半年前まで育成選手だった右腕が、WBC日本代表へ。

 昨年オリックスの日本一に貢献した24歳、宇田川優希のシンデレラストーリーはまだ終わっていなかった。

 今年1月のある朝。宇田川はスマートフォンの着信音で目が覚めた。

「栗山です」

 日本代表・栗山英樹監督からの電話だった。

「テレビではよく見ていたんですけど、話すのは初めてだったので、最初ピンとこなくて……。え? わ!栗山監督からだ、って。寝起きだったので、すごいびっくりして。頭回んなくて、焦りました」

 眠っていた頭を叩き起こし、指揮官からの言葉を聞き漏らさないよう必死だった。

「会議も重ねて、いろいろと考えた結果、宇田川君の力が必要だと判断したので、一緒に戦いましょう」

 ただただ驚きながら、「ぜひお願いします」と答えた。

「最後になって、あ、挨拶しなきゃと思って、『初めまして宇田川です』って言いました。電話を切った後に、やっと頭が回ってきて、大丈夫だったかな?って(苦笑)」

 寝ぼけておかしなことを言ってしまったんじゃないかと少し心配になったが、次第に興奮が高まってきた。

「いずれ日本を代表するような投手になりたいとは思っていたんですけど、こんな一気にここまでこられるとは。支配下に上がったばかりで、その次の年に選ばれるとは、まったく思わなかったです。日本のトップチームでできるというのがすごく嬉しい。すごいメンバーが選ばれた中で、僕も選ばれているので、そこは本当にすごく光栄です」

プロ2年目の大ブレイク、日本一にも貢献

 宇田川は、仙台大学4年だった2020年の育成ドラフト3位で指名され、オリックスに入団した。

 プロ1年目だった2021年は、ウエスタン・リーグでわずか1試合の登板に終わったが、2年目だった昨年、覚醒した。

 ファームで結果を残し、登録期限間際の7月28日に支配下登録を勝ち取ると、8月3日の西武戦で一軍初登板。山川穂高、ブライアン・オグレディから三振を奪う圧巻のデビューを飾った。

 その後は一軍のブルペンに定着し、ソフトバンクとの激しい優勝争いの中、幾度もチームのピンチを救った。19試合(22回1/3)に登板し、失点2、防御率0.81という安定感でリーグ優勝に貢献。日本シリーズでも、最速159キロのストレートと、独特の軌道で落ちるフォークを武器にヤクルト打線をねじ伏せた。4試合(5回2/3)に登板し1勝2ホールド。被安打2、無失点、10奪三振という圧巻の投球で、オリックスの26年ぶりの日本一を引き寄せた。

 大学4年のドラフトの際には、育成でプロ入りするか、社会人野球に進むか、迷った。「育成では行かない」という意向をドラフト前にNPB球団に伝えていたからだ。だがそこでプロ入りを選択し、今につながっている。

 当時の宇田川に、2年数カ月後に日本代表に選ばれることを教えたらどんなに驚くだろう。

 そう水を向けると、宇田川は言った。

「(プロに)入ってからのほうが、すごくしんどい時期が多かった。1年目は二軍でも投げられなくて、三軍の試合ばかりだったので、その時期の僕に、今の僕を見せたら、すごく驚くと思います」

 プロ1年目は、ウエスタン・リーグでわずか1試合の登板に終わっていた。

「あの時はファームでもベンチに入れなくて、『くそー!』という気持ちもあったんですけど、でも正直、ベンチから外れると、投げなくてもいいんだ、対戦しなくてもいいんだって、ホッとする気持ちもあったんです。バッターとの対戦が怖かったんで。打たれて、もう抑える自分が想像できなくて……」

 身長184cm、体重100kg近い体躯で、威圧感たっぷりにマウンドに仁王立ちする今の姿からは想像できない、「バッターとの対戦が怖かった」という言葉。武器だと信じていたストレートを打たれ、ブルペンでも自分の納得のいく球が投げられず、当時は自信を失っていた。

 だがもともと力のあった右腕は、いくつかのきっかけを足がかりに、変貌を遂げていく。

転機となった“甲子園のマウンド”

