あれは確か、2019年の夏前ごろだった。
取材先の小樽のホテルで朝、新聞を広げていたら、地方版の隅っこに「夏の甲子園大会・支部予選展望」なる小さな記事を見つけた。
北海道の高校野球は、夏の甲子園大会出場校を決する「南北海道大会」と「北北海道大会」の前に、例えば「札幌支部」や帯広周辺の「十勝支部」というように支部大会を行って、南・北北海道大会の予選としている。
その「小樽支部」の記事が載っていて、こんな記述があった。
「寿都高・滝田一希投手は183センチの長身左腕」
調べてみれば、寿都は「すっつ」と読むそうで、小樽から南西へおよそ100キロの港町。レンタカーが足の出張だったから、小樽から2時間ほどだ。予定を1日延ばして、練習を見に行こう。即決で、寿都高に向かった。
着いてみると、5分ほどあれば人家のある場所を通り抜けてしまいそうな漁港の町で、海から山に向かって、小高くなっている場所に寿都高があった。
練習はしていたが、ユニフォーム姿の中に「183センチの長身」が見当たらない。近くに来た選手に聞くと、今日はたまたま休みだという。
滝田投手の「投」について、プレーが見られなかったのはとても心残りだったが、代わりに、とんでもなく足が速いことを教えてもらった。
183センチの長身左腕がとんでもない俊足……それだけで間違いなく「将来性と伸びしろ」だから、そこがわかっただけでも大収穫。いずれどこかで、そのプレーを見ることになるだろう。大きな楽しみを1つお土産にして、自分なりに納得して帰ったのを覚えている。
記者席で「不思議なピッチャーですよ」
そんな伏線があったから、2年前に星槎道都大(北広島市)の2年生で「滝田一希」という左腕が台頭してきたことが聞こえてくると、あの時の……と、胸が躍ったものだった。
そして今年の5月中旬。4年生になり、ドラフト候補になった滝田投手を見に行った。前日のリーグ戦が雨で延びて、球場にはまだ名残りの小雨がぱらつき冷たい風が吹いている。
第1試合が終わって、星槎道都大の選手たちがグラウンドに現れた。
探さなくても、すぐ「それ」とわかる。ひと際目立つ長身の、いかにも投手らしい程よい筋肉量のシルエットで、腕が長い。
アップが始まって、外野で走る姿が目に飛び込んでくる。やはり、探さなくてもすぐわかる。大きなストライドで、長身がグイグイ距離を伸ばしていく。
ブルペンはどうするんだろう? 星槎道都大のシートノックは始まっているのに、三塁側ブルペンには誰もいない。滝田はどこだろう? 探すと、ノッカーの横で手伝いをしている。この日の先発投手であることは発表されているのに、準備は大丈夫なのだろうか?
結局、試合開始直前に、ダグアウト前でキャッチボールを10球ほど。たったそれだけの「段取り」で、初回のマウンドに上がって行ったから驚いた。
「ああいうことは、よくありますよ、滝田君は。試合開始までずっと姿を見せないで、選手集合で初めてグラウンドに飛び出してきたこともある。不思議なピッチャーですよ」
記者席に居合わせた北海学園大・島崎圭介監督が教えてくれた。身長168cm、NTT北海道の快速球投手・島崎圭介が「145キロ」をマークしたのは、もう30年近く前になる。
別の大学監督の証言「去年までの滝田投手は…」
今日の相手は北海道大学。甲子園経験者などはほとんどいないけれど、2部リーグから昇格して間がなく、チームには勢いがある。
立ち上がりから、滝田投手がガンガン飛ばす。ビュン!と音が聞こえてくるような、猛烈な腕の振りだ。
ネット裏のスピードガンで、アベレージ145キロ前後。最速で150キロを何度もクリアしたことのある剛腕だから、ビックリする数字じゃないかもしれないが、それでもクロスファイアーの強烈さには目をむく。
今の捕手は、サウスポーのクロスファイアーも、ミットを横に寝かせて(ミットの中の親指が下を向く)捕りにいくので、滝田一希の猛烈な勢いで切れ込んでくる右打者の内角速球に、ミットが吹っ飛ばされそうになっている。右打者が小さく飛びのいた内角速球が「ストライク」になる。
