「日本で投げる最後の登板になるかもしれない」
そう公言して立った準々決勝・イタリア戦のマウンド。2イニング目の8回1死一塁で最後の打者をセカンドゴロ併殺に打ち取ったダルビッシュ有は、万感の思いを噛み締めるでもなく、すぐに一塁側ベンチ裏のブルペンに向かった。
「正直、余韻に浸る余裕がなくて……。2イニングで球数もそんなに多くなかったですし、ブルペンでどのくらい投げなくてはいけないのか、時間はあるのかな、っていう部分で切羽詰まっていましたね」
所属するパドレスの開幕は日本時間31日のロッキーズ戦に迫っている。1年間、先発ローテーションの柱として期待されているダルビッシュは、自身の新シーズンのスタートに向けて、東京ドームのマウンドで投じた27球に加え、「+3イニング」を想定した球数をブルペンで投げ込んでいた。
「みんなの明るい顔が見たい」
9回、クローザーの大勢が最後のイニングを締め、9-3と快勝を喜ぶハイタッチの儀式が始まると、36歳の右腕はブルペンから駆けつけその列に加わった。5大会連続となる日本代表のベスト4進出という結果以上に嬉しかったのは、ロッカールームで目にした若い選手たちの笑顔の輪だった。
「アメリカの地を踏んだことがない選手もいっぱいいる。試合が終わった後、みんながアメリカに行けるのが嬉しい、って言っていたので、日本にいる時以上にみんなの明るい顔が見たいなと思っています」
そう話すダルビッシュは、穏やかな笑顔を浮かべていた。
メジャー組でただ一人参加した宮崎合宿初日からちょうど1ヶ月。ダルビッシュはいつも、投手陣のリーダーであり続けた。ピッチングで手本を示し、その技術を余すところなく伝え、寝食を共にする中でコミュニケーションを重ねてきた。若い選手たちの前で、そしてマスコミの前で雄弁に語ってきた言葉の中で、終始一貫して伝えていたのが「野球を楽しむ」ということだ。
「野球ぐらい…」の真意
印象的なコメントがある。それは1次ラウンド最終戦、オーストラリアとの試合を終えた後のミックスゾーンでの受け答えだ。攻撃陣では結果が出ている選手と、不調の選手と、明暗が分かれているが……という問いに、間髪入れず答えた。
「野球なんで、そんなん気にしていても仕方ないですし、人生のほうが大事ですから。そんな野球ぐらいで落ち込む必要はないと思う。自分も含めですが、(準々決勝まで)休みもあると思うので、野球以外のこと、楽しいことをしたり美味しいご飯を食べたりしてリラックスしてほしいなと思います」
野球“ぐらい”――。そう言い切れるほど簡単なものではないことは、求道者であるダルビッシュ自身が一番よく理解しているだろう。投球フォーム、投球技術、配球、トレーニングなど細部までこだわり、そこから逆算して食事や睡眠など私生活をも捧げているのがトップアスリートだ。しかし、そうであってもなお、野球は「手段」であって「目的」にあらず、人生は長く続いていく。目には見えないプレッシャーや、無責任な外野の声に心をすり減らす必要などない。「人生の方が大事」。その言葉を発したのが、36歳となってもメジャーリーグで活躍し続けるダルビッシュであることに大きな意味があった。
「後輩を肯定する」36歳の姿
日本代表の投手陣は、最年少の高橋宏斗が20歳、佐々木朗希や宮城大弥が21歳。ほとんどが20代半ばで、昭和生まれはダルビッシュのみ。次に年長である今永昇太ですら29歳と、とにかく若いのが特徴だ。彼らが中学・高校と過ごしてきた時代はちょうど、「部活」の在り方が変化してきた端境期。代表勢の顔ぶれを見ても、厳然たる上下関係や勝利至上主義といった昔ながらの「野球部」で過ごしてきた選手と、自主性を重んじる指導者のもとで育ってきた選手が半々くらいと言った印象を受ける。
加えて彼らは皆、アマチュア時代からスマホ一つで世界中のエースピッチャーの投球動画を見て学び、トレーニングや投球理論のさまざまな最新情報に触れてきた世代でもある。その画面の中の人だった憧れの存在が、自らその理論を説明し手本を見せてくれる。時には飲食を共にして悩みを打ち明け、他愛のない会話を交わし冗談を言い合える。楽しむ中で野球を追求していくことを「是」と教えてくれる。その時間は何物にも代え難い。
“球界の異端児”がチームの柱に
ダルビッシュ自身は、佐々木や宮城と同じ年代の頃は、いわば球界の「異端児」だった。尖りきったそのスタイルに指導者や球界OB、先輩投手が眉を顰めたことも一度や二度ではなく、メディアにも多くを語らないことから、その周囲には常に緊張感が漂っているように見えた。
どんな批判も圧倒的な実力で黙らせてきた右腕がここまで心を開き、穏やかな表情を見せるのは、本人も公言する通り夫人の聖子さんら家族の存在と、メジャーリーグという環境が大きいのだろう。そういえば、ヤクルトの高津臣吾監督が、現役時代にメジャーリーグで得た最も大きな経験について、リリーフに失敗した時、コーチからいつも「たかが野球だ」と声をかけられ、「野球は楽しむものだし、野球選手であることを幸せに思わないといけない、と考えが変わった」と話していたことを思い出す。厳然たる実力主義が併せ持つ自由と、豊かな野球文化が、ダルビッシュの鎧をも脱がせたのだろう。
ここで生まれ育ってそのお陰で今がある
日本ラウンドでの登板は2試合。韓国戦は3回3失点(自責2)、イタリア戦は2回1失点、いずれもホームランも浴びており、決して万全とは言えなかった。実際、WBCの試合と同時にシーズンを見据えた調整をしてきたことについてダルビッシュは「自分としては思っていたよりちょっと難しかったかな。家族もいなかったので、苦しい部分や難しい部分も正直ありました」と明かしている。メジャーリーガーとして犠牲にしたものもある。しかしそれ以上に得たものが大きかったことは、充実感あふれるダルビッシュの表情が示していた。
「自分が生まれ育った国でこうやってプレーを見てもらえることは、アメリカでプレーしているとなかなかないので、すごくありがたかった。ここで生まれ育ってそのお陰で今がある。感謝という意味でも本当に来てよかったなと思っています」
パドレスと今シーズンから新たに結んだ契約は6年。全うした時には42歳になっている。「最後になるかもしれない」という思いを秘めた感謝のマウンド。その意味が数字以上に大きなものであることは、何年か後にあらためて証明されるだろう。ダルビッシュの薫陶を受けた若手投手の多くはいずれ海を渡って夢を叶え、新たなリーダー役として再び、侍ジャパンのユニフォームに袖を通すはずだから。
文=佐藤春佳
photograph by JIJI PRESS