イタリアを代表するGKジャンルイジ・ブッフォンが現役引退を発表した。1990年代から2020年代にかけて活躍した名守護神の濃すぎるサッカー人生を振り返る。(全2回の1回目/#2も)
45歳の夏、超人GKジャンルイジ・ブッフォンがついにグローブを脱いだ。
1995年11月19日に17歳でセリエAデビューして以来、世紀を超えて幾多の金字塔を打ち立てた彼には、内外から“史上最高のゴールキーパー”との呼び声も高い。
時代柄か、現役引退のメッセージはSNSで発表された。
《ここらで終わりにしよう
(おまえは)俺にすべてを与えてくれた
俺も(おまえに)すべてを捧げてきた
俺たちはいっしょに勝利したんだ》
短いミュージック・クリップに添えられた原文のイタリア語表現では「あなた、おまえ」にあたる人称代名詞が省かれている。ブッフォンが言わんとした「おまえ」とは、“サッカーそのもの”に他ならない。
デル・ピエロ、ガットゥーゾが粋なコメント
28年のキャリアで所属したパルマとユベントス、PSGとイタリア代表だけでなく子供の頃の夏休みに興じたビーチサッカーや草ゲームもいっしょに、プレーヤーとしてのサッカー人生そのものに一つのけじめをつけたかったのだろう。
セリエA最多出場記録(657試合)や同最長無失点記録(974分)をはじめ、イタリア代表としても歴代最多出場記録(176試合)や優勝した06年ドイツ大会含む史上最多タイとなるワールドカップ5大会参加を誇る。彼の功績を読み連ねるだけで画面スクロールが何度必要になるやら。
長いプロ人生を共にした新旧チームメイトやライバルたちは、一斉に惜別のメッセージを送った。
ユーベと代表での戦友アレッサンドロ・デル・ピエロは「スーパーマンのジジ(※ブッフォンの愛称)といっしょにプレーした日々は最高だった」と栄光を懐かしみ、同じ78年1月生まれのジェンナーロ・ガットゥーゾ(前バレンシア監督)は「俺にとってやつは絶対無欠、不滅の男だ」と賛辞を惜しまず。
名ストライカーだったアルベルト・ジラルディーノ(ジェノア監督)とフィリッポ・インザーギは声を揃えて「あんたこそ最高のGK。だから得点できたときは本当に嬉しかった」とかつての対戦相手としても敬意を表した。「あんたがいなかったら俺は世界王者になれなかった。本当にありがとう」と暴れん坊マルコ・マテラッツィまでしんみり感傷的にさせるほど、“ブッフォン引退”は一つの時代の終わりを告げる大きな節目だ。
イタリア版SNSで「ペレにゾフ、マラドーナにはブッフォン」と記した投稿を見かけたが、やはりゾーンプレスが発明され定着した80年代末期からバックパスが禁止された92年にかけての時期を分水嶺として、ゴールキーパーの役割は大きく変化した感がある。
ブッフォンが語った「キャリア最高のセーブ」とは
単なる長寿選手ではなかった。引退を伝える報道の中でトリビア的な記録が次々と明かされ、最も仰天したのが“UEFAチャンピオンズリーグの歴史において、4つの10年紀(90年代・00年代・10年代・20年代)に渡ってクリーンシートを達成した唯一のGK”というものだった。超人であり怪物でもあるブッフォンは規格外すぎる。
思い出のミラクルセーブを挙げれば切りがない。
本人に言わせると代表デビュー2戦目、1998年4月22日にパルマで行われた親善試合パラグアイ戦(3-1)でのワンプレーが「キャリア最高のセーブの一つ」らしい。
映像を見返すと、試合終盤に相手の右CKでニアサイドのターゲット役が鋭角にファーサイドへ流し、飛び込んだ別のFWがゴール前2mで合わせた。ストップウォッチで何度か手動計測したら、最初に落とした瞬間からシュートまでの間隔は0.16秒しかない。ガラ空きだったゴールマウスの刹那、20歳のブッフォンは右腕を伸ばしボールを弾き出した。ゴールを確信していたパラグアイの選手たちは“物理的に不可能だろ、嘘だろ”と言わんばかりに頭を抱えた。