前半5イニング。チェンジアップとスライダーをわずかに2、3球ずつはさんだだけで、ほとんどストレート1本の力勝負だ。
勝負球で力んで、ストレートをふかして(高めに抜けて)しまうのがもったいない。
とはいえ初球、左打者の顔面あたりに速球が抜けた後、一転して、対角線の外角低めにクロスファイアーを2つ続けて追い込んでしまう。こういうピッチングをされると、打者は想定が作れなくなって頭が混乱し、思わぬボール球に手を出してしまって、凡退を繰り返す。
効果的な荒れ球……そのへんも、滝田投手の持ち味のようだ。
別の監督さんは、こんな解説をしてくださった。
「去年までの滝田君は、威力抜群のまっすぐと、抜けたまっすぐとの差がもっとハッキリしてましたね。この春は、それがだいぶコンスタントになってきて、長打にされそうなまっすぐはほとんどなくなってきたように思います。素晴らしいクロスファイアーで空振り三振奪った次のバッターに、ストレートの四球……みたいな荒れ球はあまり変わってないようにも見えますが」
「大野君(中日)ぐらいしか思い出せませんね」
捕手の真後ろの位置から見て、投げる投手の体の面積が大きく見えていると、打者は打ちやすい……そう聞くので、ネット裏スタンドに上がり、捕手後方の角度から、滝田投手の投球動作を見る。
なるほど……と思う。右足を踏み込んで、両肩のラインがまっすぐ捕手方向を向いている瞬間、滝田投手の体は「1本のタテ線」にしか見えない。
次の瞬間、体の左右を一気に入れ換えるような動きで腕が振り下ろされると、球筋は安定して、リリースの一瞬に確かな指のかかりを感じる。
逆に、ユニフォームの胸のマークがはっきり見えるような時は、確かに体の「面積」が感じられ、腕が頭から離れた位置から振り下ろされて、リリースでも指先から放り投げられているように見え、ほぼ投げ損じとなる。同じ監督さんが語る。
「そのへんで、まだ時々ブレてますね、滝田君は。でも、私、今まで長いことピッチャー見てますけど、滝田君ほどの球威と角度と身体能力持った左ピッチャーなんて、そうだなぁ……佛教大の頃の大野君(雄大・中日)ぐらいしか思い出せませんね」
身体能力……そうだ、その片鱗を見せてくれたシーンもあった。
走者一塁での送りバント。転がったボールにとっつくスピードの速いこと。さらに、二塁に投げる体勢にしてからボールを拾い、ノーステップで投げた二塁送球が、ベースの手前でグーンとホップしたように見えたから、驚いた。教えてもどうにもならないスピード感と力感。「身体能力」で送りバントを封じてしまった。
強風と冷たい小雨が体温をどんどんと奪っていくコンディションの中、躍動感あふれる投げっぷりで、先発の7イニングをわずか1安打。4四球は与えたものの10個の三振を奪って、北海道大打線を無失点に封じた滝田一希。
5球団のスカウトが熱視線…現場の評価は?
寒さに震えながら、5球団のスカウトたちが、ネット裏から視線を注いでいた。
ちょっと訊いてみた。
東洋大の細野(晴希)君(※同じく左投手、今年のドラフト有力候補)と、どっちが好きですか……。
「うーん……」と、返事に困ってから、10秒ほど沈黙があった。
困りながらも嬉しそうな表情だったから、きっとどちらもすごく楽しみな存在なのだろう。
「間違いないのは細野かもしれないけど、夢があるのはこっちでしょうね。でも……個人的には、細野かなぁ」
滝田投手、じつは高校までの野球のつもりだったと聞いていた。たまたま投球を見て、その素質に惚れ込んだ二宮至監督の熱心な誘いに翻意。そんなご縁と、ご家族のバックアップがあったから「今」がある。
星槎道都大、リーグ戦を制して全日本大学野球選手権に出場した(6月5日の大商大戦で滝田は4回2/3、自責点5と崩れた)。
6人きょうだいを育てるために懸命に働いた母親・美智子さんは、昨年春、52歳の若さで亡くなったと聞く。
滝田投手の野球の道はこの春、目の前に一気に開けた。地元の人しか知らぬ「すっつ」と読む小さな港町が全国に知れわたる日も、もうすぐそこまでやって来ている。
文=安倍昌彦