1月10日、千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督はスタッフミーティングに臨んだ。就任して初めて一、二軍の首脳陣やスタッフが一堂に会しての場。終了後、取材に訪れた報道陣に「きょうは特に何も決めていない。最初から何かを決めるつもりはなかった」とコメントすると、ニヤリと笑った。
この日のメインテーマは「ディスカッション」。チームとしての長所・弱点、そして昨シーズンの良かった事、悪かった事、反省点を考えてもらい、それを受けて取り組むべきことをピックアップすることが目的だった。
より分かりやすくするために、それぞれの考えを付箋に書いてホワイトボードに貼り、続けてすぐに出来る事、時間がかかる事に区分けした。すると、取り組むことの順番、優先順位が鮮明に浮かび上がってくる。
「これはビジネス的なアプローチ。意見の見える化。ビジネスの部分を野球に置き換えた。監督としてまずやってみたかったこと」
実際にキャンプでどこから取り組むかは次回の宿題に持ち越し。それぞれが持ち帰って、考えてくることにした。「考えてもらうこと。意見を出す場を作って、意見を出してもらうことが大事だと思っている」と、吉井監督は意図を説明する。
「なるほど」と唸った新しい発見
付箋には、すでに指揮官の頭にあった課題や取り組むべきことが書かれたが、新たな発見もあった。
「先発投手のコンディションを1年間通してしっかりと維持することが大事という意見もあった。1年間を考えると連投するリリーバーの疲れの方に目が行きがちになるけど、考えてみると先発の方がイニングを投げるわけだし、貢献度もすごい。なるほど、と考えさせられた」
吉井監督は、2014年から16年にかけて筑波大学大学院でコーチングを学んだ経験がある。そして、これまでインプットしてきた他ジャンルの指導者の声やアプローチをなんとか生かそうとしている。
キャンプが始まる前の1月23日、1回目で出された意見をもとに再度ミーティングを開いた。まず、2月の期間で何を取り組むか。最初のミーティングで「見える化」をしていたことでそれぞれの頭の中はより整理されていた。会議はスムーズに進み、方向性が決まった。
ZOZOマリンスタジアムの監督室のホワイトボードには自分への戒めのように『自己決定を尊重!』と書かれている。
しっかりと観察をする。選手たちが自分たちで考え、その考えを口にしてもらい、最後、考え抜いた自己決定を尊重する。コミュニケーションをたくさんとり、沢山の質問を受ける中で選手自身が最終的には結論を出していけるように導いていく。選手たちのモチベーションを上げる環境作りを考え、実践をしていこうとしている。それが吉井流。これはコーチ陣も同じだ。コーチそれぞれが考え、導き出した答えを尊重しながら戦っていく決意だ。
「自分の現役時代もそうだったけど、周りからやれと言われてやったことよりも、自分でいろいろと考えてやったことの方がうまくいった。そこは大事かなと思っている。あと、まずは、できることをする。できないことを無理してするのは一番ダメ。だから、自分になにが出来るか。長所はなにか。しっかりと自分と向き合って考えて欲しい。自分を知って欲しい」
「経験学習モデル」とは?
