18年間の現役生活に終止符を打った金子千尋(39歳)。今季から北海道日本ハムファイターズのコーチとして後進の指導にあたる。メジャーリーグへの指導留学を予定するなど、新しいスタートを切った頭脳派右腕に今後の展望を訊いた(聞き手/田中大貴)。

――昨年10月に自由契約になってから、引退を決断するまでに2カ月ほど時間がありました。

金子 実はシーズンが終わったときは「来年もやる」と決めていたんです。(引退は)頭の中にありましたが、もしどこかの球団から呼んでもらった時に準備ができていなかったら失礼だと思っていたのでずっとトレーニングをしていました。練習する回数は例年より多かったかもしれないですね。

――「もう1年やる」と決意できた理由は?

金子 一軍で最後に投げたのは5月でしたが、1年間通して投げられたことが大きいですね。当然、球速の衰えはありますが、その中で抑え方が変わってきた。それを自分の中でちゃんと消化して、違うスタイルができあがるのではないかという思いがあったんです。それを新しいシーズンで試したかったなと。

――これまでとは違うスタイル?

金子 ヤクルトの石川(雅規/43歳)さんのストレートの使い方をすごく参考にしていました。変化球で打ち取るというスタイルではなく、いろんな球を使って、最後にストレートで抑える。そういう投球が少しずつできるようになってきたかなという感覚がありました。

ストレートは「速さ」よりも「コントロール」

――ストレートといえば、かつては「ベース盤でボールの勢いが最も強い」と言われたこともありましたね。

金子 ストレートは速さよりコントロールですね。狙ったところに投げられるというのがやっぱり一番大事。もちろん150キロを投げたい気持ちは今もありましたが、それに囚われすぎると自分のピッチングができなくなってしまう。同じストレートの中でも、バッターがタイミングをずらすような球を投げたかった。130キロのフォームで140キロを投げられたら、そこにはもう10キロの差が生まれる。そういう小さな変化でバッターを惑わして、何で打てないんだろうとバッターに思われたいわけです。(沢村賞を受賞した)2014年は自然とそれができていました。

――オファーもあった中で、登録枠の関係などで話がまとまらなかった。まだ投げたいという思いもありながら、最終的に日本ハムのコーチ打診を受け入れた理由は何ですか?

金子 NPBに絞っていましたから、簡単にいえば、プレーできる球団がなかったということに尽きます。でも、そんな中でありがたいことにファイターズは(コーチ打診に対する)僕の答えを尊重して待っていてくれました。現役ドラフトを終えて、1週間後に改めて自分の中で整理して返事をしました。

――心機一転、これからはコーチ業ですね。どんな指導者になりたいですか?

金子 選手それぞれ求めるものや意識していることは違うので、“同じコーチング”はしたくない。選手に合ったものをしっかり見つけられるような指導者になりたい。求められることに全部答えられるように、いろんな引き出しを作っておきたいです。

――2月からはMLBテキサス・レンジャースにコーチ留学すると伺いました。

金子 球団からは「自分のやりたいようにやってきてくれ」と言っていただきました。それはそれでプレッシャーがありますね……(笑)。

――現役時代からアメリカで自主トレを行い、シアトルのトレーニング施設「ドライブライン」にはいち早く足を運んでいましたね。やはりアメリカで学んだことは大きかった?

金子 たぶん、アメリカに行っていなかったらもっと早く引退したかもしれないし、今も投げられてないかもしれないですね。アメリカは全てを数字で出すんです。選手としてもその方がわかりやすいし、頑張れると思うんですよ。ここが弱い、ここが強い、ここをこうすれば球が速くなる、とか。どうしても日本はまだ感覚的な部分が多いので、納得しづらい側面もあると思う。そういうところはうまく活用したいです。

――コーチになってからも数字は大事にしたい?

金子 そういう時代ですから。でも、数字に囚われすぎてしまうことに怖さもある。ドライブラインには莫大なデータがあって、みんなそこに当てはめられたら、平均というか、どのピッチャーも同じ投げ方になってしまうんじゃないかと。

――全員が同じ球を投げるマシンのように「再現性」ばかりを求めてしまう。

金子 そうなると当然バッターは対応しやすくなりますよね。野球には数字に表れないものが絶対にある。ファイターズで言ったら、加藤(貴之)がいい例です。スピードはそこまでなくてもバッターは数字以上に速く感じているわけですから。アメリカの指導や研究は日本の先を行っていると思っていますが、それが全て正解だとは限らない。最先端の技術、コーチングを身につけた上で、日本人に合う部分を混ぜながら自分なりに整理して選手に届けたいなと思っています。

開幕戦でも「最後の登板」と思って投げる

――少し現役時代のことも振り返らせてください。以前の取材でおっしゃっていた「初回全力」という言葉が印象に残っています。

金子 初回というか、もっと言うと初球ですね。極端ですが、そこで一番いい球を投げるために、(ローテーションの)6日間があると思っていました。もちろん、試合の最後の球も大事。少し矛盾しますが、最初も最後も同じ球が投げられるようなトレーニング、コンディショニングが大事だと思うんです。

――試合の入り、そして最後の球の質が伴ったときは、いい結果が出ていた?

金子 たぶん、その時は「完封」していたと思います。いつもマウンドに上がる試合が常に“最後の登板”だと思っていました。たとえ開幕投手だったとしても、その後の試合のことは考えずに、まずは目の前の試合に臨む。バッターも本気なのに、こちらが次の試合のことを考えてボールを投げたら、その時点で負けだと思うんです。だから初球が大事。マウンドに立つ時は腕がちぎれるぐらい振る、すべてを出し切るという気持ちしかなかったです。

――やはり「完投」や「完封」にこだわりはある?

