WBC東京プールの全日程が終わった。全試合を観ていろんな感慨を抱いたが、新鮮な発見だったのは「チェコ共和国の野球が好きになった」ことだ。筆者だけでなく、かなり多くの日本の野球ファンがそうなったのではないか。
若き日の鈴木誠也や近藤、高校時代の清宮も対戦
筆者が「チェコ野球代表」を見るのは3回目だ。
1度目は2014年、台湾で行われた「第1回21U野球ワールドカップ」。チェコは欧州代表で出場。イタリア、メキシコに勝ち2勝3敗。日本には0-15で敗れた。この大会に日本からは鈴木誠也や近藤健介、牧原大成などが出場していた。チェコの試合はメインの台中洲際棒球場ではなく、老朽化した体育署台中棒球場と言う小さな球場で行われることが多く、関係者以外のお客はほとんどいなかった。
2度目は2015年の「第27回 WBSC U-18 ベースボールワールドカップ」。チェコは8月31日、大阪、舞洲球場での日本戦で、甲子園を戦った直後のオコエ瑠偉、森下暢仁、まだ1年生だった清宮幸太郎などに0-15で敗れた。これも含めてファーストラウンド5戦全敗。メンバーには今回のWBCにも出場している内野手のヴォイチェフ・メンシクの名前がある。どちらの試合でもスタンドには選手の家族が駆けつけていたが、選手も家族も「楽しそう」で、まなじり決して試合に臨む日本とは対照的だった。
監督の采配から見る「チェコ野球の進化」とは
今回のチェコ代表も「楽しそう」なのは変わらないが、当時と比べても明らかに進化していた。
筆者が感服したのは、51歳のパベル・ハジム監督の采配だ。チェコ国内リーグの名外野手で、チェコ野球のレベルを引き上げることに尽力したが、本職は神経外科医である。
理知的な采配が光ったのは、3月10日の中国戦。ハジム監督は先発のダニエル・パディサック、2番手のマルティン・シュナイダーをいずれも「49球」で降板させた。今回のWBCの1次ラウンドの球数制限が「50球以上を投げた場合は中4日以上、30球以上は中1日以上の登板間隔を空ける」となっていることをはっきり意識していたからだ。
この大会、中国や韓国は、打ち込まれると小刻みに投手を交代させた。それは試合時間が長くなった一因にもなったが、チェコは劣勢でも優勢でも、投手の適性を見てマウンドに上げているという印象があった。中国戦、チェコは4投手の継投で終盤まで4−5と粘りを見せ、最終回にマルティン・ムジクのホームランなどで大逆転。8対5でWBC本戦初勝利を挙げた。
今大会は1日ごとの通し券となっている。夜の日本戦がお目当てで、昼の試合を「ついでに見た」ファンが多かったと思うが、そんな日本のファンも無印のチェコの奮闘に驚いたはずだ。
日本戦で先発登板したサトリアの“全球チェンジアップ”
ハジム監督が恐るべき手腕を発揮したのが、翌11日の日本戦だ。チェコの主要な投手については、チェコ代表と何度も対戦しているオーストリア代表の坂梨広幸監督から予備知識を仕入れていた。しかし、この日本−チェコ戦の試合前に、外野でウォームアップをし始めたのは、そのリストにはないオンドレイ・サトリアという投手だった。1997年生まれの26歳で、175cmと決して大柄ではない。まるで漫画「ダーリンは外国人」に出てきそうなひげを蓄えて、捕手のマルティン・チェルベンカとゆっくりキャッチボール。本当に彼が先発投手なのだろうか? と感じたほどだ。
一方、日本の先発は190cmの佐々木朗希、160km/h超の剛速球の前に、チェコ打線はひとたまりもないかと思えたが――1回、2死から3番マレク・クルップが左翼に二塁打、続くチェルベンカの遊ゴロを中野拓夢が一塁に悪送球して先制の1点が入る。
その裏、マウンドに上がったサトリアが投げたのは球速125km/h前後。“嘘だろ?”と言いたくなるような遅球だった。変化球はさらに遅くて110km/h前後。しかしこのサトリアの前にヌートバー、近藤健介が連続三振、大谷翔平が一ゴロに倒れる。公式サイトによれば、サトリアの球は「チェンジアップ」となっていた。チェンジアップとは、速球の軌道で投げられる「遅い変化球」であって、速球を見せ球にしてこそ生きるはずだが、サトリアは「すべてがチェンジアップ」なのだ。
サトリアは3回には大谷翔平を空振りの三振に切って取り、大谷が渋い表情を浮かべたのが印象的だった。とはいえさすがに侍打線も徐々に適応しだし、最終的にはサトリアは3回自責点3で負け投手になるのだが――史上最強とされる侍打線を、一時的にせよ慌てさせたハジム監督の手腕は素晴らしい。チェコにも150km/h程度を投げる投手は何人かいるものの、そのレベルで日本を抑えるのは難しいと判断して遅球投手サトリアを起用したのだろう。
