2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。格闘技・ボクシング部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年6月10日/肩書などはすべて当時)。

罵り合い、殴り合い、やがて一方が力なく崩れ落ちる――PRIDE全盛期、ミドル級の頂点を争ったヴァンダレイ・シウバとクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンの抗争は、その激しさと凄惨さで格闘技ファンを戦慄させた。15年にわたる両者の因縁を、フォトグラファーの長尾迪氏が回想する。(全2回の1回目/後編へ)

 両手で相手の首を固定し、膝蹴りの連打。5発目が顎を直撃すると、手ごたえを感じたのか、自ら両腕のロックを解除した。敗者の意識は飛び、前のめりにロープとロープの間に頭から崩れ落ちた。顔面からの出血でエプロンサイドには血だまりができるほどのフィニッシュだった。「壮絶」というよりも「残酷」という表現の方が適切ではないかというほど、痛みが伝わる衝撃のKOシーンだった。

挑発されたシウバがブチ切れ…PRIDE史上最悪の大乱闘に

 勝者の名はヴァンダレイ・シウバ、敗者の名はクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンという。両者は当時のPRIDEミドル級(現在の階級ではライトヘビー級)を代表する強者だった。最強は自分だという矜持を持つ2人の対戦は、試合前からヒリヒリとした緊張感を漂わせていた。「因縁の対決」「運命の対決」ともいわれ、団体もメディアも犬猿の仲である2人の関係性を煽り、より一層この対戦を盛り上げてゆくようになった。

 いまでは試合前の選手によるTwitterでのトラッシュトークは当たり前のことになった感がある。しかし、当時はSNSなどがなく、リング上での対戦アピールや試合後のインタビュースペースなど、発言の場は限られていた。

 そもそも、なぜ両者の仲はここまでこじれたのか。

 最初に仕掛けたのはジャクソンだった。2003年3月の『PRIDE.25』で、ミドル級王者シウバへの挑戦権をかけたケビン・ランデルマン戦に勝利。試合後、ジャクソンは「おい小僧、リングへ上がってこい」「俺のためにベルトを磨いておけ」とマイクアピールした。

 これにブチ切れたシウバがリングに上がるやいなや、ジャクソンを突き飛ばす。またたく間に、両陣営が入り乱れたPRIDE史上最悪の大乱闘に発展した。セキュリティやスタッフが止めに入るものの、騒ぎはしばらく収まらなかった。トップファイター同士のバチバチの乱闘は、突発的なアクシデントならではの危険な香りがしたことをいまでも鮮明に覚えている。そして、この乱闘をきっかけに2人の“因縁”は10年以上も続くこととなった。

 両者の対戦は、乱闘から8カ月後に実現した。PRIDEは2003年8月から内外の強豪選手8名を集めたミドル級グランプリを開催。同年11月の東京ドームで、1回戦を勝ち抜いた4選手によるワンデイトーナメントで勝者を決めることになった。シウバは吉田秀彦を判定で、ジャクソンはUFCからの刺客チャック・リデルをTKOで下して決勝へ勝ち進んだ。

合計22発の膝蹴りで地獄を味わったジャクソン

 試合開始直前、リングで顔を合わせた両者は「早く殴らせろ」と言わんばかりに、まばたきひとつすることなく睨み合う。ゴングと同時にシウバのパンチに合わせて、ジャクソンがタックルで抱え上げスラムを狙う。シウバは立ったままフロントチョークで絞め上げるが、その態勢のままグラウンドへ。ジャクソンが上から強烈なパウンドや膝蹴りで追い詰める。致命的なダメージを避けるように、シウバは防御に徹する。

 ジャクソンは攻め疲れたのか手数も減り、動きが止まったところで、スタンドから試合は再開。このままでは劣勢と判断したシウバは、打撃で勝負に出た。パンチ、膝蹴り、パンチ、膝、膝、膝。ジャクソンは思わずダウンするも、倒れた顔面にはシウバのサッカーボールキックが炸裂。それでもジャクソンは立ち上がるが、再びの膝地獄が待っていた。1発、2発、3発……首相撲の姿勢で笑みを浮かべるシウバの鋭利な膝蹴りが、ノーガードの顔面に突き刺さる。レフェリーが試合を止めると同時に、ジャクソンはその場に崩れ落ちた。フィニッシュに至るまで、シウバが繰り出した膝蹴りの数は22発だった。

 シウバに対して「うちに帰って俺のためにベルトでも磨いとけ」と挑発したことを、ジャクソンは後悔したのだろうか。

 いや、彼に限ってそんなことは絶対に認めないだろう。

 シウバはグランプリで優勝した後も快進撃を続ける。2004年2月には美濃輪育久(現ミノワマンZ)を1分9秒でKO。同年8月には近藤有己と対戦し、2分46秒で踏みつけによるKO勝利。他の追随を許さない圧倒的な強さを誇った。

 一方のジャクソンも2連続KOと、シウバ以外の選手に対しては格の違いを見せた。特に2004年6月のヒカルド・アローナ戦は印象的な試合だった。シウバの次期挑戦者と見られていたアローナが仕掛けた三角絞めを持ち前の怪力で高々と持ち上げ、そのままマットに叩きつけるパワーボムで失神KOした場面は、いまだに多くのファンの語り草となっている。

再戦前にも挑発合戦「あいつは多分バカなんだろう」

 シウバは当時すでにPRIDEミドル級の絶対王者と呼ばれ、“戦慄の膝小僧”というニックネームの通り、膝蹴りやサッカーボールキックなど、パワフルな打撃でKOの山を築いていた。彼の打撃は激しくも美しく、そして何よりも見ているものに恐怖を抱かせる凄みがあった。だが、普段のシウバは非常にフレンドリーで、笑顔を絶やすことがない典型的なブラジリアンだ。ファンとのサインや撮影などにも気軽に応じるナイスガイで、いかつい見た目と親しみやすい性格のギャップも、彼をスター選手に押し上げた理由の一つだろう。会場で私を見つけるといつも挨拶してくれ、ときには長話をすることもある。その気さくな性格はいまでも変わらない。

 一方のジャクソンは、“ランペイジ(暴れん坊)”というミドルネーム通り、その怪力を活かして相手をマットに投げ付けてKOを連発。荒々しいファイトスタイルの反面、ボクシングやレスリング技術も持ち合わせたトータルファイターだった。当初は廃棄されたバスに住む「暴走ホームレス」というギミックでデビュー。実力の高さはもちろんのこと、極太のチェーンを身につけ、試合前には雄叫びをあげる強烈なキャラクターで人気を博した。また、シウバへの度重なる挑発や発言で対戦を盛り上げて実現するなど、日本格闘技界のトラッシュトークの先駆者ともいえるだろう。

 双方が勝ち進みながら、引くに引けない舌戦を繰り広げたことにより、初対決から約1年、ついに再戦が決まった。

 リベンジマッチに向けて、ジャクソンは「あのとき、俺は準決勝のリデル戦で怪我をしていたから。いまなら負けない」「あいつは多分バカ(日本語)なんだろう」と挑発を繰り返す。

 もちろんシウバも負けずに「どうしても許せないヤツっているだろう」「チャンピオンは俺だ。顔がボコボコになるまで殴ってやるぜ」と宣言した。

 2004年10月31日の『PRIDE.28』。前日から降り続いた雨も朝には上がり、さいたまスーパーアリーナは超満員の2万4028人のファンで溢れかえった。お目当てはもちろん、メインイベントに組まれた、因縁の両者によるPRIDEミドル級タイトルマッチだった。

<後編へ続く>

文=長尾迪

photograph by Susumu Nagao