17年もの長い間、”アレ”から遠ざかる阪神タイガースに勝ち方を知る指揮官が戻ってきた。すると開幕から面白いように采配が的中、チームの変革に成功した。名将・岡田彰布はどこまで野球を深く知るのか、その核心に迫る。
現在発売中のNumber1074号掲載の[ロングインタビュー]岡田彰布「勝負はまだまだこれからよ」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
甲子園には、タイガースと岡田彰布の蜜月をあらわす場所がある。
室内練習場の2階廊下。白い壁には、重厚な木の額縁に入った11枚の写真が飾られている。藤村富美男、吉田義男、星野仙一ら球団史を彩った猛者たちと肩を並べ、岡田の姿もある。'05年優勝の胴上げや優勝トロフィーの隣で白い歯を見せるショットだ。
ただ、1枚だけ、不思議な写真がある。
1962年10月5日の優勝パレードを撮ったパネルには、観衆が路上にあふれ、選手が乗るオープンカーを囲む様子が収められていた。よく見ると大人に混じり、一人の少年がユニフォーム姿で車のなかに座っている。
「あれ、監督なんですよね。そう聞いたことがあります」
そう話すのは、監督付き広報の藤原通だ。チームの支援者だった父勇郎の影響で、幼少期から阪神ファンだった岡田少年がパレードの写真に映っている――。代々、関係者に伝わってきた定説だ。
しかし、当の本人は、写真を一瞥して首をかしげる。
「これな、分からんわ。乗ってたけど、どこに乗ってたかまでは憶えてないよ」
岡田少年は当時4歳。記憶がおぼろげのまま、いつしか球団のなかで既成事実になっていった。
「勝ち方」を知る数少ない指揮官
岡田はタイガースとの深い縁に導かれるように、今季、15年ぶりに阪神の監督として戻ってきた。21世紀に入ってからチームが優勝したのは2度だけ。'03年の星野と'05年の岡田体制時だ。「勝ち方」を知る数少ない指揮官が、再び、超人気球団を率いる。さぞかし重責を感じているのかと思いきや、拍子抜けする答えが返ってきた。
「1回目('04〜'08年)の方が、'03年に優勝したチームを引き受けて『重み』を感じたけどな。いまは若い選手が多いから、最初は手探りの部分もあるし、力的には未知数よ。だから、今年は絶対に勝たなあかんと思ってやってない。でも、選手が自信をつけていったら可能性が広がっていくチームやと思う」
御年65歳。12球団最年長監督に気負いはない。筋金入りの負けず嫌いだから「絶対に勝たなあかんと思ってやってない」は話半分だろうが、ひとたび、シーズンが始まれば、選手の自信を育むための知恵を振り絞った。
「打撃に専念できる態勢を作らんと」
開幕から4連勝。
チームは順調に滑り出した。
だが、主砲の佐藤輝明が4月下旬まで打率1割台に低迷。それでも、スタメン落ちは2試合だけで、我慢して使いつづけた。
昨年10月、真っ先に決めたのが大山悠輔の一塁、佐藤輝の三塁での固定起用だった。
「佐藤なんか、元々サードをやってたから、その方がリズムもできるやろ。クリーンアップを打ってるヤツがポジションをコロコロ替えたらあかん。打撃に専念できるような態勢を作らんと野球になれへんで」
昨季まで好不調の波が激しく、不振になれば長引いていた大山は春先から安定。一塁守備でも安心感をもたらした。
「大事なのはエラーの数じゃないからな」
岡田は1期目と同じように守り勝つ野球を掲げる。開幕前の戦略で鮮やかにハマっているのが、昨年まで遊撃レギュラーだった中野拓夢の二塁コンバートだ。機敏な動きを連発し、2番打者としても活躍する。
「俺、何とも思ってないよ(笑)。好守って、あんなん普通のプレーよ。体に染み込んだら、別に普通やで。いまはもう、自然に動けている。普通のレベルがだんだん高くなってるわけやろ。土の甲子園でやっている以上、どこかでエラーするけど、大事なのはエラーの数じゃないからな」
突き放した物言いだが、実は褒めている。積極的にプレーした結果の失策をとがめないのもプラスに働いているのだろう。それにしても、中野の守備位置変更は大胆に映る。昨季は遊撃でベストナインに輝き、3月のWBCもショートが主戦場だった。だが、岡田は'22年までの評論家生活で人知れず「セカンド中野」の腹案を温めてきた。
「記者席から見ていて、ショート、どこ守ってんねんって。肩に自信がないからやろ。そんな不安をもって打席に立ったら、打つほうにも影響するよ」
なぜ、守備重視の野球を志向するのか?
