第71期王座戦五番勝負は、永瀬拓矢王座(30)に藤井聡太竜王・名人(21=王位・叡王・棋王・王将・棋聖を合わせて七冠)が挑戦している。永瀬が王座を防衛すれば、連続5期獲得によって「名誉王座」の永世称号を取得する。藤井が王座を奪取すれば、前人未到の「八冠制覇」を達成する。社会的にも注目されている大勝負だ。その王座戦第1局は8月31日に神奈川県秦野市「元湯陣屋」で行われた。研究パートナーでもある両者の関係、激闘が繰り広げられた第1局の将棋を、田丸昇九段の解説と写真で振り返っていく。【棋士の肩書は当時】
藤井がデビュー直後に戦った、伝説の『炎の七番勝負』
藤井竜王・名人が棋士デビューしたばかりの2017年3月。新興のインターネット放送局「AbemaTV」(アベマTV)は、藤井四段(当時14。以下年齢はすべて当時)が若手精鋭、タイトル経験者と対戦する『藤井聡太 炎の七番勝負』の放送を開始した。
対戦相手は登場順に、増田康宏四段(19=新人王)、永瀬拓矢六段(24)、斎藤慎太郎六段(23)、中村太地六段(28)、深浦康市九段(45)、佐藤康光九段(47)、羽生善治三冠(46)。※持ち時間は各1時間。羽生戦のみ各2時間。
藤井がいくら有望な若手棋士でも、対戦相手は強敵ぞろいなので、棋士や関係者の間では「2勝すれば上出来」という声が多かった。ただ藤井の師匠の杉本昌隆七段は「藤井が7戦全勝しても、私は驚きません」と語った。藤井の将棋を身近で見てきて、真の実力を知っているゆえのコメントだった。
そして『炎の七番勝負』は杉本の予想に近い、藤井四段の6勝1敗という結果に終わった。藤井と初対戦した羽生三冠は、「しっかりした将棋でミスが少ないです。自分の14歳のときと比較して、あの完成度は信じられません」と語り、藤井の強さを絶賛した。
すでに「藤井曲線」が見える中で唯一勝利した永瀬
ある将棋ソフトが七番勝負の対局を解析したグラフによると、勝った棋譜には悪手がほとんどなく、有利な形勢を拡大しながら勝ち切る上昇パターンだった。現在にも通じているそうした藤井将棋を評して「藤井曲線」という言葉が生まれたが、それは四段時代からの特徴だった。
その七番勝負で藤井四段に勝った唯一の棋士が永瀬六段だった。戦型は永瀬の「ゴキゲン中飛車」。中盤まで互角の戦いが繰り広げられたが、終盤で藤井が指した受けの疑問手が響き、永瀬が攻め切って勝った。
永瀬は、藤井の将棋に打ち込む真摯な姿勢と、序盤から時間をたっぷり使う妥協のない指し方に共感を覚えた。また、大棋士になる片鱗を感じたという。後日、自分から藤井との「練習将棋」を依頼した。
永瀬は2016年の棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦し、2勝1敗と勝ち越したが、2連敗して初タイトルを逃した。あと一押しの実力を伸ばす起爆剤として、藤井との申し合いが必要だと思ったのだ。
「人生を変えてくれたのが藤井さん」「永瀬さんと指して…」
その後、永瀬は藤井の地元の愛知県に出向き、師匠の杉本が設けた名古屋の研究室で、公式戦さながらの力のこもった練習将棋(持ち時間は各30分)を重ねた。朝10時から始めて1日に2局指した。局後の検討を含めて4時間もかかる将棋もあり、永瀬が最終の新幹線で帰京することもあった。
夏休みの時期には藤井が東京に行き、永瀬が研究室にしている都内の将棋クラブの一室で指した。
両者はこれまでに、月に2、3回のペースで100局以上は指している。コロナ禍の頃は、パソコンによるオンライン対局で続けた。藤井の師匠である杉本は「藤井と盤上で激しいラリーを続けられる数少ない棋士が永瀬さん。両者は同志のような関係です」と語っている。
永瀬は2019年に叡王と王座の二冠を獲得した。「藤井さんと指し続けたことで、タイトルを獲得できました。自分の人生を変えてくれたのが藤井さんです」と、就位式で挨拶した。藤井も同じ思いのようで、「永瀬さんと指して、勉強になることばかりでした。それで自分の棋力が引き上げられたと思っています」と語った。
両者がタイトル戦で対戦するのは、昨年の棋聖戦(藤井が3勝1敗で防衛)に続いて、今年の王座戦が2回目。練習将棋はしばらく休止となる。
永瀬は、正月でも研究に励むほど将棋一筋の生活を送っている。自分を厳しく律していることから「軍曹」の異名がある。唯一の趣味は、漫画やアニメを見ることだが「見続けると廃人になる」と言って自制している。ちなみに、好きな作品のひとつは『盾の勇者の成り上がり』(作者=アネコユサギ)。
