「ショウヘイ!!」
歓喜の地となったマイアミのローンデポ・パーク。そのロッカールームで行われたシャンパンファイトの生中継で、嬉しそうにその名を叫ぶ村上宗隆の笑顔があった。美酒を浴びせかけた相手は、世界一の立役者・大谷翔平。5歳年上のスーパースターも、その瞬間は最高の盟友であり戦友でもあるチームメートの「翔平」だった。
大谷の衝撃…揺らいだプライド
なんとも言えないあの表情が忘れられない。それは3月3日に侍ジャパンに大谷が合流して見せたバッティング練習でのこと。名古屋(バンテリンドーム)での練習、大阪での初実戦(京セラドーム)と、フリーバッティングで桁違いの打撃を見せる大谷の姿に、村上はただただ言葉を失っていた。
「打球の上がりだったり飛び方、全てにおいて(自分とは)違うなと感じました」
その言葉は、どこか砂を噛むような苦い思いも含んでいた。呆気にとられたり、憧れに瞳を輝かせる他の選手たちとは違う、「悔しい」という思い。明らかなレベルの差を見せつけられた大谷のバッティングの前に、令和の三冠王のプライドが揺らいでいた。
悔しさに引き摺られるように、WBC1次ラウンドでは不振に陥った。初戦の中国戦から4試合で14打数2安打7三振。1番のラーズ・ヌートバーから、近藤健介、大谷と続く上位打線の好調が、4番・村上の不調を一層浮き上がらせていた。第3戦のチェコ戦では、4打席目まで無安打に見逃し三振2つと全く気配がなかったが、第5打席にようやくライト前に運びこれが大会初ヒット。試合後、思わず本音が漏れた。
「(周りから気を遣われて)すごく嫌でしたね。チームでもそういうことは味わうことがないですし……。逆に打てよ、とかそういう言葉をかけられた方が僕自身、楽になる部分もあったと思うんですけど」
ヒットが出ない間もチームメートからは温かい言葉をかけられていた。最も気にかけていたのは大谷だろう。韓国との第2戦では、5回無死二塁の場面でセカンドゴロを放ったがランナーを進め、6回にはレフトへ犠牲フライ。その度にベンチで大谷は「ナイス!」「そういうのが大事だよ」と励ましていた。
気遣いへの感謝の思いの反面、気を遣われる居心地の悪さが「すごく嫌だった」という言葉は本心だろう。村上はいつだってリーダーとしてチームの中心に居続けてきた選手だ。
九州学院高からヤクルトに入団した2018年のこと。イースタン・リーグの試合で、18歳のルーキーだった村上の存在感はまるでチームリーダーのようだった。当時は捕手から三塁手に本格転向したばかり。守備では失策も多かったが、それでも物おじせず先輩たちを大声で鼓舞していた。「自分がエラーしたのに、ベンチに戻ってピッチャーに“切り替えていきましょう”なんて声をかけているからね。彼は凄いよ、大物になる」と笑いながらも感心していたのは当時の高津臣吾・二軍監督だった。
そんな村上が悩み、苦しんだ国際大会の舞台。大谷やダルビッシュ有など、先輩たちの激励は背中を押しはしたが、それを乗り越えたのは村上自身の頭と体だった。
WBC序盤の苦戦…なぜ?
1次ラウンドで苦戦していたのが、国際大会特有のストライクゾーンの違いだ。ボールと確信して見逃した球がストライクとコールされ、打席の中で迷いが生じていた。
「なかなか結果が出ない中、もしかして自分の見えている球が本当はストライクなんじゃないか、とか、何かを変えなきゃいけないんじゃないか、とか、不安な気持ちになっている。自分の感覚を大事にしながら、迷うことなくスイングしていきたい」
1次ラウンド終了後から準々決勝までの3日間の練習日には、体の動かし方や軸、タイミングの取り方など自身の打撃のポイントを入念に点検。フリーバッティングでは、好調の証でもある左中間方向への強い打球も出るようになり「試行錯誤して、これだったら行けるという自分の中での根拠があった」と手応えをつかんでいた。
準々決勝のイタリア戦からは定位置だった4番を外れて5番に入ったが、2点差に追い上げられた5回の第3打席で左中間を破る強烈な当たりの初タイムリーを放つなど2安打。「打てる根拠があった」という確信の一打で得た自信と共に舞台をマイアミに移した。そして迎えた準決勝。メキシコとの死闘で、あの劇的な一打が飛び出す。1点を追う9回、無死一、二塁の場面で、センターのフェンスに直撃する逆転サヨナラ打。深い霧を自らの手で晴らしたのだ。
「なかなか結果が出ずに苦しかったと思いますけど、必ず打ってくれると。良かったな、というそれだけ。本人が一番苦しかったと思うので本当に良かった」
そう口にしたのは大谷だ。23歳の三冠王が乗り越えた苦しみ。その先に見せた鮮やかな輝きを、我がことのように喜んでいた。
「憧れ」より「悔しさ」
アメリカとの決勝前、ロッカールームで大谷が話した言葉は日本中の野球ファンの心にも響いた。
「憧れるのを、やめましょう。今日、超えるために、トップになるために来たんで」
「憧れ」の対象を“アメリカ代表”から“大谷翔平”と置き換えてみれば、二十代の選手たちの中でただ一人「憧れを捨てて」いたのが村上ではなかったか。大会前のあの日、大谷のフリーバッティングを見つめる眼差しは「憧れ」より、「悔しさ」が勝っていた。いつか追いつき、追い越してみせる。村上は常にそんな強烈な思いと共に大谷と過ごしているようにも見えた。
次回大会は2026年。25年のシーズン終了後にポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を容認されている村上はその頃、どんな夢を叶えているのだろうか。今大会で異次元の違いを見せつけられた大谷に肩を並べ、今度はメジャーリーガーとして日本代表のユニフォームに袖を通した大砲が、さらに若い選手たちを前にどんな姿を見せ、どんな言葉をかけるのか。その弾道で進化を証明する3年間が始まる。
文=佐藤春佳
photograph by Naoya Sanuki