ラグビーW杯フランス大会でオーストラリア代表の指揮を執るエディー・ジョーンズ。2015年大会では日本代表を率いブライトンの奇跡を巻き起こし、2019年大会ではイングランドを準優勝に導いた闘将は、日本というチームをどのように変えたのか。その思考を『LEADERSHIP リーダーシップ』(東洋館出版社)から紐解く。(全3回の1回目/#2、#3へ続く)

ドッキリさながら…隠しカメラで選手たちを見る

 2015年に日本代表をワールドカップの準々決勝に進出させるというありえない目標を立てたとき、最も苦労したのは、それまで大人しく従順であることが当たり前だった日本の選手たちに、健全な対立意識を持たせることだった。日本には目上の者の命令に従う文化がある。しかし、目標を明確にした以上、選手たちには安住することをやめてもらわなければならなかった。それまで穏やかで秩序だったチームに、対立を持ち込む必要があった。

 あるとき、私は夜にチームルームで重要なミーティングを行うと選手たちに告げ、開始時間を知らせた。私たちは選手たちが時間を守り、私や他のコーチたちよりも2、3分早く集まるだろうと予想した。従順な彼らは、開始時間の5分前には集合し、いつもの場所に座ると、ミーティングが始まるのを待っていた。私は別の場所からその様子を見守っていた。他のコーチたちとともに数時間前に隠しカメラをセットして、選手たちの様子を撮影していたのだ。

立ち上がる選手たちの姿を見て…

 はじめはみんな無言で静かだった。10分後、時計を見て時間を確かめる者がちらほら出始めた。私はキャンプで携帯電話の使用を禁止していた。そのころ選手たちはまだ、携帯電話をいつ、どのように使うべきかをよく理解していなかったからだ。携帯電話で気を紛らわすこともできず、正式なミーティングが始まるという窮屈な思いをしながら、彼らは次第に落ち着きをなくしていった。

 15分が経過した。1、2人の選手が不満を口にし始め、対立の兆しが見えてきた。20分が経過し、不満の声がまた上がり、結局また静かになった。30分後、ほとんどの選手がうんざりした様子になり、怒っているようにも見えた。私は、この無言の対立状態を統率する者が現れるのを見守った。ついに、数人の年長の選手たちがリーダーシップを発揮した。我々はまだその場に姿を現さなかった。選手たちはゆっくりと椅子から立ち上がり、それぞれのグループで話し合いを始めた。活気づいた時間は短かったが、次の練習の内容について、選手たちはチームで何をすべきか、お互いの意見を聞いて励まし合っていた。私はそれを見て胸が熱くなった。これを機に選手たちは、本物のリーダーとは何かを認識し始めた。

なぜ彼らをそこまで厳しく追い込んだのか

 それから数日は、なんの支障もなく過ぎていった。私は時計のような正確さですべてを進行させた。誰もが快適なルーティンに戻っていた。皆、自分の立ち位置とやるべきことを理解していた。私は別の場所での練習試合を計画し、選手たちに午後1時のチームバスに乗るよう指示した。全員が時間通りに集まり、バスの到着を待った。私は運転手に、駐車場でバスを止めて待つよう頼んでいた。そして他のコーチたちとともに、再び心配して右往左往している選手たちを少し離れた場所から観察した。彼らの静かな期待は焦りに変わり、そして苛立ちとなった。怒りの声が上がり始めたが、それは悪いことではなかった。選手たちは相談し、誰かが私を探しに行き、試合が本当に行われるのか確認することに決めた。

 彼らはもともと混乱を嫌ったが、今回はチームとしてより迅速に行動した。前回の経験が良い教訓になっていたのだ。フィールドの内外で不測の事態に備えるべきだという、私からのメッセージを理解していた。それ以降、我々はさらに心を開いて話すようになった。

 また私は選手たちを、極限の疲労や強い不安に追い込まなければならなかった。それは、変革を推し進めるために必要なことだった。選手たちが最悪の状態にあるときに、私のやり方に対する反対意見や疑問の声は上がる。新たな葛藤のなかで、私がなぜ彼らをそこまで厳しく追い込んだのか、議論することができた。

プレッシャーに耐えられないなら、準備が不足している

 我々は議論の末、インターナショナルなラグビーの世界では、タフで激しく肉体がぶつかり合う試合を戦わなければならないため、練習もその激しさに耐えうることを目的にしなければならないという考えで同意した。私は厳しい練習を通じて選手たちに世界の強豪に勝つための方法を与えていた。極限の状況に対処できるよう、彼らを肉体的、精神的に鍛えていた。日本代表はそれまで24年間、ワールドカップで勝っていなかった。だが南アフリカ戦では勝利に向けて一致団結した。試合終了間際、ペナルティキックで32対32の引き分けに持ち込める状況のなかで、選手たちは勝つためにトライを狙いに行った。それができるだけの力を身につけていたからだ。試合終了後、キャプテンのマイケル・リーチは私に言った。

「練習より簡単だったよ」

 私はこの瞬間を誇りに思った。ここ一番の戦いに備えて、選手たちにハードワークを課すことが私の仕事だからだ。選手たちは大舞台でのラスト1分の白熱した戦いをある意味で楽しんでいた。厳しい試練とトレーニングで、鍛えられていたからだ。ビジネスで難しい会議に臨む場合も同じだ。プレッシャーに耐えられないなら、準備が不足しているということだ。

もし私がまた日本のコーチに戻ったら…

 我々は長い時間をかけてチームを鍛えた。ハードに、そしてスマートに。まずは午前5時、10時、午後3時から、1日3回練習をした。当初、選手たちはそれを嫌がった。4時30分にプロテイン・シェイクを飲むには、4時15分に起きねばならず、寝過ごすのが心配でぐっすり眠れなかったからだ。彼らは葛藤とストレスを感じていた。2週間の高地キャンプのときは、1日5回の練習を行った。1日3回のサイクルに戻したときには、選手たちは練習を楽にこなせるようになっていた。大会本番を迎えるころには、逆境と不安に耐えうる逞しさが備わっていた。

 今では日本の多くのチームが午前5時から練習している。はっきりとした理由があるわけではなく、とにかくそうすることが正しいと考えているのだ。もし私がまた日本のコーチに戻ったら、この新しい伝統をとりやめ、何か別の方法を探すだろう。選手にもチームにも、何か特別だと感じるものを見つけて、他とは違うことをしていると感じさせたいからだ。

 そのためには、健全な対立意識と、この章で説明してきたことを受け入れる必要があるのだ。

<つづく>

文=エディー・ジョーンズ

photograph by Takuya Sugiyama