2月5日に開催された全国中学生クロスカントリー大会(びわ湖クロカン)は、試合とは別の面でクローズアップされた。エントリーしていたドルーリー朱瑛里の欠場と、その経緯が多くの反響を呼んだからだ。

 この1カ月弱、中学3年生のドルーリーは脚光を浴び続けた。多くの記事が掲載され、テレビのワイドショーでも取り上げられた。

 きっかけは1月15日に行われた全国都道府県対抗女子駅伝だった。3区に出場したドルーリーは38位でタスキを受けると21位でつないだ。実に17人抜きを達成し区間新記録をたたき出したのだ。以前からトラックで好成績を残していたが、この駅伝を機にその名は陸上界を超えて知られるに至った。「10年に一度の逸材」「日本陸上界の宝」といった言葉も飛び交った。

 1月29日には「晴れの国 岡山」駅伝に出場、3人抜きの区間新記録で駆け抜けた。岡山の大会であり全国的に報じられることは例年ならあまりないが、この日は異なった。沿道にはいつにないほどの観客が詰めかけ、報道陣も足を運んだ。全国放送のニュースなどでも扱われたのは、異例のことと言えた。ドルーリーの走りを伝えるためだった。

ドルーリーが明かした「過熱報道への戸惑いと恐怖」

 この駅伝に続いて予定していたのが全国中学生クロスカントリー大会であった。だが大会を前に欠場を発表。理由をコメントとして公にしているが、ドルーリーはこう綴っている。

「クロカンは走ったことがなく、挑戦したい気持ちで申し込みをしましたが、先日の晴れの国駅伝を経験して、報道の方々への対応や、周りの方々からの撮影や声かけの対処にとても不安を感じましたので、やむを得ず琵琶湖クロカンには出場しない決断をしました。

 都道府県対抗駅伝後の環境の変化で、練習が以前のように自由にできなくなり、過度な報道で精神的にも疲れることが多かったです。自分が発言していないのに、学業や趣味など陸上以外の事も大きく報道されて戸惑いました。

 一部の雑誌記者は近所や関係者に取材し、同級生の自宅も調べて取材に行ったようです。私のために、周りの方々に迷惑をかけることはしたくありません。過度な取材は今後控えていただきたいです。

 YouTubeや TikTokには、たくさん私の動画が上がっています。応援の思いも込めて動画をアップしてくださっているのだと思います。気持ちはとても嬉しいのですが、私の肖像権を無視して動画等をインターネットに上げる行為はやめていただきたいです。また、収益目的で名前と画像等使用することもやめていただきたいです。今後もっと無断で撮影される事が増えていくのではないかと考えると、とても不安です」

 1月15日以降のスポーツ紙やスポーツニュースにとどまらない報道の様子を捉えれば、相当の取材が殺到したことは想像がつく。沿道では多くの人がスマートフォンを向けていて、注がれた「視線」は相当だっただろう。そうした状況に、いきなり身を置かざるを得なくなったのだ。戸惑いや恐怖は自然でもある。そしてここに書かれているのはスポーツ界の長年の問題でもある。

 ドルーリーのように、スポーツの枠を超えるほどの注目を集めることで、具体的にどのような事態が引き起こされ、選手はどういった影響を受けるのか。これまでにもそうした状況に置かれた選手たちがいた。

安藤美姫に岩崎恭子、10代選手への日本の過剰なマスコミ報道

 例えばフィギュアスケートの安藤美姫は10代半ばあたりから脚光を浴び、苦しんだ選手の一人だ。

 14歳のとき、女子では世界で初めて4回転ジャンプを成功させ、16歳だった03年に荒川静香、村主章枝らを抑え全日本選手権初優勝するなどの活躍を見せると注目は加速した。将来を期待される一アスリート、という枠におさまらない存在になっていった。

 のちの取材で当時を振り返る中で、安藤はこのような話をした。

「毎日パパラッチが家の前にいました。家の前に広場があるんです。木々や草などを植えて自然のようにしているのですが、家に帰ってくると、木に座っていたり、草むらに隠れていて飛び出してきたり、横付けされた車から人が出てきたり。家を出れば尾行されました。近所の方々にも話を聞きまわって、迷惑をかけてしまいました。町に出れば、隠し撮りもされて」

 四六時中目を向けられる中、こう感じずにはいられなかった。

「自分の居場所がありませんでした。いられるのは自分の部屋だけでした。正直、怖かった」

岩崎の葛藤「金メダルなんて獲らなければよかった」の意味

 もっとさかのぼれば、競泳の岩崎恭子も周囲からの視線に苦しんだ一人だと言える。

 1992年のバルセロナ五輪に中学2年生、14歳で出場し金メダルを獲得。日本中が岩崎に熱狂した。試合の後の「今まで生きてきた中でいちばん幸せです」という言葉も広く知れ渡った。

 だが、幸福ではいられなかった。象徴するのは、これまでのさまざまなインタビューで語っている「金メダルなんて獲らなければよかった」と感じたという言葉だ。オリンピック直後の大会では人が殺到して危険であることから学校の校長も同行し、他の選手と控室を分ける措置がとられるという事態になった。

 自宅で待ち伏せする人、街中で追いかける人もいたし、「今まで生きてきた中で」という言葉を「14年しか生きていないくせに」というニュアンスで批判的に捉える人がいて、そうした声は岩崎本人にも届いていたという。姉と妹も競泳に打ち込んでいたが、「岩崎恭子の姉(妹)」として見られ、それが負担になった。金メダルなんて獲らなければ、という心境に追い込まれた。

“ワイドショーや一般紙の過熱報道”をどう考えるか?

 安藤、岩崎の2人にとどまらず、大衆的な注目を集め、それに苦しんだ選手たちがいる。

 共通するのは、取材するメディアはスポーツ関係にとどまらず、一般紙(誌)にも広がっていき、テレビ報道にはスポーツニュースだけでなく、ワイドショーなども参加すること。競技以外にも関心の目を向け、「あらゆる」と言ってよいほど情報を集めようとする。人柄、趣味、どんな生活を送っているか、好きな食べ物は……。それらの情報を得るために本人に密着するのはむろんのこと、周辺にいる人々に手当たり次第に取材にあたる。アポなどなしに、乱暴と捉えられる手法をとるケースもある。それを不快に思う読者(視聴者)は当然いて、場合によっては当のメディアのみならず選手に対して怒りの矛先を向けるケースもある。自身と周囲を固められて、安藤の言う「居場所がない」状態は簡単に形成される。

 メディアの過熱は一般にも波及する。SNSが発達した今日では、その影響はなおさら大きくなる。

 競技の成績に秀でていても、そこを離れれば一人の人間にほかならない。競技歴を重ねて、経験を積んできた選手なら対処の仕方を気持ちの面でも身につけているかもしれないし、トップアスリートであればマネジメント事務所なりなんなり、間に立つ存在もある場合が多い。でも、なんといってもドルーリーはまだ15歳だ。立ち位置は異なる。

 先にも触れたように、SNSそして動画サイトが活発となり、誰もがメディアと言ってもよい中、旧来のメディアとして取り組むべき課題があるのは当然である。容易ではないが、誹謗中傷や盗撮なども対処するべき問題であろう。

 少なくとも「窓口」となって間に入る存在があってもよいのではないかと考えるが、それにとどまらず、選手本人が圧し潰されることがないよう、我々メディアも取り組まなければならない。ドルーリー、そしてこれから同じような問題に直面する選手がいるであろうことを考えても。

文=松原孝臣

photograph by JIJI PRESS