金子 先発や完投に特別なこだわりはないです。トヨタ自動車からプロの世界に入ってきた2、3年はほとんど中継ぎだったので、完封の「か」の字も考えたことがなかったぐらいですから。ただ、やっぱりピッチャーは試合の最後までマウンドにいたいもの。みんながマウンドに集まるあの場所にいたい。それを味わえるのは、完投、完封だけですよね。極端に言えば、そのために頑張るみたいな(笑)。

――となると、生涯ベストゲームも完投、完封した試合になるんでしょうか?

金子 そうですね。初めて完封したときは、「あっ、まだ成長できるんだ」と嬉しかったのでよく覚えています。でも正直……思い出に残る試合は? いいピッチングは? と聞かれても、真っ先に浮かぶのは悔しい試合ばかりで。

――悔しい試合?

金子 たとえば2011年の最終戦、ソフトバンク戦です。勝てばクライマックスシリーズ進出。ソフトバンクはすでにCS進出を決めていましたが、確か(D・J・)ホールトンの最多勝が懸かっていて、当たり前ですけど向こうも本気でした。そこで勝てなかったという悔しさは、今でも忘れられません。
※ソフトバンクに敗れたオリックスは勝率.0001差で4位に転落

――14年には投手にとって最高の名誉である「沢村賞」を受賞。それでも「優勝」は遠かったですね。
※2014年、オリックスは年間80勝を挙げるも、勝率差でソフトバンクにリーグ王者の座を譲った。同年、金子は16勝・防御率1.98の記録を残して投手2冠に輝き、最優秀選手にも選出されている。

金子 自分が成績を残したとしても、チームが勝っていないと喜べないんです。僕の成績はそこそこでいいので、とにかくチームを優勝させたかった。それが本音です。確かに沢村賞やMVPを取らせてもらいましたが、「そういえば取ったな」くらいであまり印象に残っていないんです。

覚醒前の山本由伸から質問

――対戦相手としては複雑な思いだったかもしれませんが、昨季は、同じ時間を過ごした後輩たちが見事に日本一を果たしました。エースの山本由伸選手はちょうど金子さんがオリックスに在籍していた頃に入団してきましたよね(2017年)。現在の活躍ぶりをどう見ていますか?

金子 最初は人伝に「高卒ルーキーですごいピッチャーがいる」と聞いていました。コーチ陣から「由伸がこんな投げ方をしたいと言っているんだけど、どう思う?」と相談を受けたこともありましたね。いわゆる“やり投げ投法”をちゃんと見てなかったので「さすがに難しいんじゃないですかね」と言った記憶があります。でも、実際に投球を見たら、あっ、これはほんとにすごいぞと(笑)。

 投げ方もそうですが、何より高卒2年目で自分のスタイルを曲げない芯というか、いい頑固さがあった。そういう気持ちの強さを持ち合わせていたので、由伸はすごいピッチャーになるだろうという予感はありましたね。

――何か質問されたことはありますか?

金子 たしか、彼が2年目のキャンプ初日、プロで戦うための基盤をつくっていた頃だと思うのですが、「投げ込みはしたほうがいいんですか」と質問されました。そこで僕は「ある程度の投げ込みは必要。でも、やらされる投げ込みはやらないほうがいい」と。前向きな投げ込みであれば、故障につながりにくいと伝えました。

――オリックスのエースとして、似ている部分は?

金子 似ている部分ですか……見つけられないですね(笑)。由伸を見てすごいと思うのは、まだ若いのに大舞台でも試合をすごく楽しめていること。投げている途中も笑顔を見せますよね。僕は正直、楽しめてはいなかったですから。笑っていたのは勝った瞬間だけ。今、考えると勝手にプレッシャーを感じていたのかなと思いますね。

――当時の山本投手のように、今、金子さんが期待している若手投手はいますか?

金子 たくさんいますよ。もうすでに注目されていますが、高卒2年目の畔柳(亨丞)くんはほんとにすごいですよ。キャッチボールをたまにする機会がありましたが、球が強く、もう手が痛くて。捕ったときに(グローブの)ポケットの上に当たるんですよ。

 あと、由伸にも通じる部分ですが、彼もとても素直で。そして自分が何をすべきかというのをわかっている気がします。課せられる練習も大事なんですけど、考えて練習できているというか。現状はまだピッチングフォームとボールが一緒ですし、どうしても力で行ってしまうところがある。だから、今はとにかく経験ですね。バッターとの駆け引きやバッターの対応をもう少し観察できるようになったら、そこまで力を入れなくても抑えられるという感覚がたぶん出てくるので。

――チームメイトとして接した時間は今後の指導にも生かせそうですね。個人的なことですが、金子さんは引退したら野球から離れるのではないかと思っていました。

金子 それは自分でも思っていました、違う世界に一度飛び込んでみたいと。でも、今回のようなチャンスは今しかないかもしれない。なんだかんだ野球が好きで、野球のことを考えている時間はそれなりに長いと思う。だから今のうちにできることはやりたい。あと、指導を通して人間的にも成長したいという思いもあります。常に何かを求められる人間でないと、生きてる価値がないかなとも思うので。

――ご活躍を楽しみにしています。ありがとうございました。

金子千尋(かねこ・ちひろ)

1983年11月8日、新潟県出身。長野商高からトヨタ自動車を経て、2004年ドラフト自由枠でオリックス入団。07年から先発に転向すると、先発ローテの一角として活躍。10年に最多勝タイトルを初受賞(17勝)。14年には沢村賞に選出されるなど球界を代表するエースに。19年に日本ハムへ移籍、22年限りで現役を引退。23年より日本ハムの特命コーチに就任

[協力]トータル・ワークアウト渋谷店

文=田中大貴

photograph by Tomosuke Imai