雑誌「Sports Graphic Number」「NumberWeb」に掲載された記事から、トップアスリートや指導者の「名言」や写真を紹介します。今回は3度目のアジア制覇を成し遂げた「浦和レッズとACL」にまつわる4つの言葉です。
<名言1>
外国に行くのって刺激になるから、とても有意義だった。
(鈴木啓太/Number692号 2007年11月22日発売)
◇解説◇
浦和レッズが、5大会ぶり3度目となるアジア制覇を成し遂げた。5月6日に行われたアル・ヒラルとの決勝第2戦、ホームの埼玉スタジアム2002に詰めかけたファン・サポーターは圧倒的な熱量で選手たちをサポート。ピッチの面々もそれにこたえるかのような戦いぶりで、1−0(合計スコア2−1)で勝利した。
5万人超が詰めかけた埼スタでは、キックオフ前に旧浦和市と世界地図をつなぐかのようなコレオグラフィーの中で「URAWA AIR」と記された飛行機のイラストが舞う、かつてないスケールの仕掛けを作るなど、アジア王者奪還にかける思いを強く感じさせた。
アジア初制覇、各国転戦した鈴木啓太の言葉
浦和にとって、アジアの闘いは、いつだって特別だった。その起点となったのは、2007年のACL初出場、Jリーグ勢初制覇だったと言っていい。
〔2007年:浦和ACLの戦績〕
グループステージ:2勝4分け(首位通過)
準々決勝:vs全北現代、2戦合計4−1
準決勝:vs城南一和、2戦合計4−4、PK戦5−3
決勝:vsセパハン、2戦合計3−1
レッズは小野伸二や田中達也に田中マルクス闘莉王、ワシントンにポンテと当時の豪華陣容がズラリと並び、若き日の長谷部誠もいた。グループステージではアジア各国を転戦し、Kリーグ勢との激闘、そして決勝ではセパハンのホームタウンであるイランの地へと――熱狂的なサポーターとともに闘った。
その中で鈴木啓太や阿部勇樹はオシムジャパンにも招集されており、その年に行われたアジアカップでベトナム遠征をするなど、超ハードスケジュールの日々を過ごした。コンディション維持が難儀だったのは想像に容易いが、旧知の記者に対して啓太は準決勝進出後、「代表ではベトナム、オーストリアに遠征したし、レッズではオーストラリア、中国、インドネシアときて、今回は韓国でしょ」と各国に行ける喜びを感じつつ、このようにも話していた。
「チームとしても個人としても、ここでもう一段階レベルアップできるチャンスだと思ってやる」
セパハンとの埼スタでの決勝第2戦、浦和は永井雄一郎と阿部のゴールで大団円を迎えたのだった。
阿部勇樹「サポーターが一緒に戦ってくれた」
<名言2>
レッズに関わっている方、サポーターが一緒に戦ってくれた。僕らだけでなく、皆さんもそういう雰囲気を感じてくれたと思うし、非常に力強かった。
(阿部勇樹/NumberWeb 2017年11月27日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/829375
◇解説◇
〔2017年:浦和ACLの戦績〕
グループステージ:4勝2敗(首位通過)
ラウンド16:vs済州ユナイテッド、2戦合計3−2
準々決勝:vs川崎フロンターレ、2戦合計5−4
準決勝:vs上海上港、2戦合計2−1
決勝:vsアル・ヒラル、2戦合計2−1
浦和が再びアジアの覇権を取り戻したのは、ACL初制覇から10年後、2017年のことだった。浦和は2000年代後半から2010年代初頭にかけて停滞期を過ごしたものの、2012年に就任した「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督体制でポゼッションを高めた能動的なスタイルを、年々成熟させていた。チームもベテランの域に入った阿部、ミシャサッカーを知る槙野智章、柏木陽介に西川周作、そして他クラブから招き入れられた興梠慎三や那須大亮、遠藤航や武藤雄樹に若き日の関根貴大らがミックスされた充実の陣容だった。
