現役時代、闘志あふれるプレーで最終ラインからチームを支えた熱血漢は、なぜ“経営者”としてサッカーに携わることを決めたのか。J3のいわてグルージャ盛岡の運営会社でオーナー兼社長を務め、ホームスタジアムの改修やクラブの価値創出に心血を注ぐ元日本代表DF・秋田豊の挑戦に迫った。(全2回の2回目/前編へ)※文中敬称略

元日本代表DF・秋田豊はなぜ経営者になったのか

 1993年のJリーグ開幕から30年の月日が流れ、日本のサッカー環境は大きく変わった。クラブ数の増加や海外移籍の一般化といった競技環境だけでなく、その変化は引退後の選手のセカンドキャリアにも及ぶ。親会社からの出向が一般的だった経営陣に、Jリーグでスポットライトを浴びた元選手が参画するケースが生まれている。

 元日本代表DFの秋田豊もそのひとりだ。プロキャリアをスタートさせた鹿島アントラーズに数々のタイトルをもたらし、名古屋グランパスと京都サンガでもプレーした53歳は、昨年10月から株式会社いわてグルージャ盛岡を運営するいわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務めている。

「2020年から22年までグルージャの監督をやらせてもらって、とりあえず監督業は休みたいと思いました。監督って、ものすごく消耗するんですね。勝負をかけて戦うけれど、自分ではプレーできないことも含めて。でも、社長業は自分で営業ができたりする。プレーヤーになれることは、精神的に楽ですね。もちろん責任は大きいですけれど、これだけ大きな責任を問われる仕事って、なかなかないじゃないですか。サッカーをやっていても、責任を感じてやるからこそ楽しい。練習試合よりJリーグの公式戦、Jリーグよりワールドカップのほうが楽しいわけじゃないですか。そういう大きな責任を感じられる仕事は、人生のなかで何度もあるわけじゃない。これを逃したら後悔するだろうなという思いで、このチームを引き受けたんです」

 それにしても、である。代表取締役社長であると同時に、33.4パーセントの株式を持つオーナーでもある。自身の一つひとつの経営判断が、クラブの未来を大きく左右するのだ。

「これは“リアルサカつく”。楽しいですよ」

 様々な場面で責任の大きさを感じつつ、秋田は「楽しいですよ」と笑みをこぼす。

「だって、これは“リアルサカつく”ですよ。サッカーコンテンツに関わりながらクラブを大きくすることができたり、チームを強くしたりすることができる。こんなに楽しいことはないですよ」

 オーナーを兼務するからこそ、できることがある。それも、スピード感を持ってできることが。

「色々な意味で“出来上がっているクラブ”ではないだけに、自分のアイデアとか若い社員がやりたいことを、トライしやすい環境ではあります。自分たちが『これはいいな』と思ったら、すぐに動けますからね」

 スタジアムの改修に先んじて、トップチームの環境を整備している。2025年春の完成を目ざし、クラブハウスの整備に乗り出しているのだ。会議室なども備える施設は、チームが使用しない時間は一般開放する予定だ。

「現状ではクラブハウスがなく、練習は複数の場所を転々としています。選手は練習環境を大切にするので、クラブハウスができることで、選手獲得の際のマイナス要素を減らすことができます」

 会社経営は今回が初めてではない。2017年にトレーニング用のゴムバンドを販売する会社を立ち上げた。ビジネス感覚を磨いていく過程で、クラブ経営への興味が膨らんでいった。

「どんな業態でも、会社に価値を作っていくことが大事なんだろうと思うんです。『グルージャがこういう会社になれば、もっと価値を感じてもらえるんじゃないか』ということを常に考えている。スタジアムの改修はそのひとつです。改修によってクラブの価値が高まり、子どもたちが『自分もあそこでプレーしたい』と思ってくれる場所を作れたら……というのが我々の考えなのです」

 オーナー兼社長として、「できることはすべてやる」をモットーとする。

「講演でもサッカースクールでも、スケジュールが合えばすべて受けて、いただいたお金はすべてクラブに入れます。交通費が持ち出しになることもありますけどね。僕は顔が名刺だから、メディアが集まる場所でも経済同友会でも、できる限り顔を出して挨拶をします。秋田豊の価値をグルージャと結びつけながら、グルージャの価値を高めようと思っているんです」

シーズン移行への持論「Jのレベルを考えると…」

 地方から日本サッカーを盛り上げるという意味で、秋田の存在はJリーグにとって価値あるものと言っていい。いわてグルージャ盛岡だけでなく、Jリーグ全体の未来にも目を向けており、ここにきて議論が本格化してきたシーズン移行にも触れた。

「Jリーグからはシーズン移行の話が出ていますけれど、移行することで選手たちがどうなるのか。シーズン移行したら、選手はもっと外へ出ていくでしょう。Jリーグのレベルを考えると、外にどんどん出ていくことがすべていいことなのかな、と」

 そういって秋田は、自身の現役当時に触れる。

「ラモン・ディアスがいて、カレカがいて、エムボマがいてと、色々なタイプの外国人ストライカーとマッチアップできた。Jリーグで海外のトップレベルの選手と対戦していたので、海外へ行かなくても経験を積むことができた。だから、1998年のフランスW杯でバティストゥータやスーケルとマッチアップをしても、『あ、このタイプなんだな』と、物怖じすることなくできたんです」

 日本人選手の海外移籍を、否定しているわけではない。秋田が経営の「芯」とする価値を、いかに維持向上していくのかを問うているのだ。

「日本人選手も外国人選手も、Jリーグでやりたいと思わせることが必要じゃないか、という話をJリーグ側にしたんです。僕の現役当時は、レオナルドやジョルジーニョのような現役のブラジル代表選手がJリーグでプレーしていた。彼らと同じレベルの外国人選手が、いまは皆無と言ってもいいぐらいですから。Jリーグの価値を、どうやって上げていくのか。価値のないものに、人は関心を示してくれないですから」

 ホームスタジアムの改修からトップチームの練習環境の整備、さらにはアカデミーの充実など、「やるべきことはホントに多いです」と言う。だが、表情に悲壮感はない。むしろ充実感が漂う。

「僕自身は10年ぐらいのスパンで、このクラブを大きくしていきたいと考えています。社長になってみて、難しいことにもたくさん気づかされましたけど、それぐらいのほうが『やってやろう』という気持ちになりますから」

 タフでハードなCBだったプレースタイルそのままに、秋田は難局を切り開いていく。

<前編から続く>

文=戸塚啓

photograph by JIJI PRESS