2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。MLB部門の第5位は、こちら!(初公開日 2023年7月22日/肩書などはすべて当時)
今からもう11年前のことになる。
2012年7月23日、米国西部時間午後3時。試合開始4時間前のことだった。マリナーズの本拠地セーフィコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)の記者席が騒然となった。発端はひとつのツイッター情報だった。
「イチローがヤンキースへトレードされた」
「フェイクニュースを流したのではないか?」
ヤンキース3連戦が始まる直前での騒動。当初は「また誰かがいい加減なフェイクニュースを流したのではないか」。そんな思いも駆け巡った。だが、一報の投稿者を確認した時点で事実であることを叩きつけられた。
発信者はヤンキース専属放送局「YES Network」の看板記者、ジャック・カリー氏。彼の投稿から10分も経たずして両球団からはトレード発表のメールが届いた。午後3時半からはイチローが会見するとも記されている。受けた衝撃に気が動転すると同時に、あまりの手際の良さに感心したことを覚えている。
マリナーズカラーの濃紺のネクタイを締め会見に臨んだイチローは言葉を選びながら、時折り涙を見せながら、ファンと関係者への謝辞を表し、移籍の背景を語った。
「オールスターブレークの間に自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に来年以降、僕がいるべきではないのではないか、ということでした。そして、僕自身も環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが、芽生えてきました。そうであるならば、出来るだけ早くチームを去ることが、チームにとっても僕にとっても、良いことなのではないか、という決断でした。今回の決断を受け入れてくださったマリナーズ球団に大変感謝しています」
『志願の移籍』を自ら公表したのだった。
移籍会見から数時間後の“スタンディングオベーション”
当時、イチローは38歳。10月には39歳を迎えようとしていた。想定外のことが好きでないイチローにとって、自身のプレー環境を変えるチャレンジは容易なものではなかったはずだ。それでも彼はチェンジを求めた。そこに並々ならぬ決意が伺えた。
「いや、もう怖いですよ、環境が変わることは。怖いです。不安ですよ。ただ、そう決意した訳ですから。そういうものを断ち切らないといけないし、断ち切れるように進んで行きたいということですよね。その覚悟を持っているつもりです」
移籍会見から2時間後、イチローはダグアウトを「一塁」から「三塁」へ移し、背番号は「51」から「31」へと変え、打順は「1番」から「8番」へと下げ、出場を果たした。結果は4打数1安打1盗塁。第1打席でのスタンディング・オベーションは鳴り止まず、イチローも感傷的になった。
「11年半、本当に長い時間でしたから、いろんなことがありましたし、まあ、そういうことが思い浮かぶのかなあって想像してたんですけど、ああいう反応を目の当たりにすると、もう真っ白になりましたね。何にも思い浮かばなかったです。もう、ただ、その瞬間に感激した、という感じでしたね」
ちなみにこの試合には、ちょっとしたトリビアがあるのを覚えておいて欲しい。ヤンキースの先発投手は『男・黒田博樹』。7回3安打1失点で自身10勝目を挙げ、イチローに移籍後初白星をプレゼントした。
大谷のトレード報道は“願望報道”ばかり?
今、日米では、大谷翔平のトレード報道が錯綜している。拙い取材の限りでは、現状では具体的根拠のない願望報道ばかりだ。その中で11年前のイチローと今の大谷で共通していることは、シーズン後に契約満了を迎えフリーエージェントとなることだけだ。11年前、イチローは移籍会見でこんなことを言った。
「結果的には一番勝っていないチームから一番勝っているチームに行くことになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思っています」
西地区最下位、勝率.433だったマリナーズからア・リーグ最高勝率.600の伝統球団ヤンキースへの移籍をイチ流のジョークで表現した。するとある記者は「強いチームへの移籍願望があったのか」と問うた。それにはこう返した。
「もちろん希望は、ね。ありますけど、ただ、こうでなくてはいけないというのはありませんでした。僕のことを必要としてくれるチームということが大前提でした」
01年の入団時から10年連続でシーズン200安打の金字塔を打ち立て、オールスターにもゴールドグラブ賞にも10年連続で選出された。しかし、11年シーズンは全てが途切れた。12年は再出発と位置付けたが、移籍前日までに残した打率は2割6分1厘。移籍志願の目的は「勝ちたい」ではなく、環境を変え、自らを覚醒させることにあった。
イチローの電撃トレードとは何だったのか?
1995年の野茂英雄の挑戦以降、日本人選手で米国を騒然とさせたトレードとして、イチローのヤンキース移籍を上回るインパクトはない。イチローは移籍後、227打数73安打、打率.322の成績を残して輝きを取り戻し、地区優勝にも貢献した。オフには39歳の年齢でありながら伝統球団との2年契約をも勝ち取った。
イチローにとってはまさに野球人生を賭けた挑戦だった。そのチャレンジと向き合い、切磋琢磨を続けた結果が45歳までのプレーを可能とさせた。そして、その直向きな努力の先に待っていたもの――。それが最も愛着あるマリナーズで現役を終えるというご褒美だった。
本人には多くの紆余曲折もあっただろう。だが、志願のトレードとなれば、果たすべき責任は多い。その戦いにイチローは勝った。順風満帆な若い時代に得たものよりも遥かに大きい貴重な財産となったことだろう。
文=笹田幸嗣
photograph by JIJI PRESS