ちなみにサトリアはチェコ国営電力会社に勤務するサラリーマンだ。
日本戦で心をつかみ、かつての大リーガーも奮闘
日本戦での予想以上の奮闘は日本ファンの心に残った。そしてそれ以上に、試合終了後、三塁側に集結したチェコのナインが、手を高く上げて日本チームを称賛する拍手を送ったことが大きな話題となった。チェコは「相手チームをリスペクトする」と言うスポーツマンシップの基本を示した。その中で「侍ジャパンが勝利すること」にフォーカスしていた日本のファンには、一陣の爽風のような印象を与えた。それもあって日本戦以降、チェコの試合に注目するファンが増えたのは間違いないだろう。
チェコでもう一人、強く印象に残ったのがエリック・ソガードである。
チェコの選手の多くは「本業」を持っている。内野手のヤクブ・ハイトマル、捕手のチェルヴェンカは営業職、外野手のマルシェ・ドゥボヴィは教師、投手のルカーシュ・フロウフは電力会社勤務、ダヴィッド・メーガンは出版社広報だ。しかしソガードは野球選手、それも正真正銘の「メジャーリーガー」だ。
田中将大、黒田博樹、前田健太からも安打を
2010年にアスレチックスでメジャーデビューしてから、ユーティリティプレイヤーとして昨年まで815試合に出場。捕手を除くすべてのポジションを守り、投手としても5試合に登板。こういう選手をMLBでは「スイスアーミーナイフ」と言うが、眼鏡をかけた知的な風貌が一部に熱狂的な人気を博していた。このたび自身のルーツがあるチェコに帰化したことで、WBCに出場することができた。
なお田中将大とは8打数3安打1本塁打、黒田博樹は6打数2安打、前田健太にも8打数3安打と日本人投手を得意としている。
ソガードは2番二塁手で全4試合に出場、16打数7安打1打点1盗塁、打率.438とチーム一の成績を残した。特に第4戦のオーストラリア戦の8回、1−6と負けている局面、ソガードは2死走者一塁で三塁線にプッシュバントを仕掛け、見事成功させた。野球を知り尽くしたメジャーリーガーならではのスーパープレイだった。
“ファイアマン”の消防士が見せた粘りの投球
3月13日のオーストラリア戦は勝てば準々決勝進出の可能性が出てくる重要な試合となった。
ハジム監督は、3月10日の試合で49球で降板させたマルティン・シュナイダーを先発させた。彼の本職は消防士。ヨーロッパ球界では有名で、救援で火消しをして「ファイアマン」と呼ばれることもある。
球速は150km/hに届かないが、緩急をつけた丁寧な投球が持ち味。この試合では、2番アレックス・ホールに先制本塁打を打たれたものの6回1死、制限いっぱいの68球を投げて自責点1で降板した。一塁側に戻るシュナイダーにベンチだけでなく、客席からも大きな拍手が湧き起こった。中に選手の家族もいただろうが、拍手を送ったのはほとんどが日本人だった。あの日本戦以来、夜の試合だけでなく昼のチェコ戦も「お目当て」になった日本人が、チェコの奮闘を讃えたのだ。
後続の投手が打ち込まれ、チェコは3-8で敗退が決まったが、ベンチ前に並ぶチェコナインには再び大きな拍手が起こった。
大谷がかぶっていた「チェコ帽子」のカッコよさと多様性
大会期間中、東京ドームの周辺でチェコの「CR」チームマークがついたベースボールキャップを被った外国人の一団を何度も見かけた。スマートなデザインで“この帽子、売っているなら欲しい”と思ったし、羽田からマイアミへの移動後、大谷翔平がチェコ代表の帽子をかぶっていたのも何か納得できる。そしてチェコからやってきたファンや家族は、母国では絶対に見ることがない「野球の試合でのロックコンサートのような壮大な盛り上がり」を存分に楽しんだのではないか。
日本の野球選手は、小さなころから野球ひと筋で競争を勝ち抜き、スター選手になる。WBCでは「勝つこと」に集中する。
しかし、チェコの野球選手にとって野球は、生活の一部に過ぎない。技量的には見劣りするかもしれないが、それでも野球を存分に楽しみ、ときには相手チームのスター選手を脅かすようなプレーをも見せたのだ。
ヨーロッパの野球のレベルは年々高くなっていると実感するが、彼らのような「日曜野球選手」の広がりが、野球のダイバーシティ(多様性)を拡げるのではないか。
文=広尾晃
photograph by CTK Photo/AFLO