しかし――当時Jリーグが2ステージ制で、シーズン最多勝ち点を稼ぎながらも優勝を逃すなど――ミシャ体制で得たタイトルは2016年のルヴァン杯のみだった。そして迎えた2017年、チームはリーグ戦での苦戦が続き、ミシャを解任。2011年のJ1残留争い時に急きょ監督を務めた堀孝史に再びチームの命運を託すことになった。
「真っ赤なサポーターの笑顔を見るのが…」
リーグでの不振とは対照的に、ACLでは凄まじい勝負強さを見せた。ラウンド16、準々決勝ではアウェイの第1戦で2点差負けを喫しながらホームでひっくり返すという逆転劇。特に堀体制となってからのフロンターレとの準々決勝では、第2戦で先にアウェイゴールを許しながらも、退場者を出した相手を一気呵成に攻め立て4点を奪うなど、神がかり的な勝ち上がりだった。
さらに準決勝ではフッキ、オスカルらを寄せ集めるなど“金満化”していた中国サッカーの代表格である上海上港を倒し、決勝では後の宿敵となるアル・ヒラルに対してラファエル・シルバの2戦2ゴールがモノを言って、アジアの頂点へと駆け上がった。
「ミシャがこのチームに残したものにプラスアルファして、堀さんがチームに必要なものを落とし込んでくれた。ミシャと堀さんの力が合わさっての結果だと思う」
槙野は大会後このように語り、チームの継続性があったことを示唆している。そしてキャプテンを務めた阿部は、熱狂的なサポートをしてくれた人々への感謝をこう告げている。
「みんなが喜んでいる顔、スタンドの顔も見えて、選手の笑顔もそうだけど、真っ赤なサポーターの笑顔を見るのが一番響くから。それができて良かったと思うし、それをしたかった。これを今後に生かしていかないといけないと思うし、先につなげていく戦いが待っているから」
2019年の屈辱。関根が口にした「浦和を背負う責任」
<名言3>
失点に絡んだのも僕だし、ゴールを決められなかったのも僕なので。浦和を背負う責任が僕にはないと思う。
(関根貴大/NumberWeb 2019年11月25日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/841593
◇解説◇
〔2019年:浦和ACLの戦績〕
グループステージ:3勝1分2敗(2位通過)
ラウンド16:vs蔚山現代、2戦合計4−2
準々決勝:vs上海上港、2戦合計3−3(アウェイゴール差)
準決勝:vs広州恒大、2戦合計3−0
決勝:vsアル・ヒラル、2戦合計0−3
浦和はACLで輝かしい実績を残した一方で、同大会で屈辱を味わっている。例えば連覇を目指した2008年には同じJリーグ勢のガンバ大阪との準決勝に敗れた。勢いに乗ったガンバはアジア制覇を成し遂げた一方で、浦和はここから若返りのサイクルに入り、J1残留争いに片足を突っ込む苦難の時期もあった。
そして記憶に新しいのは、2019年の決勝――宿敵アル・ヒラルにリベンジを許した戦いだ。
開幕前、リーグとACLの2冠を目標に掲げた浦和だったが、このシーズンも監督交代劇に見舞われた。前年度途中から就任し、天皇杯をもたらしたオズワルド・オリヴェイラ監督がクラブを去り、下部組織の監督などを務めた大槻毅監督が誕生。その風貌から「組長」との愛称が定着した大槻体制はJ1で苦闘を続けながらも、再び“ACL巧者”ぶりを見せつけ、2年ぶりに決勝の舞台へと戻った。
しかし、再戦となったアル・ヒラルは、チーム力をアップさせていた。かつてイタリアで将来を嘱望されたジョビンコ、フランスのフィジカル型FWゴミス、そして2023年決勝でも対戦したカリージョら各国から集った強力な外国人選手を中心に、後ろからの攻撃構築も整理整頓された相手に対して1点も奪えず、さらに3失点を喫するという完敗を味わった。
