日本中を熱狂の渦に巻き込んだ第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の優勝から2カ月余。5月31日をもって栗山英樹監督が退任し、6月1日から「侍ジャパン」は新しいステップへと踏み出した。
その第1歩となるのが、代表監督の選任となる。実は3月の大会終了後からNPB内部では栗山監督の続投を望む声が大きくあり、実際に水面下で何度も栗山監督本人との話し合いも持たれてきたと聞く。しかし最終的に本人の退任の意思が固く、続投は消滅。新たな人選を進めることになったが、これが想像以上に難航しそうなのである。
代表監督の選任が難航した例で思い出されるのが、2009年のWBC第2回大会のケースだ。
レジェンド「ON」が率いて…
それまでずっとアマチュア野球の領域だった日本代表という枠組みに、プロ野球が本格的に関わり出したのは04年のアテネ五輪からだった。この時初めてオールプロによる日本代表が編成されて、監督もプロ野球経験者から選任することになった。そこで指揮を任されたのが巨人の監督を退いたばかりの長嶋茂雄現巨人軍終身名誉監督だった。長嶋監督は本大会を目前に脳梗塞で倒れ、アテネ五輪では中畑清ヘッドコーチを中心に戦うことになったが、それでも最終的には銅メダルを獲得している。
それから2年後の06年に第1回大会が始まったWBCでは、当時、ソフトバンクの指揮をしていた王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)が代表監督に就任。見事に世界一に輝いた。
ONという球界のレジェンドの後、08年の北京五輪日本代表で指揮を執ったのが星野仙一さんである。闘将と謳われた星野さんは、低迷した中日や阪神を優勝に導くなど監督としての実績は十分だった。しかし北京五輪でメダルを逃したことで雲行きが怪しくなっていく。
北京五輪での惨敗後も、翌09年に控えた第2回WBCは星野体制で臨むことが既定方針と言われていた。しかしそこに待ったをかけたのが当時、楽天の監督だった野村克也さんとシアトル・マリナーズで現役バリバリだったイチローさんだったのである。
「星野続投」の流れを変えたイチロー発言
野村さんは自らが委員として出席したWBC体制検討会議について「王も『現役監督は難しい。星野がいい』って言っていたかな」と現役監督の自分が候補から外され、当初から星野監督ありきだったと暴露。一方、これに呼応するようにイチローさんが「最強チームを作るという一方で、現役監督から選ぶのは難しいというのでは、本気で最強チームを作ろうとしているとは思えない」と発言。更に「大切なのは足並みを揃えること。北京の流れから(WBCを)リベンジの場と捉える空気があるとしたら、チームの足並みを揃えることなど不可能」と“星野監督”に反旗を翻したのである。
これをきっかけに星野続投論は一変。出来レース的な監督選任に世間のバッシングも激しくなったことで、星野さん自身がWBC監督就任の辞退を表明した。
そこから再び監督の選任は混迷を極めることになるわけだが、その1つの理由が“連覇”という重圧だったのである。
王監督率いた第1回大会で世界一となり、この第2回大会は優勝、連覇が必達目標とされる大会になっていた。ただ当然、アメリカをはじめ、他の出場国も第1回大会に比べるとより充実した選手、戦力をそろえて臨んでくることは目に見えていた。そこでもし優勝を逃すことになれば、監督の評価はどうなるのか。
「よく引き受けましたね」に原監督の答えは…
候補者の中には08年に日本シリーズで巨人を破り日本一監督となり、正力松太郎賞を受賞した西武の渡辺久信監督(現西武GM)らの名前も挙がった。しかし渡辺監督は候補として名前が取り沙汰されると、早々に「もっと適任者がいるはず」と“辞退”を表明。さらにその後名前が上がった他の候補たちも、次々と就任に腰を引く流れとなってしまった。
障害となっていたのはやはり、勝てなかったときのリスクだった。特に北京五輪でメダルを逃し惨敗した星野監督に対する世間のバッシングは想像以上で、その激しさを目の当たりにしたばかりだったというのも影響していたはずである。
実はここが同じように連覇を求められる次期監督選任の難しさにもつながるだろう。
