「心が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる……」
これはアメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが残したとされ、野村克也氏などスポーツの指導者や多くの心理学者も引用する名言として広く知られている。
3年目のシーズンを迎えた角田裕毅を取材していて、この言葉がふと脳裏に浮かんだ。
角田がF1ドライバーになった2021年から、誰よりも多く取材を重ねてきた自負を持つ筆者の目に、今年の彼は過去2年間と明らかに違って見えるからだ。
その変化の要因のひとつに、マネージャーの存在がある。F1ではチームやスポンサーと交渉するためにドライバーがマネージャーを雇うのは一般的で、多くのドライバーが個人的にマネージャーと契約を結んでいる。
ホンダの育成システムから世界に羽ばたき、レッドブル・ジュニアドライバーの一員としてアルファタウリからF1にデビューした角田は、これまでマネージャーの必要性を感じていなかった。ホンダやレッドブルからのサポートがあったからだ。
マネージャーを必要とする理由
しかし、生き馬の目を抜くF1の世界で、マネージャーがなくてはならない存在であることは、現役王者のマックス・フェルスタッペンですらマネージャーを雇っていることからもわかる。そのことを角田は昨年、痛感した。
「2年間F1を戦ってきて、マシンを運転する以外にもいろいろとやることが増えてきたので、もう少しドライビングに集中するためにマネージャーを雇うことにしました」
角田が目をつけたのは、マリオ宮川だった。日本人の父親を持ち、イタリアで生まれた宮川は、80年代からF1でマネージメント業を始め、90年代にはジャン・アレジの個人マネージャーとして活躍。2010年からは小林可夢偉のマネージャーを務めた経験もある。
ヨーロッパで一人暮らししながらF1を戦っていることを案じた父親から「いつか息子を手伝ってください」と、パドックで顔を合わせるたびに丁寧にお願いされていた宮川だったが、本人から直接リクエストが来るまで自分からは動かなかった。
初めて話し合いを持ったのは、昨年の最終戦アブダビGP。マネージャーへの就任を打診された宮川は回答を保留した。アレジと小林のマネージャーを経験したことで、宮川はそれがいかに大変な仕事であるかを知っているからだ。小林の後にも2人のF1ドライバーからマネージャーの要請を受けたが、宮川はいずれも断ったほどだ。
しかも、現在のF1は年間20戦以上もある。となれば、1年のほとんどの時間、ある意味、自分の人生をドライバーに捧げる覚悟が必要となる。宮川はそこまでする価値を即座に見出せなかったため、角田の要請に首を縦には振らなかった。
宮川を翻意させた角田の熱意
それでも、角田はあきらめなかった。
「全戦、同行しなくてもいいんです。マリオさんは僕と同じイタリアに住んでいるし、日本のことも知っている。そして、何よりF1のことをよく知っています。そういう人に見守っていてもらいたいんです」(角田)
角田は自宅があるファエンツァから宮川がいるトリノまで、自ら車を走らせて何度も会いに行った。その熱意に宮川の心が動く。
「ユウキはいま、ひとりで頑張っている。私が持っているF1の経験や人間関係が彼のサポートになるのなら、可能な限りお手伝いしよう」(宮川)
宮川が正式に角田のマネージャー役を了承したのは、今季開幕1カ月前のことだった。
角田が一連の行動をとった理由は、今年こそ満足する結果を残したいからだ。
「今年こそ、自分のベストなパフォーマンスを出したいんです。1年目は自分の感情をコントロールできなくて空回りして、2年目はその部分は改善できたのですが、シーズンの途中から契約のことでいろいろとあって、肝心なところで焦ってミスを犯してしまった。だから、今年は自分のパフォーマンスを出し切るために、ドライビングに集中したい。それができたら、必ず良いリザルトがついてくると信じています」
心を入れ替え、行動が変わった角田は、宮川というマネージャーを得て習慣が変わり、これまでとは人格も変わりつつある。それはアルファタウリのチーム代表を務めるフランツ・トストも認めている。
「今年、ユウキはこれまでよりもひと回りもふた回りも大きく成長した。ドライバーとして新しい一歩を踏み出したようだ。特にエンジニアへのフィードバックが本当に良くなったよ」
第2戦サウジアラビアGP決勝レース終盤、角田はポイント圏内を走行していた。
その角田と激しいバトルを演じたハースのケビン・マグヌッセンもまたライバルたる角田の変化を感じていた。
「ユウキは何周にもわたって素晴らしいディフェンスをしていた。ただ、ブロックするのではなく、僕に最適なダウンフォースを使わせないような走行ラインをとったり、最大のオーバーテイクポイントであるホームストレートで僕にスリップストリームを使わせないよう、直前の最終コーナーを常に上手に立ち上がっていたよ」
F1で140戦以上もレースをしてきたベテランにこう言わしめたほど、サウジアラビアGPでの角田のドライビングは秀逸だった。
角田が乗るアルファタウリの今年のマシンは、予選で2台ともQ1落ちしていたように戦闘力が決して高くない。それでもレース終盤までポイント圏内を走行していたのは、巧みなピットストップ戦略とそれを可能にした角田のタイヤのマネージメント能力があったからだ。
不本意なレースで見えた成長
だが、その努力の甲斐なく、地力に勝るマシンを駆るマグヌッセンに残り4周で逆転を許し、角田は惜しくも入賞を逃した。マシンの戦闘力の差を見せつけられた角田だったが、そこに怒りをぶつけることはしなかった。
「チームは本当に素晴らしい仕事をしてくれた。予選よりもクルマの調子は良くなっていた。それだけに、最後にポイントを逃したことは残念でならない」
冒頭の言葉には、続きがある。
「人格が変われば運命が変わる」
こういう姿勢でレースを続けていれば、いつの日か角田の運命を変える扉が開くはずだ。
文=尾張正博
photograph by Getty Images / Red Bull Content Pool