雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」や写真を紹介します。今回は藤井聡太五冠と羽生善治九段にまつわる4つの言葉です(初出以外の段位などは省略)。

<名言1>
羽生さんの影響は大きいです。
(藤井猛/Number783号 2011年7月21日発売)

◇解説◇
 世間では「将棋の藤井」と言えば真っ先に思いつくであろう人物は藤井聡太……なのだろうが、将棋ファンにとってはもう1人の偉大な「藤井」がいる。藤井猛九段だ。

 彼の代名詞と言えば「藤井システム」である。

 藤井猛は1991年、20歳で四段に昇段した。羽生と同じ1970年生まれで「羽生世代」の一員として知られる。同世代においては羽生がトップランナーで、それに続く森内俊之九段、佐藤康光九段、郷田真隆九段らから少し遅れての台頭だった。

 サッカーならフォーメーション、野球で言えば打撃・投球フォームが個性的なチームや選手が活躍すると注目が集まるが……90年代後半から2000年代前半にかけての「藤井システム」は、まさにそのような状態だった。独特の振り飛車戦法でトップ棋士を攻略し始めたからだ。

 そして1998年、竜王戦挑戦者決定戦で当時四冠の羽生を破ると、タイトル保持者である谷川浩司にも4連勝。棋界が誇る2人の天才を鮮やかに撃破し、そこから竜王戦3連覇を成し遂げた。

羽生さんが斬新な手を指して七冠を獲った姿を見てますから

 盤面に配された「藤井システム」の美しさに魅了されたファンも数多い。しかし藤井猛は自身の才能について、こう自虐していたことがある。

「僕ね、直感がないんですよ。第一感というヤツがね。局面をひとめ見て、この一手、なんて浮かばない。閃かないんです。(中略)直感のある人が羨ましいです。手が見えるなんて、僕とは無縁の世界。局面を把握するだけで大変です。そもそも頭の構造が将棋に向いていないんですよ」

 こう語りつつも、自身が将棋界で確固たる立ち位置を築くに至ったのは――同世代の羽生の才能をずっと目にしてきたからだ。

「本筋と外れることに抵抗はなかった。若い頃の羽生さんが斬新な手を指して七冠を獲った姿を見てますからね」

 ちなみに「藤井システム」を藤井猛以外にただ1人、ほぼ完璧に指しこなせたのは、羽生だけだったという。この話には余談がある。2017年3月に行われた非公式戦「第零期 獅子王戦」決勝で、羽生善治と藤井聡太が対局することになった。この一局で羽生が用いたのが「藤井システム」。この戦型を用いた羽生が藤井に勝利したのは、当時ファンにとって話題となったのだった。

後について行く私たちは羽生さんをお手本として

<名言2>
羽生さんが一歩前に出てくれて、後について行く私たちは彼をお手本として、それを学んで強くなっていくという形でした。
(森内俊之/Number1018号 2021年1月7日発売)

◇解説◇
 タイトル通算99期という途方もない大記録を持つ羽生に対して、「羽生世代」最大のライバルとして名勝負を繰り広げたのは森内だ。

 初の七大タイトルこそ羽生の19歳での竜王獲得に対して、森内は31歳の名人獲得だったが、18歳にして全日本プロトーナメント(現・朝日杯将棋オープン)優勝を果たすなど、彼もまた新世代の象徴として若き日から実力を見せていた。さらに2000年代には羽生と名人戦などで名勝負を繰り広げ、2007年には名人位通算5期獲得で十八世名人の資格を保持してもいる。

「中学生のうちに棋士になることを入会したときに目標として定めていました。16歳四段でも一般的には早い方なんですが、羽生さんから1年半ぐらい遅れ、1歳年長の佐藤康光さんにも遅れを取ってしまっていたので、うれしいという感じではなかったですね」

 森内は奨励会時代について、このように語っていたことがある。それでも長年にわたってトップ棋士として戦い続け、現在でも「毎日いろんな学びがあります。次にこれを直して行けばいいってことがわかるので、楽しいんです」と、盤面に向かう姿は今もなお若々しさを感じさせる。

