2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。甲子園部門の第1位は、こちら!(初公開日 2023年8月17日/肩書などはすべて当時)
この夏、日大山形、大垣日大、日大三と日大系列の甲子園常連校を撃破し、ベスト8となったおかやま山陽高校。そのチームを率いたのが、堤尚彦監督だ。監督就任当初、2007年からの歩みを著書『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社、2023年7月発行 講談社発売)から抜粋して紹介する(全4回の2回目/前回は#1へ、続きは#3へ)
バレーボール部も勧誘
前監督が勧誘した選手が完全にいなくなった状態の新チームは、散々な船出だった。
前年を下回る2回戦敗退で07年夏を終え、私と斎藤(貴志、コーチ)の赴任と同じタイミングで入学した植松正伍らのチームが始動した。当初3人いた2年生は1人が退部し、わずか2人。前年に初めてスカウティングに着手した1年生も、約70人に声をかけてみたが振られっぱなし。
とにかく人数が必要だったので、どこからも声がかからないような実力の選手だけでなく、校内のソフトボール大会で動きの良かった生徒、中学のバレーボール部で腕の動きがしなやかだった生徒にまでも声をかけたというチーム力だった。
2人以外全員が寝坊
そして、練習試合、公式戦の両方で、大きな転機となる敗戦を経験することになる。
新チームの発足間もない8月に東海地方への遠征を実施した。まず愛知に向かい、愛知の超名門・中京大中京と、東北福祉大時代の同期である青栁博文が2002年の創部直後から監督を務める群馬の健大高崎とのダブルヘッダーに臨んだ。
遠征中、健大高崎と同じ宿舎に泊まっていたのだが、まだ全国的に無名だったにもかかわらず、全選手がビシッと朝食会場にそろっている健大高崎に対し、おかやま山陽は10数名いる選手のうち、わずか2人しか席に着いていない。他は寝坊だ。
2-19に「すみません、コールドにしてください」
私が運転するマイクロバスで中京大中京のグラウンドに向かう道中でひたすら説教、グラウンドでは甲子園最多優勝の記念碑の前をスライディングパンツ一丁でうろつく選手がおりまた説教、試合は覇気なく大敗し、宿舎に戻ってからも言わずもがなの説教だった。
中京大中京でのダブルヘッダーの後は、久居(ひさい)農林を02年夏の甲子園に導いた松葉健司(たけし)監督が率いる松阪と対戦。実は私の就任初年度にも練習試合を実施し、このときは大勝していた。その際に松葉監督から「良いチームですねえ! 来年もやりましょう」とお声がけをいただいての再戦だった。
しかし、選手の力量がガタ落ちしているチームでは、着実に実力を付けている松阪に叶うはずもない。試合は2対19の大敗だった。あまりの実力差に「すみません、コールドにしてください」と申し出たが、松葉監督は「練習試合なので最後までやりましょう。うちの8、9回の攻撃はなしで構いませんので」。攻撃を2イニング省いてもらって、この点差である。せっかく「良いチーム」と言ってもらいながらの大失態に、私は顔面蒼白になり、大敗を悔しがるでもなく呆然と立ち尽くす選手たちを見ていると、監督としての力の無さが情けなく涙が出てきた。
2つの衝撃的な敗戦
試合後はひたすら頭を下げた。松葉監督は「気にしないでください」と言ってくれただけでなく、「半年後にも練習試合をしましょう。堤さんは半年あればなんとかできる人だと感じていますので」と言ってくださった。しかも、決して遠征費が潤沢ではない公立校の松阪が岡山まで遠征してくれるという。東海遠征中、生徒に怒りまくっていた私だったが、松葉監督の温かさに思わず1度は止まった涙が再び出た。
岡山に戻ってからの07年秋の地区予選では、勝てば県大会進出の代表決定戦まで勝ち進むも、倉敷工に完封負け。斎藤は「ハンセン(久保田範泉)が三塁手の頭を越えるどん詰まりの安打を打った記憶がある」と言うが、私はまったくそのシーンを思い出せない。なので、倉敷工に“完全試合”を食らったと対外的には話している。
松阪との練習試合での大敗と、地区予選で倉敷工に喫した“完全試合”。この二つの衝撃的な敗戦で火が付いた私は選手たちに猛練習を課した。
倉工だけは勘弁してくれ……。勝てっこないだろ
バットを振り終えた後に疲労と痛みから手が開けなくなるほどの連続ティー打撃、インターバル走……。とことん練習した。その甲斐があってか、年が明け、練習試合が解禁されると勝ち星に恵まれるようになってきた。しかも不思議と接戦で相手についていって、最後は逆転して振り切るという展開ばかり。5月に松阪を岡山に迎えて実施した練習試合も同様だった。半年前は手も足も出なかった相手に食らいつき、6対5でサヨナラ勝ち。この勝利が大きな自信になった。
08年夏の県大会の抽選前、主将の植松に「どこを引きたいの?」と聞くと間髪入れずに「倉工(倉敷工)です!」。本番の抽選会では、有言実行で倉敷工と初戦で対戦するくじを引き当てた。
植松の威勢の良い返答に、「そうじゃないといけねえよな! いいぞ、いいぞ!」と言った私だが、内心は「倉工だけは勘弁してくれ……。勝てっこないだろ」と思っていた。
“強い”指導方針への手応え
だが、松阪との練習試合と同様に、夏の1回戦で倉敷工に雪辱を果たした。スコアは11対10。野球通の人には「泥仕合」と言われてしまいそうなミスもある展開だったが、2度逆転し、8回に3点差を追いつかれるも、最後はサヨナラ勝ちする劇的な試合だった。
続く2回戦も突破し、夏は就任初年度以来、2年ぶりの16強。同じ16強でも、力のある野球留学生をそろえたチームと、とてつもなく低いレベルからスタートした植松らの代とでは意味合いが大きく異なる。
振り返ると、“上手く”なるには意味のない練習もたくさんしたと思う。けれども、猛練習で心身が“強く”なったことで、公式戦で思いもよらぬ好結果を残せた。上手いよりも、強くなければいけない――。新生・おかやま山陽の指導方針がおぼろげながら定まった夏だった。
堤、本当にええんか?
