今春からプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズでプレーしている元ロッテの清田育宏外野手。2021年5月にロッテを契約解除となってから、2年間の空白期間を経て再びユニフォームに袖を通した。なぜ現役復帰を選んだのか、野球に対する今の率直な思いをNumberWebのインタビューで語った。〈全2回の#1/#2を読む〉
――清田さんも過去に招集された経験を持つ侍ジャパン(野球日本代表)が、第5回WBCを制しました。
清田 ロッテを退団して以降、じつはプロ野球の試合はまったく観ていなかったんです。というより心境的に観られなかった。家で野球を流しづらかったですし……。だから久しぶりにトップレベルの野球の試合で観たという感じでした。大谷(翔平)選手とも対戦経験がありますし、吉田(正尚)選手、近藤(健介)選手と、近くで見ていたメンバーが活躍していて、あらためてそのスゴさに見入っていました。
――約2年ぶりに観た野球がWBCだったんですね。
清田 昨年解説の仕事をいただいた独立リーグの試合は観てましたが、NPBやメジャーに限っていえばそうですね。この春に埼玉武蔵ヒートベアーズとの選手契約が決まったので、心境的に観られるようになったというのもあります。
――ロッテを退団したのが2021年5月。以降、どのような生活を送っていたのですか。
清田 こういう状況を招いた自分がすべて悪いんですけど……やっぱり野球から離れられなくて。復帰なんて考えられる状況ではなかったですが、野球を忘れられなかったことも事実でした。なので、とりあえず練習しながら今後どうしていくかを考えようと。退団直後は、G.G.佐藤さん(元西武、ロッテなど)と一緒に練習させてもらうこともありました。
――その年、プロ野球のトライアウトを受けるという選択肢はなかった?
清田 本音は受けたかったです。ただ、公の場に出ると批判されるでしょうし、多くの人に迷惑かけることになるだろうなと。
――シーズン中の解雇とあって、その後、清田さんが歩むプロセスがすべて「初」になったことも大きいですよね。言い換えれば、前例がなかった。
清田 まあ、そうですね。でもそのことについてはお話できないんです。申し訳ありません。
「やっぱり野球が好きだったんです」
――埼玉武蔵ヒートベアーズとの契約はどのような経緯で決まったのですか。
清田 ロッテ時代の後輩で昨年まで埼玉の監督だった角晃多さん(現・球団社長)から、一緒に野球を盛り上げていきましょうとお声がけいただいて。昨年は解説という形で関わらせていただき、今年から選手契約を結ぶことになりました。
とはいえ、すぐにやりますとは言えなかったですね。自分だけで決められることではないので、家族や親、知人に相談しました。そこで「聞くってことはやりたいんでしょ」って背中を押してくれた。やっぱり野球が好きだったんです。
――練習はどのように続けていたんですか。
清田 毎日家の近くを走って、公園で壁当てと素振り。2年間続けました。並行して、「ディーエーアカデミー」という野球教室で、子どもたちに教える機会もいただいて。
もちろん、自分が子どもに教えていいんだろうか……という迷いもありました。親御さんによく思われないでしょうし。なので事前に、僕で大丈夫なのか、スクールの方から確認をとっていただき、OKが出たので参加させていただいたんです。
――清田さんのインスタグラムで拝見したのですが、指導した子どもたちとは今も関係がつづいているようですね。
清田 そうなんです。大宮まで僕の試合を見に来てくれて。うれしかったですね。今後も僕にできることはサポートしていきたいですし、お世話になった方には恩返ししていきたい。本当にいろいろな人に支えられましたから。僕に声をかけるだけでよく思われない可能性もあると思うので。
「僕の場合はどこかで驕りがあった」
――G.G.佐藤さん、角さんの他にも助けてくれた人たちがいたんですね。
清田 野球アカデミーの方もそうですし、野球用品のメーカー(Konies)とも契約させていただきました。声をかけていただいた人たちには本当に感謝してもしきれないです。
――G.G.佐藤さんが清田さんのことを「清田には野球に対する熱い気持ちがあったから、僕から(練習の誘いの)声を掛けた」と話していました。そして「人懐こくて誰からも好かれるタイプ」とも。
清田 僕はただただ幸運だったと思います。G.G.さんをはじめ多くの方々のおかげで、気づけたことが沢山あるので。
――というのは?
清田 プロ野球選手になると、私生活でちやほやされるんです。自分は大した選手じゃない、と言い聞かせていても、僕の場合はどこかで驕りがあったのだと思う。練習環境とかも含めて、特別扱いされることが普通になるというか。自分がいかに恵まれていたか、普通にNPB選手として引退していたら気づけなかったと思うんです。もちろんすべてのプロ野球選手がそうじゃなくて、僕が未熟だっただけなのですが。
それが今は、一見小さなことに対してもありがたく感じられるというか。自分がボールを投げて、それを捕ってくれる相手がいる状況が2年ぶりなので。キャッチボールする相手がいるだけでありがたいと思える。大学時代は面倒くさかったグラウンド整備も、自分で使ったんだから自分で綺麗にするのは当たり前と思えるようになった。もっと言うと、今のほうが純粋な気持ちでプレーできている気がします。「野球ってこんなに楽しかったんだな」って。
若い選手の中で白球を追う
――チームでは主に2番を任されています。久しぶりの実戦復帰でも体は問題なく動くものですか。
清田 いや、最初はまったく動かなかったですね。今でも、なぜ打てているのか自分でもよくわからない感じです(笑)。ただ、チームに自分がいる意味は成績だけじゃないと思っていて。独立リーグからNPBを目指す選手たちにとって、少しでもプラスになるような存在でありたい。打順も2番が多いので、いい状況でクリーンナップの若い選手たちにつなぐという思いで打席に入っています。いまは自分が打点を挙げるより、後輩たちが活躍してくれたほうが気分がいいんです、本当に。
〈つづく〉
文=田中仰
photograph by Haruka Sato