「セリエBは歯にナイフを仕込む覚悟でやらなきゃ」
ブッフォンはただの偉大なプレーヤーではなかった。
相手FWにとっては「得点できたら一流」とお墨付きを得るための試練であり、世界中の同業者からはGKとしての指標やベンチマークになった。
だから、ドイツW杯で優勝したキャリア絶頂期の06-07シーズン、スキャンダルによってセリエBへ降格したユベントスに残り、2部でプレーすると意思表明したときには国中がひっくり返った。
当時、交通の不便な田舎町の試合を何度も取材した。世界一のゴールキーパーは、1912年の創設よりこのかたセリエAに昇格したことのない地方クラブ、リミニを相手の開幕戦でまさかの失点を喫し、シーズンのドロー発進という苦汁を嘗めた。
「正直セリエBを甘くみていた。ここからは歯にナイフを仕込む覚悟でやらなきゃだめだ」
褌を締め直したブッフォンは、CLと同じ熱意で2部に挑んだ。やはり2部に残ったデル・ピエロやバロンドール受賞者パベル・ネドベド(前ユベントス副会長)らとともにプリマベーラ上がりの若手たちを鍛え上げながらユーベを優勝に導き、のちの黄金時代の基礎を築いた。
国中に点在する“おらが村、おらが町”をユベントス一行が訪れるたび、小さな公営スタジアムやホテルはブッフォンをひと目見ようとする地元の人びとでいっぱいになった。
2年前の夏、ブッフォンは20年ぶりに古巣パルマへ帰還した。「セリエAへ昇格させる。それが俺の最後の夢だ」と言って、現役を続けた。
ブーイングを浴びても、ブッフォンはブッフォンだった
僕は再び2部に戻ったブッフォンを本拠地「エンニオ・タルディーニ」で見た。
全盛期の反応や跳躍力はない。アスリートとしての衰えは明らかだった。
折角前半でリードを奪っても、ゲームの締め方が身体に染み付いていない味方DFたちは、後半になるとビビリが入って最終ラインに穴を空けた。史上最高のGKといえども、なす術なく失点して勝ち点を逃す試合が何度となくあった。
だが、ホームの観客からブーイングを浴びても、かつて目の前に鉄の壁を築いてくれたBBCトリオ(バルザーリ、ボヌッチ、キエッリーニ)がいなくても、ブッフォンはブッフォンだった。
失点しても彼が顔をしかめるのは一瞬だけ、すぐに下を向く若い同僚DFに向かい“心配すんな”と親指を立てた。試合に負けた後も、ブッフォンは我が子のような年頃のチームメイトを率先してゴール裏スタンドまで出向き、応援の礼を欠かさなかった。
老眼でも何でも衰えを感じたら、その1分後には引退するよ
2年目の昨シーズンは故障がちでそれも叶わなくなり、昇格の夢は叶わず終いだった。密かに抱いていたカタールW杯に行く野望も潰えた。
「老眼でも何でも衰えを感じたら、その1分後には引退するよ」
ブッフォンが引退を発表した8月2日、パルマはセリエAの中堅サッスオーロとのテストマッチを行った。偉大なGKへの餞(はなむけ)か、パルマは1−0で白星を飾った。
3日後、ブッフォンは新しい道を歩き始めた。
FIGC(イタリアサッカー連盟)がイタリア代表チームの新団長にブッフォンを任命したのだ。今年1月に急逝したジャンルカ・ヴィアッリの後任という大役だが、代表での酸いも甘いも知り尽くしたブッフォンほどの適任者は他にいないだろう。
目標はすでに定まっている。来年のEURO2024ドイツ大会だ。
「代表のユニフォームはずっと俺の人生の一部だった。W杯で優勝したときも、出場を逃したときもともに涙を流したかけがえのない存在だ。U15チームからA代表までアッズーリのあらゆる練習や試合は特別なもの。過去のタイトル歴や名声は関係ない。代表に必要なのは献身と懸命になれる姿勢だ」
ゴールマウスに毅然と構える史上最高のGKを見ることはもうない。
だが、グローブを脱いだブッフォンに新しい夢の炎が着火したのは間違いないようだ。
<「ブッフォン武勇伝と心の病」編につづく>
文=弓削高志
photograph by Takuya Sugiyama