他のチームから見向きもされなかった選手たちが急成長したことで、県内外から入学希望者が増えた。希望者たちの練習や試合を見に行くと、驚くほど技術力が高い。「こんな選手たちが入ってくれるのか」と、私は舞い上がった。
ホクホク顔の私とは裏腹に、不安な表情を浮かべる人物がいた。小泉清一郎部長だ。小泉部長は、私の2代前に指揮を執った道廣天監督の下で部長を務めていた。前監督の就任に伴い、指導体制が刷新された後は軟式野球部の部長、監督を歴任。東京都出身で法政一(現・法政大高)、法政大という球歴を歩んだ後、高校野球の指導ができる学校を探して、北から南まで日本全国の学校に電話で問い合わせ、おかやま山陽に赴任したという熱血漢だ。その熱さでチームに好影響を与えてほしいと考えた私が懇願し、2008年夏の大会終了直後から部長に復帰してもらっていた。年長者でもある小泉部長がしきりに言う。
「堤、本当にええんか?」
素行に問題があった選手も「生まれ変わるだろう」
というのも、入学を希望していた選手たちは、実力があるにはあるが、学校生活などの素行に問題があった選手がほとんど。指導に手を焼くことを嫌った強豪校からは入学を断られている選手が大半だった。前々監督の下で高校野球の指導を経験していた小泉部長は、この手の選手の扱いの難しさを骨身に染みて知っていたため、私に再考を促したのだ。
08年のチームは夏に劇的な勝利を収め16強入りしたとはいえ、秋、春は地区予選敗退。就任時の理事長から命じられた「安定して県大会に行く」という目標は達成できていなかった。少なからず焦りもあった私は、「青春ドラマのように体当たりで指導すれば、悪い人間も生まれ変わるだろう」と自分に言い聞かせ、部長の反対を振り切り、これらの選手たちを獲得した。
私の判断は大誤算だった
結果を先に伝えておこう。私の判断は大誤算だった。当時、独身だった斎藤が週の5日間、家庭を持っていた私と小泉部長が週1日ずつグラウンド脇に隣接された寮に常駐していたのだが、寮で問題が頻発。ゴミの分別ルールを守らない。また、寮の食事で出る焼き魚の身のほぐし方がわからず、斎藤が目を離した隙に捨てる、これは寮生活には関係ないが、練習試合でボールボーイをする際に風船ガムを膨らますなど、やりたい放題だった。
斎藤が叱責して収まったかと思えば、また違った問題が噴出。斎藤に膨大なストレスがのしかかり、最後は体調を崩して救急車で運ばれる事態にまで陥った。
辞表を提出「まあまあ。まだ始まったばかりですから」
問題児たちに手を焼いた09年、春は地区予選を突破して16強、夏も1勝を挙げたが、秋は予選で敗退。選手勧誘での失態を含めて、責任を感じていた私は辞表を書いた。
が、理事長に辞表を差し出そうとするも、突き返された。
「まあまあ。まだ始まったばかりですから。もう少し頑張ってみてください」
この時期は、植松たちを猛練習で鍛え上げたことでつかんだ指導者としての自信も消し飛ぶくらい、常に悩んでいるような状態だった。試合では勝てない、「なんとかなるのでは」と思っていた生徒指導でも、自分の思いが上手く伝わらない。暗い迷路の中にいるような気分だった。
そんなとき、悩める私に3つのきっかけとなる出来事が舞い降りた。
<続く>
―2023上半期 甲子園部門 BEST5
1位:「コールドにしてください…」甲子園で日大名門校を次々撃破、おかやま山陽監督が“ボロ負け”で2度涙した夏「あの頃は常に悩んでいた」
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2位:甲子園で清原和博が桑田真澄と語りあった日「1年のときは桑田と会話した記憶ないわ」「ホント、人生は紙一重だよな」<30年目のKK対談公開>
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文=堤尚彦
photograph by JIJI PRESS