3月23日、17時30分。成田空港近くのホテルの会見場に、スーツ姿のWBC日本代表の選手たち26名とコーチが3列になってズラリと並んでいた。選手1人、1人がマイクを持って今大会の感想を述べていく。その言葉を栗山英樹監督はうつむきながらじっと視線を落として反芻する。だが、ある選手にマイクが渡ると、栗山監督は思わず視線を向けた――。
「あざしたー!」
右肩で花束を抱え爽やかな笑顔で、左手を振りファンの歓声に応える凱旋の指揮官。成田空港の到着ロビーに駆けつけたファンから「栗山監督〜」という声とカメラのフラッシュが絶え間なく降り注ぐ。
選手たちががんばって勝ち切ってくれた
その1時間半後、スーツに装いを替え、空港近くの会見場で選手・コーチたちと記者会見に臨む。冒頭、空港での大勢のファンについて問われると、引き締まった表情でこう答えた。
「まずは日本でたくさんの人が応援してくださったんだなと空港に着いたときに感じました。選手たちががんばって勝ち切ってくれたのは、多くの日本の皆さんの思いが力になった(からだ)と思います。本当に感謝でいっぱいです」
栗山監督が思わず顔を向けた牧原のコメント
その後、コーチ、選手へとマイクが渡る。MLB組を除いた26人の選手がそれぞれの感想を述べていくと、栗山監督は真剣な表情で視線を落として1人1人のコメントを時折うなずきながら反芻する。しかし、ある選手がコメントをしている途中、栗山監督の視線が動いた。
「なかなかね、このすごい選手がいる中でスタートから(自分が)試合に出ることはなかったんですけど……」
声の主は牧原大成(30歳、ソフトバンク)。どこか悔しさも滲む言葉の選び方に思わず牧原の座るほうへと顔を向けた。
牧原は外野手・鈴木誠也がケガによる出場辞退となり、3月1日に急遽追加招集された選手だ。実は、招集がかかってから本人は一晩悩んだ末に参加を決断。栗山監督は「絶対的な切り札になる」と期待を寄せたが、外野の近藤健介、ヌートバー、吉田正尚がそろって活躍。大会中は6試合に出場したが、すべて途中からの出場で打席に立ったのは計2打席のみ。準決勝のメキシコ戦では村上宗隆の代打としてベンチでも準備をしていた牧原だったが、結局出番に恵まれなかった。
最後の優勝する瞬間に守備について優勝を迎えられた
昨季は規定打席に2打席足りず、今季は“スーパーサブ”ではなくセンターのスタメンを狙う覚悟を決めていた。初の規定打席到達も目標とする育成出身の苦労人にとって、3週間の離脱がチーム内でのポジション争いに与える影響は小さくなかったはずだ。
だが、牧原は会見で先ほどの言葉に続けて前を見据えながらコメントをこう結んだ。
「最後の優勝する瞬間に守備について優勝を迎えられたことは、すごい僕の中でいい経験になりました」
中央に座した代表監督は視線をもとに戻し、噛みしめるように頷いていた。
優勝セレモニー後、牧原に対して栗山監督は脱帽
牧原は決勝戦の9回表から吉田正尚に代わってセンターの守備についた。さかのぼると7回裏に吉田が併殺打に倒れているため、8回表から守備固めとして交代出場してもおかしくなかったはずだ。実際、1次ラウンドのオーストラリア戦では8回表に凡退した近藤健介に代わって直後の8回裏から牧原がライトに入っている。決勝戦の、あと3アウトという場面で牧原を投入したのは単なる“守備固め”以上のメッセージが込められていた――と考えるのは「栗山野球」という“ドラマ”の見過ぎだろうか。
優勝セレモニー後、優勝の笑顔が咲く選手たちの中で、栗山監督は牧原の元へ歩みを進め、帽子を取って真剣な表情で何かを伝えていた。会見後の夜、過去キャスターを務めた“古巣”のテレビ朝日系『報道ステーション』に生出演し、この場面についてこう説明している。
「途中からマキ(牧原)に来てもらって、なかなかたくさんの試合に出てもらうことができなかった。でも、一流選手というのは、僕がこう思ってやったんだっていうことを、真正面からちゃんと伝えたら、納得はしないけど、僕の言っていることは理解してくれるというすごさがあるので。それは伝えました」
栗山監督はスピードスターの打撃も評価していた
ホテルの会見場ではその後、マイクが山川穂高、そして村上宗隆、岡本和真と栗山監督の両隣にいる選手のもとへと渡っていく。だが、栗山監督は顔がすぐ見える隣の選手のコメントに特に視線を移すことなく、下を向きながら噛みしめるように選手たちの言葉を聞き続けている。しかし、ある選手がマイクを握ると、顔色を消して、再び視線を右側へと移した。