内野手は守備位置で肩の強さを推し量れる。甲子園を守るショートの場合、黒土と芝生の境目が一つの目安になる。芝生近くまで下がって守る選手は、肩に自信があるとみていい。背後に黒土の範囲が広い選手は、肩に不安がある。中野は後者だった。
それにしても現役時、スラッガーとして鳴らした岡田はなぜ、守備重視の野球を志向するのだろうか。
「現役の時から守備が大事だと思ってたよ。打者はよく打っても3割。10回のうち、7回失敗するし、打つ方はそんな期待できん。対して守備率は10割に近づけるやろ。トーナメントみたいな一発勝負やったら、打線の波が来ているときは打ち勝てるけど、143試合という長いシーズンは、それじゃ無理やわ。俺はずっと『ショートは別に打たんでもいい』って言ってるのに、木浪聖也は(好調で)勝手に打ちよる(笑)」
岡田監督は「木を見て、森の奥まで見ている」
前回、岡田が指揮を執った'04年から投手コーチとして支えた中西清起は、指揮官としての特徴をこう評したことがある。
「木を見て森を見ず、じゃ話にならない。岡田監督は全然、ちがう。木を見て、森の奥まで見ていると思う」
中西が指摘する「森の奥」とは、野球の本質といっていい。試合後の談話でハッとさせられることが多いのは、気づきそうで見過ごしてきた野球の真理を突いているからだろう。指揮官の深遠なる思考もまた、チームの勝利を呼びこむ重要な要素だ。
岡田は長いシーズンに臨むにあたり「3つの目」を持って毎試合を戦っている。
虫の目=細部に目を凝らす。
鳥の目=大局を俯瞰する。
魚の目=勝負所で一気に流れをつかむ。
戦いをつぶさにみれば、岡田がいかに複眼的な采配を振っているかがよく分かる。
開幕3戦目で「岡田マジック」を披露
◆4月2日DeNA戦 ○6−2
序盤戦を振り返ると、開幕3戦目という早々のタイミングでインパクト抜群の「岡田マジック」を披露した。老練なタクトには「3つの目」が見え隠れした。
2点リードの8回2死一塁で、左打ちの島田海吏が打席に入った。一塁走者は'21年盗塁王の中野で、マウンドは足の揺さぶりにもろいエドウィン・エスコバーだ。二塁を狙える状況だった。初球はストライク、その直後からエスコバーが2度、牽制球を挟んだ。明らかに中野を嫌っていた。3度目の牽制直前、動きを見抜いた中野が二盗に成功すると、岡田はすぐにベンチを出た。
「代打原口」
勝負どころでの切り札、原口文仁が打席途中から起用され、その初球をとらえた。左越えの2ランで引導を渡したのだ。
快勝直後、グラウンドで整列する指揮官にヘッドコーチの平田勝男が声をかけた。
「監督、今日はさすがですな!」
'05年も参謀として支えた平田が「ここで代打、出すのかと思った」と驚いたほど、岡田の勝負勘は冴えた。一瞬で流れをつかむ。圧巻の「魚の目」だった。
劇的なアーチでかすんだが、監督が知略をめぐらせた結果だった。一塁走者が捕手の死角になりやすい左打者の島田を打席に立たせ、中野が得点圏に進みやすい状況を整えたこと。そして唐突にも映る、原口の代打は岡田の「虫の目」の賜物だ。
「前の日もエスコバーにいい感じのサードファウルフライやったんや。悪い打ち方やなかったし、紙一重のタイミングやった。それで、躊躇なく原口でいったんよ」
岡田は前日の凡退の内容から、冷静に2人の相性を見極めていた。
思惑はもう一つある。
「開幕から湯浅を3連投させたくなかった。あのまま2点差やったら、3連投になってしまうから。だから、点をほしかった」
守護神の湯浅京己は3月のWBCに出場していた。早くも開幕1、2戦目で連投。始まったばかりとはいえ、酷使を避けたかった。まだ春なのに「鳥の目」で秋まで見据えていた。
岡田彰布Akinobu Okada
1957年11月25日、大阪府生まれ。北陽高、早大を経て'80年、ドラフト1位で阪神入団。'85年は35本塁打で日本一に貢献。オリックスを経て、'95年限りで現役を引退。'04年に阪神監督就任。'05年にリーグ優勝。'10年から3年間はオリックス監督。'23年に阪神監督に復帰した。
文=酒井俊作
photograph by Takuya Sugiyama