そしてもう1つ、ホワイトボードには『経験学習モデル』とも書かれている。
これもビジネスパーソンの間で行われている学習方法の1つだ。「具体的経験をする」→「内省する」→「教訓を引き出し概念化と抽象化をする」→「実践」。このサイクルはビジネスの世界はもちろんプロ野球においても大事で、より積極的に採用をしようと考えている。
最近はスポーツでの成功事例がビジネスで取り入れられることが多いが、当然、その逆もある。冒頭で紹介したように、吉井監督はビジネスシーンから良い事例を見つけ、取り入れてみようと考える。さまざまなジャンルにもアンテナを張り巡らし、そして試す。だから、選手たちにも同じようにチャレンジすることの大事さを説くのだ。
1月31日。石垣島春季キャンプを前にした全体的ミーティングも特徴的だった。
「興味をもってもらえるミーティングにしたいと思っていた」と振り返った吉井監督は時折、ユーモアを交えながら話を展開した。
全体ミーティングでは、ノーベル物理学を受賞したアルベルト・アインシュタインの言葉を2回も引用した。いずれも『経験学習モデル』の大事さを説明するうえで分かりやすく伝えるための手法と言えた。
(1)“常識”とは18歳までに身につけた偏見のコレクションの事を言う
吉井監督は、次のように補足した。
「皆さんは常識にとらわれずにやって欲しい。突拍子もないことから、とんでもない事を閃くことがある。失敗をおそれず、積極的にトライしてください」
(2)何かを学ぶのに、自分自身で経験する以上に良い方法はない。間違いを犯したことのない人とは、なにも新しいことをしていない人だ
こちらも失敗を恐れずに挑戦をすることを伝えている。
吉井監督がアインシュタインの言葉に出会ったのは、中学生ぐらいの時。当時は理科が好きな少年だった、と過ぎ去りし日を振り返って笑った。
「アインシュタインとジョン・レノンが好き。たぶん中学生だったと思うけど、たまたま、アインシュタインの言葉をみかけた。『こんなんあるんや!』と思ったね。好奇心を持ちなさいと訴えかけてくれているようだった。当時の吉井少年の心にはすごく引っ掛かった」
月日は流れ、髪はすっかり白くなった。58歳になる2023年は、前年5位に沈んだマリーンズを指揮する立場。選手全員を集めての最初のミーティングで、少年だった頃に一番、心に残っているアインシュタインの文言を選手たちに伝える言葉として選んだ。中学時代から繋がった不思議な縁に感謝した。
ダルビッシュ、大谷、朗希の共通点
さらにファイターズのコーチ時代に共に戦い、世界で羽ばたいていった投手2人とマリーンズで注目を集める若き右腕の名前を出して、選手たちに発破をかけた。
「常識に凝り固まるとあまり伸びない。好奇心がある子の方がやっぱりうまくなっていく。ダルビッシュ(有)も、大谷翔平もそうだし、今の佐々木朗希もそう」
そんな吉井マリーンズのチームスローガンも、らしいものとなった。
『今日をチャンスに変える。』
この言葉には色々な意味が込められている。今の自分を考え、毎日何ができるかを考え、それをチャンスに変えて欲しいという吉井監督の想いも含まれている。ただ、指揮官はあえてスローガンに込められた想いを細かく提示しなかった。
スローガン発表のリリースコメントにこんな言葉を添えている。
「人それぞれの捉え方、色々な意味があると考えている。チャンスという言葉にも色々な意味があり、必ずしも好機だけがチャンスの意味ではない。失敗だってチャンスに繋がっている。選手たちそれぞれが、それぞれの立場でこのスローガンの意味を解釈して取り組んで欲しい」
キャンプ前のミーティングの場でも、選手たちにスローガンの意味についてディスカッションをしてもらった。
「毎日がチャンスだと思ってポジティブに毎日取り組むこと」
「今日プレーをする機会をしっかりものにできるように」
「日々、新しい日が来るので新たな自分を毎日だせるようにすること」
色々な解釈があった。その一つ一つに耳を傾けながら若い選手たちにやさしく微笑みかけた。しかし、吉井監督はほほ笑むだけでそれ以上は何も言わない。すべての解釈が正しい。それぞれが自分たちで考えて、感じ取ったことのすべてが正解。何事もすぐに正解を求めたくなる現代社会において、世の中には必ずしも正解があるものではなく、それぞれが必死に導き出した答えを信じて取り組んで欲しいとのメッセージでもあった。
指導に正解はない「アップデートしないと」
08年から12年まで北海道日本ハムファイターズで、15年は福岡ソフトバンクホークス、16年から再びファイターズの投手コーチを務め、19年からマリーンズで指導にあたってきた。ただ、指導者においてはまだ道半ば。まだまだ知らない指導方法はたくさんある。興味のあるアプローチがある。それらを積極的に取り入れ、マリーンズを新しい形の「常勝軍団」といわれる魅力的なチームにしたいと考えている。
「つねに指導に正解はなく、アップデートをしていかないといけない。ノートにメモしながら、日々、指導について考えている。なにかもっといいアプローチはないかとね。最近はスポーツ心理学の先生が話されていた意識の話が気になっている。無意識の意識。人には無意識のうちにいろいろなバイアスがかかる。偏見というか、思い込み。それで行動が偏ったりする。まだ勉強中のことで自分の中で整理できていない話なのだけど、すごく興味をもっている」
2月1日、石垣島で吉井マリーンズが始動した。主体性を重んじる新しいタイプの集団が、プロ野球界に新風を吹き込む。
文=梶原紀章(千葉ロッテ広報)
photograph by Chiba Lotte Marines