暦の上でわずか1週間の違いが、大きな喪失感を漂わせる。
1カ月か、そこらの短期決戦のうちの1週ではなく、1年におよぶ長い戦いにおける1週だからこそ、勝負の世界の厳しさを改めて痛感させられる。
それもこれも、松山英樹が積み上げてきたものがきっと、偉業と言えるからこそだ。
PGAツアーは先週、ジョージア州アトランタでのツアー選手権(8月24〜27日)でシーズンの幕をいったん下ろした。シーズン最終戦を制し、年間王者に輝いたのは25歳のノルウェー人、ビクトル・ホブランだった。
️「真のエリート」だけが出場できる最終戦
昨年9月に始まった2022-23年シーズンで松山は2季ぶりに優勝がなかった。各大会の成績に応じた年間ポイントレースの「フェデックスカップ」でこれまでのキャリアにないほど低迷。50位に終わり、プロ2年目で米国に本格的に主戦場を移した2014年以降、初めてこのシーズン最終戦に出られなかった。
ツアー選手権は直前大会終了時点でのフェデックスカップポイントランキングで、30位までのプレーヤーが出場資格を得る。進出選手は最低50万ドルのビッグボーナスのほか、翌シーズンの各メジャー大会等への出場権を早々に掴む。
実際のところ、2021年にマスターズで優勝した松山の翌年以降の出場資格が危ぶまれることはないのだが、トップ30でシーズンを終えること自体が、PGAツアーではその年の「真のエリート選手」としての看板と言っていい。
松山は前述の14年以降、9年連続でかくなる真のエリートであり続け、そして「10年連続」を逃した。
レギュラーシーズン終了時に70人が参加した全3戦のプレーオフシリーズで、松山はランキング47位で第2戦に臨んだ。トップ30に入るためにはそれこそ4位以内という厳しい条件を突きつけられていた。キャリアで稀に見る厳しい挑戦は、意外な形で終わる。大会2日目のスタート前、背中痛を発症して途中棄権。ランキング上昇が見込めるはずもなく、シーズンは終了した。それが今季のツアーのトピックスのひとつだったことは直近のBMW選手権の米国メディアの反応を見ればわかる。
Hideki Matsuyama withdraws from BMW Championship, will miss Tour Championshipーー(松山英樹がBMW選手権を棄権しツアー選手権出場を逃す/Golfweek)
Impressive decadelong streak ends as Hideki Matsuyama withdraws from BMW Championshipーー(BMW選手権の棄権により、松山英樹の10年にわたる印象的な連続記録に終止符が打たれる/Golf Digest)
各媒体の電子版は2日目の競技進行中に一報を配信。「ただの1試合からの離脱」以上の意味があったことを物語っていた。
継続中では最長記録、タイガーよりもスゴイ?
記録を整理する。
年間ポイントレースは前年の成績がどれほど良くても全選手がゼロからスタートする。松山が昨年まで積み上げた9年連続の最終戦進出は、継続中の選手で最も長かった。バトンを受け継ぐ形で今季までの最長継続選手となったジョン・ラーム、トニー・フィナウ、ザンダー・シャウフェレもまだ7年連続だ。
そもそもプレーオフシリーズが始まった2007年以降、最終戦に最も多く進出したのがダスティン・ジョンソンの13回。松山の9回はジャスティン・ローズとロリー・マキロイの10回に次ぐ4番目の数字である(ほかにマット・クーチャー、フィル・ミケルソン、ジェイソン・デイがいる)。
PGAツアーでの勝利数でアジア勢最多の通算8勝で並んでいる韓国のK.J.チョイも出場回数は8回。連続進出となると、3年連続が2回に留まった。
この記録においては「タイガー・ウッズよりもスゴイ」とも言える。ウッズの最終戦出場はキャリアで通算15回。1996年から2005年まで10年連続でプレーした一方で、2007年からのプレーオフ時代の出場は5回(07、09、12、13、18年)。故障がちのキャリアの晩年に差し掛かり、3年連続ですら出場できないでいる。最高レベルのパフォーマンスを何年も継続するのは、それだけ難しい。
松山の記録にストップをかけたのもやはり故障によるところが大きい。昨春に深刻になった首から背中にかけての痛みが長らく癒えていない。それぞれの大会前に、ゴルフの調子はどう、コースとの相性がどう、と気にかけるより、「今週の体調」という心配が先に立つ。この1年余り、トップフォームで4日間プレーできたゲームが3試合あったかと言うと疑わしい。
アトランタでの最終戦出場が、すべてのPGAツアー選手の夢であるように、松山にとってもそれは紛れもなくプライドだった。それは彼の中ではずいぶん早いうちに「最低限の目標」になったようである。
過去に最終戦に進出した日本人は…
ザ・メモリアルトーナメントで初優勝し、本格参戦1年目にしてツアー選手権を戦った2014年。冬のオフ、翌年のスケジュールについて頭を巡らせていた時のこと。「その試合は出る、それは出ない」と出場試合の予定を口にしながら、最終戦についても「まあ、行けると思うけどね」と淡々と言った。
声には出さなかったが、内心「“行ける”んだ」と少し驚いたのを覚えている。
当時22歳。メモリアルでの優勝だけでも、日本の男子ゴルフ界はひっくり返りそうだったのに。松山の前に最終戦に進出した日本人は2人だけ。丸山茂樹がプレーオフ制度開始前に2回(2002、04年)、今田竜二が開始後に1回(08年)進出した実績が金字塔だった。
松山には初年度にしてすでに手応えがあったようで、当時の言葉通りトップ選手の看板を譲らなかった。マスターズを勝つまでに3年間、優勝に見放された期間中も、ツアー選手権でのシーズン終了が「頑張った、と自分を許すことができる」心の拠り所だった。
ただし、「戦いたい」というアスリートの本能を度外視して、外野から見た限りでは、故障に苦しんでいる最近はこの継続記録が、ある意味で”ネック”になりかねないとも思えた。ポイントを稼ぐ、最終戦に出るという使命感に燃えるあまり、治療やケア、身体づくりにかける時間が適切に取れない時期もあったかもしれない。
偉大な記録が途絶えて、キャリアを仕切り直す。それでプロゴルファーとしての価値や、ここまで築き上げた地位が損なわれるはずもない。
思えば今季はリッキー・ファウラー、ジェイソン・デイといった少し年上の選手たちが故障や不振を乗り越えたシーズンでもあった。彼らの復活優勝をどれほど多くのファンが祝福し、胸を熱くしたことか。
松山英樹だって、まだ31歳だ。
文=桂川洋一
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