ラグビーW杯フランス大会でオーストラリア代表の指揮を執るエディー・ジョーンズ。2015年大会ではブライトンの奇跡を巻き起こし、2019年大会ではイングランドを準優勝に導いた闘将は、日本代表をどのように変えたのか。その思考を『LEADERSHIP リーダーシップ』(東洋館出版社)から紐解く。(全3回の3回目/#1、#2からの続き)
ゴールドマン・サックスも興味を持った日本のキャプテン
日本代表のヘッドコーチを初めて任されたとき、チームのキャプテンは廣瀬俊朗(としあき)だった。小柄で、特にスピードには恵まれていないウィンガーだが、とても興味深い経歴の持ち主だった。非常に頭脳が優秀で、日本の名門校である慶応義塾大学出身。希望すればどんな会社にでも入れただろう。アメリカのゴールドマン・サックスやイギリスのアーンスト・ヤング(編集部注:世界四大会計事務所の1つ)までが、彼に興味を持ったのだから。しかし廣瀬は、ラグビーを続けることを選び東芝に入社した。その後彼は、発展する日本ラグビー界に目を向けた。そして、選手としての能力には限界があると知りつつ、その知性をうまく活かすことに取り組んだのだ。
私が廣瀬を最初のキャプテンに任命したのは、世界と戦うチームを率いる私をサポートしてくれると思ったからだ。チームの中心は日本人選手にしたかったが、これまでの代表チームのように視野を狭くしてほしくはなかった。廣瀬の知性は、その自由さや好奇心の強さの表れでもあった。それはチームに適切な気風を与えた。私のチームで2年間キャプテンを務めたが、最初の頃は私の怒りの矢面に立っていた。
笑いごとじゃないぞ。これが日本ラグビーの問題だ
在職から1カ月後、フレンチ・バーバリアンズ相手に惨敗し、我々はコーチとキャプテンとしてメディアの取材を受けた。この試合の日本代表のパフォーマンスはまったく容認できないもので、私はチームを辛辣に批判した。廣瀬は日本人が緊張するとよくやるように、私の話の途中でぎこちなく微笑んだ。私は「笑いごとではない」と言って、容赦なく続けた。
「笑いごとじゃないぞ。これが日本ラグビーの問題だ。真剣に勝とうとしない。勝利を求めるなら、もっと前に出て相手を圧倒しようとしなければならない。何人かの選手は、変わらないかぎり、成長しないかぎり、二度と日本代表としてプレーすることはないだろう。私は日本のラグビーのために何をすればよいのか? 日本人選手だけで続けてほしいのか? それとも半数をニュージーランド人にする道を選んでほしいのか?」
“劇薬”によりチームは情熱を燃やし始めた
私は真剣に怒っていたが、その一方で、選手たちの心の奥深くに通じるアクセス・ポイントを見つけようと冷静に考えていた。私は廣瀬や五郎丸歩のような聡明な若者と打ち解け、選手として変容する引き金になるポイントに触れたかった。このときの試みは功を奏した。日本チームはより団結し、決意を強め、情熱を燃やし始めた。
廣瀬はチームをまとめつつあり、私は常にその知性を最大限に発揮してもらうよう促した。チームは改善されたが、廣瀬はウィンガーのレギュラーポジションを確保できなかった。そこで、私はマイケル・リーチをキャプテンにした。彼はニュージーランド出身だが、長年日本で暮らしていた。完璧な日本語を話し、私よりもはるかに日本文化に通じている。だが、廣瀬もチームに置くと決めた。試合には出ないキャプテンとして。
人の心を動かすキャプテン
廣瀬は日本代表として28試合の出場歴があるが、2015年ワールドカップで選出された31人の選手の中で出場機会がなかった。けれどフィールド外では才気にあふれ、リーチと全責任をわかち合っていた。廣瀬はマイク・ブレアリーと同じような存在だった。ブレアリーはイングランドのクリケットチームで、打者(バッツマン)としてはレギュラーに選ばれなかったが、人の心を動かすキャプテンだった。
エリートスポーツ界では、人間関係がこれほど重要なのだ。スポーツでもビジネスの世界でも、ついカッとなってしまうとき、フィールドの外で感情的なつながりを感じている信頼できる人の存在は、気持ちを楽にしてくれるものだ。
