プロ野球キャンプたけなわの2月6日、沖縄県那覇警察署に清原和博さんの姿があった。昨年2月23日に那覇市旭町の明治橋交差点で、右折する乗用車と直進するバイクが衝突する事故に清原さんたちは遭遇。足を骨折するなど重傷を負った男性の救護活動と交通整理を行ったことに、警察から感謝状が贈られた。
「自分はできることをしただけなので(感謝状は)わざわざという気持ちがあった」と照れた清原さんだが、与那城武署長は助けられた男性から預かったお礼の手紙を代読。行動を称えている。
1年前に沖縄にいたのも、表彰が1年後になったのも偶然ではない。清原さんは自らが起こした過ちによって、プロ野球界とは疎遠になっていた。いわばその「復帰戦」の舞台を用意したのが、PL学園の2年後輩にあたり、昨シーズン就任した中日の立浪和義監督だった。二軍も高校同期の片岡篤史監督ということもあり、キャンプ取材の場をセッティング。球場へと向かう国道で起こった交通事故だった。
すなわち今回の表彰日もキャンプ取材のタイミングに合わせたものだった。4日に一軍の北谷を、5日に二軍の読谷球場を訪問。練習を見学するとともに、旧知の関係者と旧交を温めた。
「去年に続き今年も中日のキャンプを訪問させていただきました! きのうは北谷球場へ、立浪監督はもちろん平沼さんにも再会できて嬉しかった。楽しみな選手も多く、今年はやってくれると期待がもてた!」
自らのツイッターには、互いに満面の笑みを浮かべた平沼定晴用具担当とのツーショット写真も投稿。清原さんより3学年上の平沼さんは、落合博満との1対4のトレードで1987年にロッテに移籍した。因縁の1球は1989年9月23日の西武戦。平沼からの死球に激高した清原が、バットを投げつけてマウンドに突進。ヒップアタックから両軍入り乱れての大乱闘に発展した。もちろん、現在は和解。こうして再会を喜ぶ仲になっている。
「きょうは読谷球場を訪問、片岡2軍監督に自ら出迎えていただき、小田コーチにも会えて元気をもらった。チームも活気があり、いい雰囲気だと感じた」
こちらの投稿にも片岡、小田幸平二軍バッテリーコーチとのツーショットが添えられていた。片岡監督は高校時代、小田コーチは巨人時代の球友であるが、昨年大晦日には同じくツイッターに小田コーチへの特別な感謝を綴っている。
「巨人時代の後輩で、現中日の小田コーチに書いてもらったアントニオ猪木さんの【道】。自分が間違った道を行き、留置されているとき送ってくれた達筆な手紙に支えられたことを思い出し、今年猪木さんが亡くなられたあと書いてもらった」
盟友に書いてもらった自戒の「道」
栄光の坂を駆け上がるとにわかに増える友人、知人が、罪を犯して転がり落ちると瞬く間に消える。しかし、小田コーチは手紙を差し入れ、励ましたという。再び道を踏み外すことがないよう、戒めも込めてリクエストした【道】。小田コーチが持つ色紙には、達筆でこう書かれている。
この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
アントニオ猪木
プロレスファンのみならず、一度は聞いたことがあることだろう。
もちろん、清原さんにとって肝心なのは野球の道。昨シーズンは立浪監督のはからいで、一足を踏み出せた。今年もまた一足……。野球解説者がキャンプ地を訪れる。当たり前のことではあるが、清原さんの場合はその積み重ねである。
スポーツ各紙の報道によると、練習を見学しただけでなく、立浪監督の要望もあり、期待の右打者にアドバイスを送ったそうだ。一軍では現役ドラフトでDeNAから移籍した細川成也、2年目の鵜飼航丞、二軍では左膝手術からリハビリ中の石川昂弥に打撃指導。確実性の低さが課題の細川、鵜飼には打席での心構えや変化球など投球の待ち方を伝え、昨シーズンも期待されながら故障に泣いた石川にはまずは完治を優先した上で、再離脱しないようフィジカルとの向き合い方を説いたようだ。
清原がつけた立浪監督への“注文”
立浪監督とのやりとりや、その後の報道陣との囲み取材では昨シーズン最下位に沈んだ「弱さ」だけではなく、優勝チームのヤクルトに勝ち越した「強さ」を強調。そして関西人らしく、笑いも忘れなかった。報道陣から「立浪監督への注文は?」と聞かれ、当意即妙に「選手交代を忘れないでください」と返した。審判に選手交代を告げるのを怠り、NPBから厳重注意処分を受けた後輩へのイジりに周囲は大爆笑。その上でツイッターはまじめに感謝の言葉で結んでいる。
「2日間にわたり迎えてくれた中日球団、ならびに球団スタッフのみなさまに心から感謝申し上げます」
危ぶむなかれ。迷わず行けよ。今回の新たな一足が【道】となる。
文=小西斗真
photograph by KYODO