09年の第2回大会では最終的に巨人で指揮をとっていた原辰徳監督が指名され、就任した。就任会見直後に「よく引き受けましたね」という筆者の直接的な質問に、原監督は「代表監督とはたらい回しにされるものではないと思っていたから、もし声が掛かれば受けるつもりだった」と答えている。そして大会では見事に連覇を果たした。
「勝つこと」以外の代表監督の役割
この第2回大会はイチローが宮崎での事前キャンプから参加したこともあり、日本代表への注目度が一躍、上昇した大会でもあった。そしてファンからの注目度が上がったことで、代表監督にとっては勝つこと以外にもう1つ、違う仕事の比重が大きくなっていく契機ともなった。
日本代表ビジネスの顔としての役割だ。
代表監督人事の潮目が変わった出来事
山本浩二監督で3連覇を逃した13年の第3回大会では、大会の利益配分の不公平さを問題にした選手会が、ボイコット騒動を起こすなど、球界全体でも代表ビジネスへの注目度が高まっていた。その中で14年にはNPBと12球団の出資で「侍ジャパン」のグッズ販売や放映権料の管理、チームスポンサーの獲得などを行う「株式会社NPBエンタープライズ」が設立された。球界が代表ビジネスに本腰を入れて取り組む第1歩だった。
そしてこの代表ビジネスへの本格参入を契機に、明らかに変わったのが代表監督の人事だったのである。
ONに始まり星野、原、山本と監督経験のある指導者としての実績を重視したレジェンド系の監督から、その後は17年の第4回大会の小久保裕紀監督、更に21年の東京五輪で指揮した稲葉篤紀監督と、いずれも監督経験のない若手指導者にチームを託すことになる。もちろんそれぞれが育ってきた野球環境や野球観などを精査の上での人選だったが、同時に大事だったのが、日本代表の顔としてのフットワークの軽さだったのだ。
「そんなことを落合さんにお願いできない」
あるNPB関係者からこんな話を聞いたことがある。
「代表監督にはスポンサー企業の関係者との会食や必要ならイベントへの出席など、グラウンド外でお願いしなければならないさまざまな仕事があるんです。いくらなんでもそんなことを落合さん(落合博満元中日監督)にお願いできないですし、やってもくれないでしょう」
もちろん野球観がしっかりしていることが第一条件ではある。ただ同時にそういうグラウンド外の仕事に協力してくれるフットワークの軽さも求められることになった。むしろそこが代表監督を選任していく上での、重要なポイントになっているとも言えるのである。それが代表監督選任の実情なのだ。
そこで栗山監督の後任問題だ。
一部で候補に取り沙汰されるイチローさんや元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜さんが選ばれる可能性がほとんどないと言われるのは、そういう事情があるからだ。
残る候補としては、前巨人監督・高橋由伸さんに元ヤクルト監督の古田敦也さん、前ソフトバンク監督の工藤公康さんに前西武監督の辻発彦さんら「国内組」の名前がメディアを賑わしている。4人とも監督経験もあり、指導者として実績的には十分だ。そういう意味ではいずれの“候補者”も侍ジャパンを率いる有資格者となるだろう。
代表監督の「リスク」と「リターン」
あとは指名された本人が“連覇”がかかる監督というリスクを引き受けた上で、代表チームの顔としてフットワーク軽く動く決意ができるかどうか。新型コロナウイルスの感染拡大で、東京五輪が1年、WBC第5回大会も2年延期された影響で、栗山監督の任期は就任からわずか1年半という短さだった。しかし今度の監督は、26年の第6回大会まで3年近い任期を務めることになる。それだけ拘束期間が長いことも、就任への1つの障害になるのかもしれない。
「負けることなんか考えて監督になる人はいないよ」
第2回大会の監督を引き受けた原監督は、連覇のリスクを尋ねるとこう答えた。
今回候補として名前の上がっている人々も、もちろん勝負師として引き受ければ勝つことしか考えずにチームを率いることになるはずである。そして重圧を乗り越え連覇で4度目の世界一を果たせば、“名将”としての揺るがない地位を手にいれることができる。
それもまた代表監督の真実である。
文=鷲田康
photograph by JIJI PRESS