北海道日本ハムファイターズが総工費600億円を投じて完成した「エスコンフィールドHOKKAIDO」。本拠地・札幌ドームがあるのになぜ、巨額の資金と労力をかけて新たなスタジアムが建設されることが決まった。200万人都市・札幌か、それとも人口6万に満たない北広島市かーー建設地が決定する「運命の1日」に迫る緊迫ドキュメント!
ベストセラー『嫌われた監督』の作家・鈴木忠平氏が描いた『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介します。【全2回の後編/前編へ】
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ーー午前8時半 東京
取締役会が行われるホテルの会議室には、季節に合わせたかのような花の名がつけられていた。窓の外は朝陽に輝いていた。ただ、室内は春の穏やかさとは裏腹な重苦しい空気に包まれていた。長テーブルにはスーツ姿の男たちが顔を揃えていた。日本ハム臨時取締役会。その最初の議題がファイターズのボールパーク建設候補地決定であった。
取締役9名、監査役5名、ファイターズ球団から3名、計17名の出席者の中に大社啓二がいた。取締役専務としての出席だった。大社はぐるりと並んだ椅子の一つから部屋全体を俯瞰していた。取締役たちの厳しい顔や、その手元に置かれた資料、前沢と三谷の強張った表情など目に見えるものだけでなく、部屋の空気そのものを見渡していた。肩書きがどうあれ、場がどこであれ、大社は空を舞う鳥のような視点でものを見ることを習慣づけていた。それは養父であり、日本ハム創業者である大社義規の影響だったかもしれない。徳島で食肉加工工場を起こし、一代で日本最大の食肉メーカーを築き上げた父は大社の目から見れば“働かない人”だった。動かない人と言った方が良いかもしれない。自分が動きまわるのではなく、人を動かした。
「政治でもビジネスでも、責任者の席がなぜ他の者より高いところにあるか分かるか?」
父はよく大社にそう問うた。
「遠くを見るためだ。トップは小さなゴミを見つけて拾うためにいるのではない。大局観を持つためにいるんだ。トップが下を見たら、その下の者はさらに下を向く。その下の者は何もしなくなる」
だから日本ハムに入社し、代表取締役社長を務める中、大社の視線も常に大局に向けられてきた。ボールパーク計画についても自分の役割は直接に関わることではなく、広く遠くまで見渡すことだと考えていた。
北海道へ移転した当初、オーナーだった大社はすでに球団理念に沿ったホームスタジアム構想を抱いていた。札幌ドームに受け入れてもらうことはできたが、いずれは野球を観るためだけではなく、人と地域を繫ぐ空間を自分たちで運営していかなければならないと考えていた。2014年に札幌で開かれた地元新聞社主催のフォーラムでは天然芝球場と少年野球場、多目的アリーナや商業施設を札幌ドーム周辺に造る構想を示した。そこには円山公園の陸上競技場を活用した総合スポーツ施設のイメージも含まれていた。
ただ、大社の構想はあくまで行政が建てた施設をベースにしたものだった。本社の負うリスクをゼロにしたかったからだ。背景には本社の代表取締役社長として経験した2002年の牛肉偽装事件があった。国内での狂牛病発生をきっかけに、食肉メーカーの補助金不正受給問題が相次いで発覚したあの事件である。当時、大社にはルールを破ったという感覚はなかった。だが、現実には民法400条・善管注意義務違反にとわれた。
『特定物の引渡し義務を負う者はその引渡しが完了するまで、その特定物を善良な管理者の注意義務をもって保存しなければならない』
あの事件を思い起こす度、後悔に襲われた。他企業による不正受給が発生した後、政府の要請で業界各社が自主検査を行った際に、なぜ自ら子会社の冷凍庫を開けて確かめなかったのか。なぜ病巣が自分たちの足元に迫っていると疑わなかったのか。
球団を飛び出した前沢に大社が会った理由
落とし穴は自分が見えないところに潜んでいる。社長の座を降りることになったこの事件で嫌というほど思い知らされた。以来、大社は執拗なまでのリスクヘッジを自らに課すようになった。球団理念の具現化は常に頭にあったが、あくまでリスクの低い公設民営ボールパークの域を出なかったのはそのためだった。
ところが前沢と三谷はリスクに挑むように自前の新スタジアム計画を出してきた。周囲の制止を振り切るように突き進んできた。大社も心のどこかで分かっていた。理想というのは、彼らのように胸に青い部分を宿した者でなければ実現できない。前沢が球団を飛び出した後、頻繁に会いに行ったのも、ファイターズにとって必要な男だと感じていたからだった。
彼らはリスクを怖れなかった。その本当の怖ろしさを知らないとも言えた。ならば自分が鳥の眼をもって、彼らの行く道にある落とし穴を見つけ示してやればいいーー大社はずっとそう考えてきた。
球団の提案は承認されるのか、突き返されるのか
取締役会は定刻通りに始まった。冒頭、本社側の説明者から球団の選んだ建設地について報告があった。続いて前沢が取締役たちの手元に配った評価表に基づいて候補地選定の理由と経緯を説明した。質疑が始まったのはそれからだった。球団の提案が承認されるのか、突き返されるのか、あるいは反対側へと覆るのかが決まる場面だった。その証拠に会議室の空気は質疑に入った途端、緊迫の度を増した。
口火を切ったのは大社だった。自治体側が球団に求めるものがあるように、ファイターズ側から自治体に求めていた条件もあった。もし万が一、その課題を自治体がクリアできなかった場合にはどうするのか? そこを指摘した。