「それだけの選手になりたいという思いはあっても、結果を残さなければ意味がないので、今は落ち込んでますけど、浦和に居る限り浦和のために頑張りたいと思います」
こう語ったのは関根。下部組織時代に大槻監督の下で実力を育んだアタッカーは、海外でのプレーを経て浦和へと戻ってきていた。エースとしての役割を期待されたものの、アル・ヒラルとのリマッチでは輝くことができなかった。
しかし、その決意は3年半後、同じ対戦相手に実るのだからサッカーは面白い。
22−23シーズンのACL決勝第1戦は、アル・ヒラルのポゼッションの前に浦和は受ける展開となったものの、辛抱強く耐えて興梠のゴールで1−1のドローと、大きな結果を手にした。先発フル出場した関根は、記者に対してこのように話していたそうだ。
「これで相手の実力が分かったので、それぞれがよりイメージしやすくなるし、もっと怖がらずにボールを受けられると思います」
興梠や西川らは劣勢の決勝第1戦でも落ち着いていた
<名言4>
0-1で負けたとしても埼玉で必ず取り返せると、慎三さんや周作さんたち(ACL決勝)経験者が話してくれていた。
(岩尾憲/NumberWeb 2023年4月30日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/857423
◇解説◇
〔2023年:浦和ACLの戦績〕
グループステージ:4勝1分1敗(2位通過)
ラウンド16:vsジョホールダルル・タクジム、5−0
準々決勝:vsパトゥム・ユナイテッド、4−0
準決勝:vs全北現代、2−2、PK戦3−1
決勝:vsアル・ヒラル、2戦合計2−1
関根や興梠はアル・ヒラルとの第1戦後「19年よりも弱い」「19年のほうが遥かに強かった」と対戦相手について異口同音に語っていた。その言葉はホーム埼スタに宿敵を迎え入れた第2戦での1−0勝利という結果が雄弁に物語る。
一方で、第1戦のピッチで起きていた現象は、冷静に見極めていた。立ち上がりからアル・ヒラルにボールを支配され、早々に失点した展開にキャプテンの酒井宏樹が「試合の入りはとても納得のいくものではなかったです」と話したのは、正直な感想だろう。ただ“良くない内容”と認識しながらもバタバタしないのもまた、浦和の逞しさ。岩尾が興梠や西川からかけられた声掛けがそれを象徴するし、興梠自身もこのように語っている。
「立ち上がりに失点したときは、ちょっと嫌な雰囲気になったんですけど、個人的には想定内だったので、慌てることなくできた。0-1で負けたとしても2点目を取られなければホームで取り返せると思っていたので、バランスを崩さず、ワンチャンスが来れば決め切ろうと思っていた」
「クラブW杯では僕たちの真価が問われることになる」
年をまたいだACL開催の中で、浦和はリカルド・ロドリゲス前監督からマチェイ・スコルジャ新監督へと体制が変更されている。さらに2017、19年と違うのは「新体制で闘うのは決勝戦だけ」というイレギュラーな点だった。そんな状況下でもしっかりと栄光を掴んだのは、今までの経験値があったからこそなのかもしれない。
鈴木啓太は2007年のACL制覇時、このように語っていた。
「まず、アジアのチャンピオンになった。(中略)世界に通用するクラブになるために、クラブワールドカップでは僕たちの真価が問われることになる」
今大会での優勝で、浦和は2023年12月のクラブW杯に「アジア王者」として出場することが決定した。なお16年前の冬はカカー、マルディーニらを擁するミラン相手に0−1で敗れたものの大会3位の座を確保し、一定の手ごたえを得た。この冬、クラブW杯の開催地サウジアラビアへと再び乗り込む浦和は、欧州・南米・北中米・アフリカ・オセアニアの列強相手にインパクトを残せるか。
文=NumberWeb編集部
photograph by AFC