 2年目に向けてはフォームを修正し、何より大きかったのは肉体改造だったという。昨年3月に新型コロナウイルスに感染し、隔離期間に体重や筋肉量が落ちたことをきっかけに、ウエイトトレーニングを増やし一から体づくりに取り組んだ。それが功を奏し、ストレートの威力が増した。以前は152キロほどだった球速は、常時150キロ台中盤が出るようになり、打者を抑えられるようになると、嫌なイメージが払拭されていった。

 転機となったのは、7月2日に甲子園で行われたウエスタン・リーグ阪神戦だった。

 高校時代、憧れ、目指したけれど立てなかった甲子園のマウンドに、初めて上がると、それまでの試合では感じたことのない気持ちの昂りがあった。

「高校生の時からすごく憧れていた場所で、その時の自分にとってはすごい大舞台だったので、そこで投げられたことがまず本当に嬉しくて。またこういう(一軍の)球場で投げたいなと思ったし、初めて、バッターとの対戦がすごく楽しいと思えたんです。

 しかもそこで自分のピッチングができた。やってきたことが成果として出て、まっすぐやフォークで三振を取るという目指していたことができたので、すごく自信になりました。たぶんそこで一皮むけたと思います。そこから気持ちがガラッと変わったんです」

 自信を得て開花した豪腕は、7月28日に支配下登録され、一軍でも臆することなく腕を振った。1点も与えられない場面で一軍の打者を相手にしても、「怖い」と思うことはなかった。

「投げる前は緊張とか不安とか、あるんですけど、マウンドに立ったら、もう大丈夫で。楽しみって感じでした」と言ってのける。

ダルビッシュ、大谷「一緒にやれるのは嬉しい」

 WBCでは、メジャーリーガーと対戦する場面もあるだろう。

「アメリカ代表がすごいメンバーで来るっていうニュースを、結構前にネットで見て。その時は自分が選ばれると思っていなかったんで、『うわ、すご!』って感じで見ていたんですけど、実際に対戦できるかもと思ったら、楽しみです」

 宇田川の記憶に鮮明に残っているのは、小学4年生の時に見た第2回WBCの日本の優勝だ。

「イチローさんのタイムリーと、最後にダルビッシュ(有)投手が、スライダーを投げて三振取って、優勝を決めた瞬間がすごく記憶に残っています。すごいなーと思っていた。そのダルビッシュさんと一緒に同じチームで野球できることが、まず一番嬉しいです。小学生の頃からテレビで見ていて、本当に遠い存在だったので。それに大谷(翔平)投手も、大学生の時にフォームを参考にしたり、尊敬している選手なので、一緒に野球をやれるのは嬉しいです」と大きな瞳を輝かせる。

 自身が選抜された理由を直接聞いたわけではないが、落差のあるフォークが評価されたのではないかと考えている。

「海外のバッターにはフォークが通用するというふうによく聞くので。僕は昨年のリーグやCS、日本シリーズで、フォークを投げ続けて、三振を取れていたので、たぶんそこを見てくださって、内定をいただけたのかなと思っています」

 このオフは、12月はほとんどボールに触らずトレーニングに明け暮れた。課題としていた下半身の柔軟性を改善するため、初めて初動負荷トレーニングにも取り組んだ。

 1月に入るとすぐにキャッチボールを始め、内定の連絡を受けた日からWBCの公式球で練習を始めた。

「最初に握った時は、NPBのボールと全然違う感じがして、これ大丈夫かな?と思いました。(縫い目の)山が大きいんですけど、低くて滑る感じがして。でも投げていくと、最初の印象よりも全然投げられて、時間の問題かなという感じです。ピッチングでもだんだんいい球が行き始めました。フォークは、すごく落ちますね」

 唯一の不安材料は人見知りだ。昨年初めて一軍に昇格した時も、最初は遠慮してなかなか素を出せなかった。

「そこがちょっと心配で。(WBCに選出された同級生の山本)由伸は先発だし。(山崎)颯一郎がいたら、僕はそのうしろについて、できるんですけど、今回はそれができないので……」

 そう言って、少し心細そうに大きな体をすぼめた。そこは、山本と宮城大弥、それにWBCでブルペン担当コーチを務める、オリックスの厚澤和幸投手コーチになんとかフォローしてもらおう。

 昨年、短期間で日本球界に強烈なインパクトを与えた豪腕が、今度は世界を驚かせる。

文=米虫紀子

photograph by JIJI PRESS