「えー、なかなかこういう経験はできないと思うので、自分の中ですごい財産に残る大会だったなと、はい、思います。ありがとうございました」
プレー同様、駆け足で言葉を繰り出したのは周東佑京(27歳、ソフトバンク)。内外野の選手12名のうち、スタメン出場がなかったのが牧原と、この周東だった。メキシコ戦では吉田正尚の代走として、正確な打球判断と瞬足を見せ、逆転サヨナラのホームイン。これまでも大舞台で“韋駄天”ぶりが際立っているイメージがあるが、栗山監督は実はその打撃も買っていた。昨年秋の強化試合で周東を招集した指揮官は「打球のスピードが上がった」と評価。「むちゃくちゃ(足が)速い人がずっとヒットを打ってくれるなら、その人が試合に出た方がいい」とスタメン起用の可能性も示唆していた。
栗山監督が記者会見後に語っていた後悔
牧原、周東とタイプは異なるが、栗山監督も現役時代、外野手として控えの味を知る選手だった。その心情がわかるからだろうか、会見では他の選手が間にいて距離もあり、顔色をうかがい知ることはできないはずなのに、それでも視線を向けて必死に表情を探ろうとする動きが印象的だった。
会見後の深夜に生出演した日本テレビ系『news zero』で、帰国してくるまでにこんな反省をしていたと明かした。
「勝ち切ったんですけど、もうちょっと上手くやれることなかったかな、と。(中略)もうちょっと活躍できる選手たちがいたんでね、きっと。背中を押してあげられなかったな、と」
それは牧原のことであり、1度しかバッターボックスに立てなかった周東のことであったのかもしれない。
シャンパンファイト“欠場”の20歳、高橋宏斗
会見中、栗山監督が顔を右に振った選手がもう一人いた。
「今まで感じたことのないプレッシャーを感じて、すごくいい経験になりましたし、世界一を勝ち切ることができて……」
高橋宏斗(中日)が「すごくうれしい気持ちです」と言い終える前に、右後ろのほうへと振り返り、一瞥した。
高橋は代表チームの中で最年少20歳での参加。準決勝前には「申し訳ないが、苦しい場面で行ってもらうぞ」と栗山監督から直々に伝えられ、決勝の5回、3-1でリードした場面で登板。1番ベッツから始まる好打順に2安打を浴びながら、2番・トラウト、3番・ゴールドシュミットと連続三振を取る堂々とした投球を見せていた。優勝が決まり、シャンパンファイトの準備をしていた高橋宏斗だったが、アメリカでは21歳から飲酒可のため、歓喜の輪に加われず、隅っこで水のボトルを持ちながら、動画の撮影に勤しんだ。
歴史は「勝者の歴史」
そんな高橋を心配しての“目配せ”かと思ったが、高橋宏斗のコメントには栗山監督がよく使うあるフレーズが隠されていた。それは「勝ち切る」。日本ハム監督時代から良く使ってきたこのフレーズを会見中、発した選手は高橋宏斗だけだった。会見後に向かった首相官邸での優勝報告を終え、栗山監督は記者団にこう語っている。
「なかなか勝ち切らないと……。選手たちには伝えましたけど、歴史は『勝者の歴史』なので、勝ち切らないと伝わらないことがあるんだ、だから勝ち切ろうというふうに言ってきましたけど、選手たちが頑張って勝ち切ってくれたので本当に良かったです」
その思いは最年少の高橋宏斗にまで伝わっていた。集合時の人数確認など大会中の雑務を引き受けていた20歳から飛び出した力強い言葉に対して、とっさに後ろを向いた栗山監督の表情には驚きの色が見てとれた。
成田→永田町→六本木→汐留の6時間凱旋リレー
一方で牧原、周東に対してはどこか顔色をうかがうように視線を向けていた。大谷翔平の決勝最終回での登板、準決勝逆転サヨナラ打につながった村上を信じ続けた采配など「エースと主軸の起用」に注目が集まりがちだが、控えの立場にまわった選手への“気配り”にこそモチベーター型指揮官の真骨頂があるのではないか。
成田での会見を終えた後は表敬訪問のため首相官邸へと移動。分刻みのスケジュールだったため、訪問後の報道対応はない予定だったが、記者団を見つけて急遽質問に応じる心配りも見せた。大勢の記者団を前に最後は「総理も大変ですね」と言い残し、あらゆる方向に気を配る指揮官は足早にテレビ朝日(六本木)、そして日本テレビ(汐留)へと向かっていった。
文=齋藤裕(NumberWeb編集部)
photograph by Takuya Sugiyama