若い選手を見ていて感じる変化
あれから数年が経つが、私は今でもスポーツ心理学者とよく話をする。彼は水泳選手を担当している、私の古い友人だ。選手たちを励まし心の平静を見出す方法を話し合うとき、貴重な相談役になってくれる。大切なのは、常に選手たちとのアクセス・ポイントを持つことだと教えてくれた。選手とコーチの関係の中で、選手に精神的なつながりを感じさせる方法を見つけなければならない。その選手にとって人生で何が一番大切かを理解し、ラグビーに対する意欲を起こす原動力を特定できれば、つながりを強めるための言葉を見つけられるだろう。
ここ3年の間、私はそのことを強く実感してきた。近頃の若い選手といると、なにかしら彼らと気持ちが通じ合う感覚を得ることがある。誰でも、高校時代を振り返ったとき、教師との会話で思い出すのは、自分の心に響いたものではないだろうか。新たに自分自身と向き合い、何が自分を成長させ、変化させるのかを考えさせられたような言葉だ。また、現在のエリートスポーツの世界では、これまでと違う行動パターンが生じていると感じる。若い選手たちは感情を周りと共有することに喜びを感じるが、年長者はそれに抵抗がある。若者たちは感情を大らかに表に出し、弱さも隠そうとしない。コーチはそんな彼らの希望や恐れに近づく道を探さねばならない。
選手それぞれにあわせたアプローチ
はっきりしたアクセス・ポイントが見つけにくく、最初は近づくのが難しい選手たちもいた。若いプロップ・フォワードのウィル・スチュアート(編集部注:イングランド代表)は、気持ちが読みにくかったが、ついに正しいアクセス・ ポイントを見つけた。彼は何より母を幸せにしたかったのだ。我々コーチ陣は、ラグビーを頑張れば母を喜ばせることができると彼に理解させた。
チームは個々の人間でつくられている。選手たちは皆、それぞれ違う。しかし、彼らが大切にされていることを知ったなら、みんなと良い関係をわかち合える。そうすれば、彼らの個性に寄り添い、生き方を理解することも簡単になる。それは、選手たちが指導に対して最高の答えを出すことにもつながる。これは馬の訓練に似ている。ムチで打つのが必要な馬もいれば、背中を軽くポンポンと叩いてほしい馬もいる。手綱をきつく締めねばならない馬もいれば、自由に走らせたほうがよい馬もいる。どれも、馬を速く走らせるための手段だ。コーチは、選手が大切にされ、評価されていると実感させるために、同じことをしているのだ。
コーチから本当に評価されているという実感
オーストラリアでコーチをしているとき、五郎丸にしたのと同じ手法をウェンデル・セイラーに対して使った。セイラーは存在感のある選手で、オーストラリアでは英国よりもはるかに盛んなラグビーリーグで長くトップスターだった。セイラーは、ジェームズ・ハスケルを彷彿とさせる。彼らのように個性の強い選手は、調子のいいときは自信たっぷりにプレーし、遊び心も大いに発揮する。しかし、少しでも傷ついたり、思うようにことが運ばなかったりすると、不安定になりがちだ。
私はセイラーを、いくつかのあまり重要ではない試合でプレーさせた。パフォーマンスが悪いとき、セイラーは私から怒られるだろうと思っているようだった。しかし、私はあえて2、3日、彼と話そうとはせず、じらす作戦を取った。彼の疑念が最高潮に達したところで、話し合いの場を持った。私は彼を褒めたたえ、君はこの競技のスターだと言った。なぜ自分がこれほど愛されているかを、みんなに見せてほしいと言った。次の試合では、彼は素晴らしいプレーを見せた。彼に必要だったのは、コーチから本当に評価されているという実感だった。だが、それが得られず自己満足に終わっていた。そこで私は、彼の最高の側面を引き出すために、適切な方法で心理学的に働きかけたのだ。
<「五郎丸」編もあわせてお読みください>
文=エディー・ジョーンズ
photograph by AFLO