 ちなみに羽生は――森内が立会人を務める王将戦第4局の前夜祭で――こんな風に語っていた。

「王将戦というのは一局を2日間、持ち時間8時間で対局しているわけですが、何事もスピードの時代の中で、1つの勝負に2日間かけて行うというのはかなり珍しいことなのではないかなと思っています。それと同時に将棋というのは――それだけ長い時間費やしても、なかなか分かることができない奥深いものなのだなと思っています」

 名人戦、王将戦など2日制の対局では、凡人では計り知れないほどの頭脳を駆使して、盤面の未来を読んでいる。森内ら歴戦の名棋士と戦った時間が、羽生の大局観にとって大きな土台となっているのだろう。

違うだろ。藤井君を意識しないと

<名言3>
藤井さんが登場して、自分の立ち位置を考えさせられました。
(八代弥/Number1044号 2022年1月20日発売)

◇解説◇
 藤井聡太という才能に対して、彼より年齢的には少し上の20代の棋士それぞれが感じ入ることがあるようだ。2022年初頭に発売されたNumberの鼎談で高見泰地七段、三枚堂達也七段、八代七段が集い「藤井聡太の“最強の一手”」について語り合った。

「藤井さんは高性能のパソコンみたい」(三枚堂)

「ただ、対局していないときは普通の青年ですよ。ABEMAトーナメントで同じ『チーム藤井』の伊藤匠君が菅井(竜也)さんと戦った試合を藤井さんと見てました。そこで『観る将』のように盛り上がったんです」(高見)

 それぞれが盤上・盤外の藤井聡太評を大いに語っていたが、やはり3人は藤井将棋の凄みを感じ取っていた。特に八代は藤井が三段の頃に「初めて指した」そうで、その時点で才能のきらめきを感じ取っていたそうだ。

 それゆえ、棋士の食事場だった「みろく庵」で高見と語り合ったとき、高見が「藤井君もすごいけど、同世代についていくのが大事」と話すと、八代はこのように返したという。

「違うだろ。藤井君を意識しないと」

 その後、藤井はデビューから無敗のまま新記録となる29連勝を果たしたのだった。

17歳最年少棋士が語った“王者・藤井聡太の印象”

<名言4>
藤井先生は今も強くなっている。でも、ちょっとでもいいから僕の方が強くなるスピードを速くしていかないといけないなと。
(藤本渚/Number1060号 2022年10月6日発売)

◇解説◇
 藤井聡太がデビューを飾って6年余が経ち、新たな世代が将棋界に台頭している。例えば同学年にあたる伊藤匠五段は2月7日に行われた順位戦C級1組で全勝をキープし、来期B級2組への昇格も見えてきた。そんな彼らのさらに年下、現在最年少棋士の17歳・藤本四段にも注目が集まりつつある。

 昨年10月に四段昇段した藤本は2月6日に行われた竜王戦6組、神谷広志八段戦で“会場間違え”で不戦敗となり、思わぬ注目が集まった。しかしそこまでにデビューから6連勝を飾っているのも事実だ。

 憧れの棋士として羽生の名前を挙げる藤本は、四段昇段直後のNumberのインタビューで「怖いです」「不安です」と何度も口にしていた。プロの世界という荒波に恐怖を抱えていたのは事実だろう。それと同時に――藤井聡太について質問した時の答えが冒頭の言葉だ。

 学年で3つ上の王者に対して、大きな畏敬の念を払いつつも「じゃないと一生追いつけないので」と、棋士としての誇りを少しずつ身につけようとしている。

「その分、充実感もあったと思っています」

 迎えた王将戦第4局。羽生は前日検分で藤井将棋について「やはり藤井さんは棋譜で見ているだけではなく、実際に対局してみても毎回、内容の高い将棋を指されるなという印象を持っていますね。今まで後手番が2局ありましたけど、自分の方がはっきり有利だったという瞬間は多分1回もなかったと思います」と話した。

 一方で藤井は前夜祭で「ここまでの3局は持ち時間8時間ということもあり、一手一手非常に難しかったんですけども、その分、充実感もあったと思っています」と語っており、対局で過ごす時間をまた自らの糧としているようだ。

 さらなる高みを目指す藤井聡太に対して、今も高みを見続ける羽生。戦型は角換わりで進行する中で、どのように2日制の戦いに挑んでいくのか。

文=NumberWeb編集部

photograph by 日本将棋連盟