まであと「12」に迫る右腕は、意外にもドラフト入団時は日本ハムの「単独指名」だった。当時獲得に携わった日本ハム元GMの山田正雄氏(現スカウト顧問)にその獲得秘話と、選手を見極めるスカウティングの極意を聞いた。(全3回の#2/#1、#3へ)

 アマチュア選手を見るスカウトたちが「一番難しい」と口をそろえるのが、数字には決して現れない「性格面」の見極めだ。特に十代の高校生は、プロ入り後にその素質を花開かせることができるか、あるいは潰れてしまうのか、鍵を握る大きな要素が「性格面」であると言える。

 2004年秋。ドラフト会議を控えたスカウト陣の間でその「性格面」を巡って評価が分かれていたのがダルビッシュだった。未来のエース候補として十分すぎる素質の一方で、練習嫌いで気分屋という「性格面」の評判から、1位指名を躊躇した球団は多かった。山田氏が振り返る。

「他のスカウトはそういう噂が耳に入っていたのかもしれないです。あまり練習をしないとか、性格が難しくて大変だぞ、とかね。見ていてそう思ったのかもしれない。あれだけのピッチャーがうちの単独指名だったわけですからね」

 そういった類の話は、当時、編成部ディレクターだった山田氏の耳にも入っていた。実際に東北高校のグラウンドに足を運んだ時も、練習らしい練習はほとんどせず、ダルビッシュの姿はふいと消えていた。率直にこう問いかけたことがある。

「練習嫌いなの? 走るの嫌なの?」

 ダルビッシュから返ってきたのはこんな言葉だった。

「そんなに嫌いでもないですけど、好きでもないですね」

 今になってみれば、いかにもダルビッシュが言いそうな言葉ではあるし、そうは言っても誰よりも野球に情熱があることは語らずとも分かる。しかし、当時はまだ大成前夜の17、18歳。「生意気だ!」と眉根を寄せる大人は多かっただろう。ところが、山田氏の受け取り方は全く逆だった。

「周りによくよく話を聞くと、実は原因は成長痛にあって、その痛みで走ったりできなかったんだ、と分かりました。ああ、この子は言い訳はしない選手なんだな、と思ったんです」

ふらっとネット裏にやってきたダルビッシュが…

 普通なら心証を良くしたいと考えるプロスカウト相手にも、自分を良く見せようとせず、決して媚びない。一方で、視察した3年秋のAAA世界選手権(台湾)では印象的な姿を目にした。台湾戦で先発し打ち込まれたダルビッシュが、降板後にベンチ最前列で声をからして仲間を応援していた。

「僕はベンチの中の選手の姿をよく観察するんです。特に代えられた後、ベンチの後ろで不貞腐れているのか、チームを一生懸命応援するのか。チームのために、と思える選手や、その時その時に与えられたことに全力を尽くせる選手は、プロに入った後必ず伸びていきますから」

 もっとダルビッシュのことを知ろうと、目を通した雑誌のインタビューにも惹かれるものがあった。

「ライバル校のバッターについて答えていて、“この選手はインコースが弱いんですよ”とか分析が実に的確で鋭かったんです。バッターと対峙するときに一番大切なものである、野球選手としての頭の良さがあるな、と感心しました。実際に、日本ハムに入った直後にファームの試合を見ていると、ふらっとネット裏にやってきて僕の後ろで相手チームの打者について特徴や弱点など、全く次元の違うレベルの高い話をしていました。それを聞きながら(獲得は)間違いではなかったな、と実感しましたね」

 ダルビッシュ獲得の3年後、同じく「性格面」で評価が分かれていたのが4球団競合の末、日本ハムが引き当てた中田翔(現巨人)だ。番長風のいかつい外見と数々の“やんちゃ伝説”は有名だったが、当時シニアディレクターとして獲得に関わった山田氏はやはり、高校生1巡目指名に躊躇はなかったと明かす。

「中田の方がダルビッシュよりも見た目がね……(笑)。色々な逸話があるから凄いなと思ったけど、彼はああ見えて結構、我慢強いんですよ。試合に出られなくても腐ったりせず、なにくそと一生懸命練習する。あとは何よりその才能が凄かった。グラブさばきやスローイングの形、バッティングも凄くコンパクトで、ミート力がある。彼の野球センスは、今まで見てきた選手のなかで野手で断トツでした」

 ダルビッシュは入団1年目に喫煙騒動などで謹慎処分に。中田も若手時代は練習態度などをめぐって当時の梨田昌孝監督にたびたび大目玉を食らった。しかし、野球選手としてチームの主力に成長するうち、考え方や振る舞いは自然と変化していった。

「そもそも彼らみたいに素材が超一流というクラスは、プロに入ると成績とともに注目度も上がるので、周りの目があって変なことはできない。やる気と頭さえあれば性格面は必ず変わっていくと思うんです。それよりも問題は、彼らよりちょっと力の落ちる選手。腐らず陰でコツコツと努力をし続けられるか、沢山のことを吸収して成長していけるかどうか。性格面をより見極めなければいけないのは、超一流選手ではない選手たちの方なんですよ」

伝説のスカウトの極意は「目」と「耳」

 現場スカウト時代から山田氏は“隠密行動”を好む。例えば試合を視察する際は、スカウトたちがスピードガン片手に集まって見ているネット裏には絶対に座らない。ときに外野席、ときにブルペン横、ときに生徒の応援席、と神出鬼没に現れ、一般客にまぎれ込んで目当ての選手を観察する。

「甲子園では外野席なんかにしょっちゅういましたね。外野手だったら投球間や、打球が来ないときにどんな動きをしているのか。投手ならブルペンでどんな準備をしているのか。練習には、事前に連絡せずフラっと見に行きます。どこかのオヤジが散歩しながら見ているな、って感じでね。スカウトが見ていると誰だって一生懸命やるでしょう? 誰も見ていないところでどれだけ努力を継続できるか。そういう選手じゃないとプロでは戦っていけないですからね」

 あらゆる角度から選手を見つめる「目」の一方で、「耳」は使いすぎないのも信条だ。他球団のスカウトとは決してつるまず、アマチュア球界の関係者にも選手の評判やその評価について、必要以上に話を聞くようなことはしない。

「色々なことを聞きすぎないようにしています。僕も生身の人間ですから、迷いが出るんですよね。いい選手と言われればそうかと思うし、ダメと言われれば、ダメなんだという目で見てしまう。そこはやはり自分の目で見て、自分で判断しないといけないと思っています」

《続く》

文=佐藤春佳

photograph by JIJI PRESS