第1局前日の会見で両者が語ったこと
王座戦第1局の前日に、対局場の「元湯陣屋」で記者会見が行われた。両者は、次のように語った。
永瀬「八冠の大記録については、自分とは関係ないことだと思っています。自分で結果を出して、名誉王座を目指して頑張りたいです。藤井さんの考え方や価値観は、すべてにおいて素晴らしいと感じています。それは自分にとって大きな財産です。互いに手の内は分かっていますが、戦いにくさはありません」
藤井「永瀬王座とのタイトル戦は、昨年の棋聖戦に続いて2回目。今回は挑戦者として対局できるのがうれしいです。互いの棋風や考え方を知っていますが、さらに工夫したところ、成長したところを出せるかどうかが、ポイントだと思います。陣屋で対局するのは初めてで、庭が広くて対局室からの眺めがよいです」
藤井が語る「陣屋事件」、永瀬の3年ぶり和服姿
「元湯陣屋」は1918年に創業された老舗旅館で、数多くの将棋のタイトル戦が行われてきた。囲碁の対局を含めると、300局以上になるという。
1952年(昭和27)には、升田幸三八段が木村義雄名人との王将戦の一戦で、対局を拒否した「陣屋事件」が起きて物議をかもした。藤井は前記の記者会見でその件について、「有名な話なので聞いたことがあります。升田先生のほうに、いろいろな葛藤があったと感じています」と語った。真相は70年たった今でも、未だに不明である。
陣屋は、新宿から小田急線に乗って約1時間と近い。通常は多くの棋士、女流棋士が観戦に訪れる。しかし王座戦第1局では、メディアの取材依頼が殺到した事情によって、棋士たちに業務以外での来場は控えてほしい、との要請が主催者からあった。それは異例のことだった。
永瀬と藤井の対戦成績は、永瀬が5勝11敗と負け越しているが、後半の8局は4勝4敗の五分。直近の今年2月のA級順位戦では永瀬が勝った。また、永瀬は過去4期の陣屋での王座戦で4勝していて、縁起の良い対局場である。
永瀬は近年のタイトル戦で、戦いやすいという理由で洋服を着用してきた。しかし、今期の王座戦の対局規定では和服が原則として義務となり、3年ぶりに和服で対局に臨んだ。
振り駒でまたしても藤井の先手番に決まったが
王座戦第1局で恒例の「振り駒」が行われ、藤井の先手番に決まった。先手番での勝率がかなり高いので、大きなメリットである。実は藤井は今年、王将戦、棋王戦、名人戦、叡王戦、棋聖戦、王位戦の順にタイトル戦を戦ったが、第1局の振り駒で名人戦以外はいずれも先手番となり、この6タイトル戦で先勝した。指運ならぬ「駒運」も持っていたのだ。
永瀬王座に藤井竜王・名人が挑戦した王座戦第1局の戦型は、角換わりとなった。昨年の棋聖戦では6局(2局の千日手を含む)のうち、4局が角換わり腰掛け銀だった。ただ本局では、永瀬が後手番ながら右銀を四段目に進めて先攻し、棋聖戦とはまったく違う展開となった。それが事前に用意した作戦だったようだ。
藤井は一段飛車の好形に構え、永瀬の仕掛けに呼応して反撃した。そして、▲6五角と中段に打って永瀬の攻めをけん制し、同時に相手玉にも利かした。永瀬は攻め続け、一進一退の攻防が繰り広げられた。
藤井は角を切って4筋にと金を作り、盤面の中央に駒を集めて中段を制圧した。さらに▲4七玉と安全圏に上げた。
鬼気迫る永瀬の「強靭な一手」とは
一方の永瀬の2二にいる玉の守り駒は銀1枚のみで、不利な形勢と思われた。しかし、相手玉から遠く離れた桂香をと金で取ったのが冷静な手段だった。後に飛車取りに打った△2六香や△3四桂で迫っていった。藤井は永瀬の迫力に押されて疑問手を指し、形勢はいつしか混とんとした。
101手目の局面で、両者は持ち時間の5時間を使い切り、1手60秒の秒読みが約50手も続いた。
その間の永瀬の指し手は鬼気迫るものがあった。自陣に金銀を打って藤井の寄せをきわどく残し、さらに△5一飛と自陣に打ったのが強靭な一手。最後は藤井の中段玉を見事に即詰みに討ち取った。
永瀬は150手もの激闘を制して、第1局に勝利した。王座防衛と名誉王座の取得に向けて、後手番での勝利は大きかった。
一方の藤井にとっては、痛い逆転負け。タイトル戦での先手番の勝利は9連勝で止まった。ただ昨年の永瀬との棋聖戦では、第1局に敗れた後に3連勝して防衛した例がある。八冠の可能性はまだ残っている。
王座戦第2局は9月12日に兵庫県神戸市で行われる。両者にとって、ともに負けられない大一番だ。
文=田丸昇
photograph by Takuya Sugiyama