大社の視線の先には前沢がいた。立場を超えて球団とボールパーク計画について議論してきた男にあえて質問の矢を放った。大社が指摘した自治体側の課題とは、主に固定資産税の減免を指していた。本社の出資リスクを左右する要件だった。実行できるか否かで計画が頓挫する可能性もある。実務者たちにとって最もナイーブな部分だった。
前沢は少し考えてから答えた。課題については自治体の長から了承の返事をもらっており、実行されない可能性は低いこと、だが、もし実行されなかった場合は再度、取締役会で諮ってもらう必要があることを強張った表情で説明した。
行く道の暗がりに潜んでいるリスクを指摘する者と、それを踏み越えて航路を見出そうとする者とのやり取りだった。
静寂の中、大社は次の問いを投げた。
今度は札幌市と北広島市、2つの自治体の評価についてだった。具体的にどこにどんな違いがあるのか、とりわけ球団が選んだ自治体が劣っている部分はどこかーー落ち着きかけていた天秤をあえて揺らすような質問だった。
前沢はやはりわずかな思考の間を置いて答えた。
札幌市の年度財源が1兆円規模であるのに対して北広島市は約250億円であり、財政基盤や自治体そのものの評価では札幌市が上まわっていること、一方で自治体の協力体制という面では逆に北広島が札幌を上まわっていることなどを硬い口調で説明した。
足下の薄氷を叩くような2人の応酬を他の役員たちがじっと見守っていた。ベースボール事業にグループ史上最大の投資をするべきか否かを見極めようとしていた。
「球団を持っていなかったら、他の会社と同じハム屋だ」
張りつめた空気の中、大社の胸にはひとつの感慨が押し寄せていた。長年、日本ハムの本社内ではベースボール事業は創業家の領域であると考えられてきた。1973年に日拓ホームフライヤーズを買収した当初から、野球愛好家である創業者の道楽と捉えている社員も少なくなかった。本体や本業とは切り離して考えられてきた。それが大社には疑問だった。代表取締役社長だった当時、社員たちにこう言ったことがあった。
「もし球団を持っていなかったら、うちは他の会社と同じように肉屋であり、ハム屋だ。うちが他の企業と違うのは球団を持っているからなんだ」
大社は父の晩年、残された時間をともに過ごすため兵庫県の芦屋に邸宅を建てた。父は神戸港と大阪湾が見渡せる三角屋根の部屋が好きだった。その窓からよく外を眺めてい た。広く遠く世界を見通すような視線だった。
大社はずっと考えてきた。父がファイターズを持ったのはなぜか。この球団の未来に何を見ていたのか。その答えを今、本社の取締役と球団の職員とがともに考えている。そこに感慨を覚えたのだ。
三谷仁志は揺れる天秤の上にいた。現実には会議室の絨毯の上に立っているのだが、それほど心は不安定に行ったり来たりしていた。目の前で繰り広げられているのはボールパーク建設地を決定する会議だった。ファイターズとしての結論を出し、それに関する資料も提出した。この日のために自治体との協議を2年間続けてきた。本社に幾度となく足を運び、取締役たちへの説明と根回しもしてきた。あとは了承を得るだけのはずだった。
本当にその場所で大丈夫なのか?
ただ、運命の日を迎えてみると、足下の氷はこんなに薄かったのかと思わずにいられなかった。
ーー本当にその場所で大丈夫なのか? 会議室に9人いる取締役の中から一つでもそうした発言が出れば、結論は呆気なくひっくり返ってしまいそうな気がした。それだけ、あらゆることが不確定だった。
冷静に商業圏ということで考えれば、札幌か北広島かという市町村の境界線はあまり意味を持たないはずだった。だが、多くの人間がそうした感覚は持ち合わせていなかった。 こちら側とあちら側。大都市と地方都市。心の中に見えない境界線を引いていた。その狭間で天秤は激しく揺れ動いていた。
一体、何が目的なんだ…敵なのか味方なのか
眼前では大社と前沢のやり取りが続いていた。途中、監査役から資料について質問があったものの、会議室にはほとんど2人の声だけが響いていた。大社の問いは鋭利で、少しでも前沢が答えに窮すれば天秤は自分たちが望む反対側へと傾いてしまいそうだった。
一体、何が目的なんだ......。三谷は大社の真意を測りかねていた。球団と本社で組織し たタスクフォースチームの一員としてプロジェクトを成功に導いてくれる存在かと思えば、会議では急所を突くような問いを投げてくる。敵なのか味方なのか、分からなかった。
三谷は会議室を見渡した。他の取締役たちは大社と前沢が対峙するのを見守っていた。
その中に代表取締役専務の川村浩二もいた。
「私は反対だからーー」
初めて顔を合わせた時に面と向かって言われた。誰よりもプロジェクトに対する厳しい眼を持ったこの人を説得しなければ道は開けないと考えてやってきた。その川村は冒頭から沈黙を保ったままだった。大社が放つ質問の矢と、取締役たちの不気味な沈黙の中、三谷は耐えるしかなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。1月に就任した代表取締役社長の畑佳秀が言った。
「他にご質問ないでしょうか?」
三谷は身を硬くした。
「それでは候補地選定に関しては、これで承認ということでよろしいでしょうか?」
三谷は祈るように会場を見渡した。取締役たちは口を閉ざしていた。川村もじっと前を見つめたままだった。祈る三谷には、その時間が永遠のように感じられた。
<前編から読む>
文=鈴木忠平
photograph by Kiichi Matsumoto