ナイター照明に照らされたローンデポ・パークのマウンドに大谷翔平が上がったとき、栗林良吏は真っ青な空の下でマツダスタジアムのマウンドに立っていた。チームは遠征中で、練習参加はわずか6人。スタンドはもちろん無人。あの熱狂とは対照的に、ミット音が鳴り響く静かな投球練習だった。

「(意識は)しましたよ。モチベーションを上げて、今日のブルペンに入ろうと思ったので、自分が(WBC決勝の)9回のマウンドにいると思って練習しました」

 侍ジャパンのWBC決勝進出が決まり、広島球団は決勝戦当日の練習後に代表取材を設定した。予定時間になると、栗林はユニホームから「たっちゃんTシャツ」に着替えて姿を見せた。気丈に振る舞い、ときにはユーモアをまじえて報道陣を笑わせる。いつもと変わらない姿に、真の強さを感じた。

 昨年末から調整を前倒しし、1月からブルペン入り。春季キャンプでは練習の合間にも右手でWBC球を握り、ブルペン投球を含めて試行錯誤しながら適応してきた。

 プロ入りから2年で球界を代表するストッパーとなり、2021年の東京五輪では日本の守護神として金メダル獲得に貢献した。より高みを求めるアスリートの本能か、WBCでの代表選出が発表されてからは、いつも淡々と語る栗林には珍しく闘争心を言葉にすることもあった。

 侍ジャパンの合宿に参加すると、ダルビッシュ有(パドレス)のリーダーシップにも助けられ、人見知りながらすぐにチームに溶け込むことができた。投手陣を中心に会話を重ね、チームとしての結束が高まっていくのを肌と心で感じていた。

栗山監督の決断

 強い決意を持って臨んだ3月9日、1次ラウンド初戦の中国戦で思わぬアクシデントに見舞われた。登板に向けたルーティンの中で、腰に違和感を感じた。登板は回避せざるを得なかった。イレギュラーな環境が招いたアクシデントにも、栗林は冷静に先を見ていた。

「準々決勝には投げられるようにと。自分は、そこに投げるつもりでいた」

 腰の状態は徐々に回復。1次ラウンド最終戦の12日にはブルペン投球を再開した。準々決勝では戦力になる——。だが、その願いは叶わなかった。

 所属球団から選手を預かる栗山英樹監督は、栗林の登録抹消を決めた。

「チームと一緒に、というのを模索しましたけど、ピッチャーということで場所が場所だけに無理させてはいけない。久々に苦しい決断をしなければならないという。彼の野球人生のために決断しなければいけないと僕は思った」

 断腸の思いだったことは、会見の表情を見てもうかがえる。

 志半ばで、栗林は広島に帰ってきた。チームメートに託した思い、謝意、失意、無念……。抱えきれないほどの感情とともに。

「本当は、戦力になりたかった気持ちが一番です」

 投げたくても、投げられなかった。悔しさは胸にしまった。栗林と電話で話をした新井貴浩監督は自然と口にした言葉に感心したという。

「彼が一番悔しいはずなのに、代わりに招集された山﨑(颯一郎)投手に申し訳ないと言っていたので、彼らしいなと」

悔しさと、嬉しさと

 失意の中でも自分が前に進んでいこうとする覚悟は、米国で戦う侍ジャパンの姿と重なった。

 準決勝メキシコ戦後には髙橋宏斗(中日)から「明日、一緒にがんばりましょう」というメッセージが届き、優勝の瞬間も20番のユニホームを掲げる大勢(巨人)の姿に胸が熱くなった。思いを託し、信じていた仲間の世界一を心から喜んだ。

 ただ、心の奥にはどこか重たいものも残る。歓喜に沸いた日本で、そんな思いをしたのは栗林ただひとり。WBC決勝の9回と同じタイミングに行った投球練習は、悲しいほどのコントラストだった。

「悔しい気持ちは、今でも持っている。うれしい気持ちも、もちろん10割。みんなが喜んでいるシーンだとか、世界一の輪にいられなかった悔しさはもちろんある。悔しさを忘れるのではなく、原動力に変えていけたらいい。野球ができなくなるわけじゃないので、しっかり野球をやって、カープファンを含め、野球ファンのみなさんに明るいニュースを届けられるように頑張っていけたらいいなと思っています」

 よどみなく紡いだ言葉はそのまま、前進する力になっていく。

文=前原淳

photograph by Naoya Sanuki