2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。MLB部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年5月18日/肩書などはすべて当時)。

 全米でトルネード旋風を巻き起こし、日本人メジャーリーガーのパイオニアになった野茂英雄。その実績から考えれば「引退劇」は超異例だったといえる。特別な引退試合も、会見も行われず、ひっそりと去ったからだ。一体なぜ――。野茂英雄の現役晩年を追った記者が綴る「本当のノモ論」。〈全2回の#2/#1へ〉

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「ヒデオ・イズ・バック!」

 ロイヤルズの監督は声を上げた。2008年4月、野茂英雄の3年ぶりのメジャー昇格が決まったからだ。

メジャー再挑戦…監督はあのヒルマンだった

 実は当時ロイヤルズのGMだったデイトン・ムーアは、当時39歳だった野茂と契約したもののメジャーに昇格させる可能性はほぼないと思っていたという。それでもカムバックできた裏には、監督がトレイ・ヒルマンだったことも大きかったように思える。新庄剛志らを率いて日本ハムを日本一に導いたヒルマン監督は、退団の翌年である08年からロイヤルズ監督に就任。キャンプ中から野茂に敬意を払い、気遣っていた。それゆえ、昇格の喜びも素直に語っていた。

 当の野茂も、いつも通りの淡々とした口調の端々から、たしかな高揚感がうかがえた。

「またメジャーで投げられる。すごくうれしいですし、選んでくれたチームにもすごく感謝しています。(経験のないリリーフという役割だが)バッターを抑えてイニングをゼロにすることは先発もリリーフも変わりはないと思うんで、点をあげないように、チームが勝てるようにしていければいいと思っています。1試合でも多く投げたいですし、1試合でも多くチームが勝つように祈っています」

トルネードを捨てて…メジャー復帰戦の結果

 05年7月15日以来となる1000日ぶりのメジャーのマウンドは4月10日、本拠地でのヤンキース戦で巡ってきた。

 その頃には、両手を高く上げて構えるあのトレードマークのトルネード投法をやめ、どんな状況でもセットポジションから投げるようになっていた。「ベネズエラで試してみて、それから。ワインドアップだと肘に負担がくるとわかったので」と当時、明かしていた。

 同ヤンキース戦で3点を追う7回から2番手で登板し、3回を投げた。7回と9回の最後の打者はいずれもメジャー6年目の松井秀喜で、1度目の打席はレフトフライ、2度目は空振り三振に退けたが、最後の9回にアレックス・ロドリゲス、ホルヘ・ポサダという2人の強打者にソロ本塁打を浴び、3回を4安打2失点、2四球1三振。球数は3回で65球にも及んでいた。

今まで通りにマウンドに上がりました

 9回に続投しなければ2回無失点で上々の復帰戦となったはずだったことから、ヒルマン監督はこのとき、続投させたことを少し後悔したようだった。だが「9回に入る前にカラダ、ダイジョウブデスカと日本語で聞いたら、大丈夫だと言った。本当ですかと聞いたらイエスと答えたので、彼を信じた」という。試合後の野茂は淡々としていた。

「今まで通りにマウンドに上がりました。何も考えていなかったです。自分はどこまでやれるかわからないですし、使う方もどこまでやれるかわからないでしょうし、投げるチャンスがくれば抑えて、それからですかね」

記者が見た「現役最後の登板」

 2度目の登板は4月15日の敵地でのマリナーズ戦で、このときはイチローを空振り三振に切って取ったが、1回を3安打4失点、2四球1三振と崩れた。その次に登板したのが、4月18日の敵地でのアスレチックス戦。8回2死から5番手で登板し、いきなり二塁打、さらに単打、最後に3ラン本塁打を浴び、ようやく最後の1人から空振り三振を奪って16球でその回を終え、チームは2−13で大敗した。

 それが野茂の現役最後の登板だった。あまりにボロボロの内容だった。

 試合後の野茂は、静まり返った重苦しい雰囲気のクラブハウスの中でも、いつも通り囲みの取材を受けた。

「何とも言えないですね。何も言えないです。ホームランを打たれた球は、甘かったです。それは、はっきりしています」と言って大きなため息をつき「しょうがないです。ゼロに抑えたかったですけどね。打たれているのは甘いボールですからね、それはまあ、しょうがないと思うんですけど(調子的には)特に変わってはいないと思うんですけど」と振り返った。

僅かにお辞儀をしたように見えた

 その翌日の試合前、ヒルマン監督がベンチで報道陣に「明日、選手の入れ替えを行う」と明かした。

 これはもしかしたら、野茂に何かがあるかもしれない。その場にいた全員に、そんな予感があったはずだ。ふとグラウンドを見ると、野茂は自分の行く末を知ってか知らずか、いつも通り黙々と走り込みをしていた。

 試合後、監督会見を終えてクラブハウスの脇にある監督室から出ると、野茂がロッカーの前で着替えを済ませたところだった。目を向けると、微かにお辞儀をしたように見えた。何か言葉を交わしたかったが、何も言うことができないまま外に出た。

 それが現役野茂の姿を見た最後の瞬間になった。

 翌日、野茂がメジャーの40人枠から外され、事実上の戦力外になったことが球団から発表された。球場に行くと、すでにロッカーは空っぽだった。

ボロボロになるまで…野茂の去り際

 トレードマークのトルネードを捨て、自分のこだわりも捨て、登板機会が与えられる限り最後の一瞬までマウンドに立ち続ける。たとえボロボロの結果になっても。それが野茂の選手としての生きざまだった。

 ヒルマン監督は最後にこう言った。

「もっと長い期間、チャンスをあげられず申し訳ないと彼に伝えた。もっと時間があれば、メジャーでまだやれると証明できたかもしれない。心残りはあったと思う。だが彼は、とてもプロフェッショナルだった。チャンスを与えてもらったことに、本当に心から感謝していた」

 共同通信のインタビューで現役引退を表明したのは、それから3カ月後のことだった。引退会見は開かれていない。野茂らしい最後だった。

文=水次祥子

photograph by JIJI PRESS