今年のクラシック戦線は、牝牡ともに「一強」をめぐる争いになっている。

 今週末の第84回オークス(5月21日、東京芝2400m、3歳牝馬GI)で不動の主役と見られているのは、桜花賞を直線一気の競馬で圧勝したリバティアイランド(父ドゥラメンテ、栗東・中内田充正厩舎)である。

 リバティアイランドが桜花賞の直線で見せた末脚は凄まじかった。序盤は進んで行かず、4コーナーでは16番手。とても届かないような位置から、上がり3ハロン32秒9というメンバー最速の末脚で差し切り、昨年の阪神ジュベナイルフィリーズにつづくGI2勝目を挙げた。

 ダノンプレミアムやセリフォスなど数々のGI馬を管理してきた中内田調教師が「ここまでの馬は初めてかも」とコメントするほどの逸材。はたして、下馬評どおり、リバティアイランドの、リバティアイランドによる、リバティアイランドのためのオークスになるだろうか。

リバティアイランドに通じる「3頭の名牝」

 リバティアイランドの突出ぶりは、近年では、2018年のアーモンドアイ、2020年のデアリングタクトに通じるものがある。

 3頭とも、桜花賞をメンバー最速の末脚で後方から差し切った。共通点がもうひとつ。アーモンドアイの桜花賞ではラッキーライラック、デアリングタクトの桜花賞ではレシステンシア、リバティアイランドの桜花賞ではコナコーストといった2着馬が完璧な競馬をして「勝負あった」と思われたところで、これら3頭が別次元の脚で逆転し、他馬陣営や観客を驚かせた。

 見る者たちの度肝を抜いた桜花賞として「伝説」になっているのが、1989年、武豊のシャダイカグラが制した一戦である。

 シャダイカグラは1986年3月23日、門別の野島牧場で生まれた。父リアルシャダイ、母ミリーバード(母の父ファバージ)という血統。伯楽として知られる伊藤雄二調教師(当時)の管理馬となった。

 1988年6月19日の新馬戦で柴田政人を背にデビューして2着となり、7月3日の新馬戦で初勝利を挙げる(当時は同一開催の新馬戦に複数回出走できた)。

 3戦目、初芝となった同年10月のりんどう賞から武が主戦となって勝ち、京都3歳ステークスも1着。3歳牝馬ステークスは2着に敗れるも、1989年の年明け初戦となったエルフィンステークスを勝ち、つづくペガサスステークスで牡馬相手に重賞初制覇。押しも押されもせぬ「一強」の主役として牝馬クラシックに臨むことになった。

天才・武豊の自信「9割がた勝てると思います」

 まずは桜花賞。当時の阪神芝1600mのコースは、ゲートから1ハロンほどのところに最初のコーナーがあった。ちょうどスピードが乗るところなので、そこで外を回らされると大きなコースロスになる。ゆえに、桜花賞の外枠は不利、というのが競馬界の常識になっていた。

 シャダイカグラは追い切りでも抜群の動きを見せており、武は「9割がた勝てると思います。大外枠を引いたりしなければね」と自信を見せていた。ところが──。

 シャダイカグラ陣営は、当時行われていたガラガラによる枠順抽選会で8枠を引いてしまった。単枠指定(馬連がなかった時代、人気が集中しそうな馬をひとつの枠に1頭だけ入れたこと)の同馬が8枠を引いたということは、すなわち、大外18番枠に入ることを意味していた。

 単勝1倍台になってもおかしくないほど抜けた存在だったが、最終的に2.2倍に落ち着いた。馬券を買ったファンの不安が表れた数字だったと言えよう。前年の菊花賞でGI初制覇を遂げ、「天才」の名をほしいままにしていた武はこう思った。

 ──これで、負けた場合の言い訳ができたな。

まさかの出遅れ、スタンドに響いた悲鳴

 第49回桜花賞のゲートが開いた。次の瞬間、スタンドから悲鳴が上がった。

 ゲートで立ち上がるような格好になったシャダイカグラが1馬身半ほど出遅れたのだ。

 スタンドの悲鳴は、馬上の武にも届いていた。

 ──ああ、おれのせいやろな。

 前方は馬群の壁に塞がれている。が、武は動じなかった。そこから無理に促して遅れを挽回しようとはせず、シャダイカグラをそのままのペースで走らせ、ぽっかりあいた内へと誘導した。それにより、懸念されていたコースロスがなくなった。

 武・シャダイカグラは馬群を縫って追い上げ、最後の直線、先に抜け出したホクトビーナスを頭差でかわし、勝利をもぎ取った。

 20歳になったばかりの若き天才騎手は、涼しい顔のまま、「出遅れ」という致命的なマイナス要因を、コースロスをなくすというプラス要因に転換した。

 レース後もポーカーフェイスを崩さない彼の姿に、人々はこんな思いを抱いた。

 ──ひょっとしたら、武はわざと出遅れたのではないか。

 やがて、あの桜花賞の勝利は、武の「意図的な出遅れ」によるものというのが、ファンや関係者の間で「定説」になった。

出遅れは意図的? 武豊本人が明かした答え

 数年後、武にあの出遅れが本当に意図的だったかどうか訊くと、こう答えた。

「実は、ゲート入りする直前まで、先行して内に切れ込むか、後ろから行くか、迷っていたんです。でも、馬が極限まで仕上げられて入れ込んでいたので、まともなスタートは切れないだろうと、先行策を諦めました。それで無理せず、ゆっくりとゲートから出しました。意図的というより、覚悟の出遅れ、ですかね」

 せっかく周りが「伝説」にしてくれたのに、自分から否定する必要はないと思い、あえて多くを語らずにいたのだという。

 34年後の今、あれがデビュー3年目の若手の騎乗だったことを考えると、やはり「伝説」と言っていいように思う。

 シャダイカグラの桜花賞もまた、2着のホクトビーナスが完璧なレースをして「勝った」と思われたところを差し切ったものだった。

オークス「1倍台の人気馬」で勝てたのは“半数”

 リバティアイランドは、オークスではほぼ確実に1倍台の支持を集めるだろう。

 1984年のグレード制導入以降、オークスで1倍台の支持を集めた馬は、1986年メジロラモーヌ(1着)、87年マックスビューティ(1着)、89年シャダイカグラ(2着)、2001年テイエムオーシャン(3着)、03年アドマイヤグルーヴ(7着)、04年ダンスインザムード(4着)、05年シーザリオ(1着)、09年ブエナビスタ(1着)、14年ハープスター(2着)、18年アーモンドアイ(1着)、20年デアリングタクト(1着)、21年ソダシ(8着)の12頭。勝ったのは半数の6頭と、厳しいデータが出ている。

 シャダイカグラも、リバティアイランドと同じ川田将雅が騎乗したハープスターも2着に惜敗している。

 重圧のかかるなか、リバティアイランドは史上17頭目の牝馬クラシック二冠馬となるか。個人的には、このまま「一強路線」を突っ走ってほしいと思っている。

文=島田明宏

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