どうして西芳照がつくる料理はアスリートの心をつかむのだろうか?
美味しいから? 心がこもっているから? 栄養のバランスがいいから? 手際がいいから? 海外でも安心安全だから? いろんなものを食べられるから?
どれも当たっているのだが、最適解は別のところにあるような気がしている。
なでしこの8強入りを後押し
2004年以降、長らくサムライブルーの専属シェフとしてサッカー日本代表の海外活動に同行し、昨年のカタールワールドカップでも食事でチームを支えた。一端、A代表を“卒業”して活動を広げていくなか、今夏、オーストラリア、ニュージーランド共催の女子ワールドカップに出場したなでしこジャパンの「料理番」を務めた。真心をこめた料理でベスト8入りを後押ししている。
7月25日、グループステージ第2戦となるコスタリカ代表戦の前日のことだった。
ニュージーランドでキムチ鍋?
ベースキャンプ地のニュージーランド・クライストチャーチから会場となるダニーデンにチームは移動し、試合に向けて程よく緊張感も高まっていた。
「えっ! これ何、何、何〜!」
練習を終えてからの夕食会場に、女子の弾んだ声が重なった。テーブルに用意されていたのは、カセットコンロと日本の鍋だった。
ニュージーランドでまさかのキムチ鍋だ。南半球は冬。このサプライズメニューに選手たちのテンションが爆上がりしたことは言うまでもない。
このときの話を西に聞くと、うれしそうに口もとを緩めた。
「テーブルから“わーっ”とか“すごーい”とか声が上がっていて、それだけで出して良かったなって。寒いし、いいタイミングでと思っていました。欲しかったキムチの種類ではなかったけど、選手のみなさんが喜んでくれて何よりでした」
チャーター機移動が生んだ幸運
現地でパッと思いついたわけではない。テーブルで火を扱うにはホテル側の許可を取りつけなければならない。そしてカセットコンロや鍋を自分で用意しなければならない。
出発前、お米、納豆、佃煮など日本から持ち込む食材の準備は済ませていた。それが出発の3週間ほど前、チャーター機によるニュージーランド移動が決まり、荷物をもっと詰め込めることになった。
西は2011年に東日本大震災が起こる前まで福島の浜通りにあるナショナルトレーニングセンターのJヴィレッジで総料理長を務めていた。なでしこジャパンが強化キャンプを張ったこともあり、鍋料理が人気だったことを思い出した。
カセットコンロは売っていても、季節が季節だけに寄せ鍋ができるようなお目当ての鍋がなかなか見つからない。置いてあるのは店一軒に大体ひとつとあってまとめ買いもできない。サンプルしかなければ、それを値引きしてもらって購入した。出発前日になって全部そろえることができた。
「選手のみなさんがまずはしっかり試合に臨んでもらうために食事でサポートをすること。そのうえで食事のときはリラックスしてもらえる環境であることも大切です」
小グループでキムチ鍋を囲めば、当然コミュニケーションも多くなる。たっぷりと栄養を摂って、シメは雑炊。どのテーブルも盛り上がり、鍋はキレイにたいらげてあった。キムチ鍋の効果もあってか、コスタリカ代表との一戦に2−0と勝利している。一体感をより醸成する晩餐になったわけだ。
その後も鍋は、豆乳鍋やしゃぶしゃぶなどメニューを変えて登場している。味で目でサプライズで楽しませることで食卓にはいつもにぎわいがあった。
試合後のカレーライス…女子には?
西がチームから信頼される理由の一つに、杓子定規にならない臨機応変がある。
試合を終えた後の食事は、男子だとチキンと野菜がゴロゴロのカレーライスが定番だった。疲労回復には炭水化物がマスト。ただ選手たちは試合後のロッカーで用意されたおにぎりや干し芋を食して帰ってくるため、大体の選手がカレーライスを少量でとどめていた。
パートナーのシェフとともに毎日、食事の準備に追われているのだから試合日の夕食はカレーだと決めて、そのまま突き通せることだってできる。しかし西はそれでは選手の期待に応えられていないと思い、何かいいものがあるんじゃないかと考え込んだ。
熊谷のリクエストから生まれた“勝利飯”
そんなときだった。スペイン戦を前に、キャプテンの熊谷紗希から試合後のスープスパとフォーをリクエストされた。
なるほどと思った。これならロッカーで多少食べてきたとしても、見た目的にも胃が受けつけやすいのかもしれない、と。
スペイン代表に4−0と勝利した夜、食卓にスープスパとフォーを並べると、選手たちは思った以上によく食べたという。チキンのスープに、麺は細麺、平打ち麺を用意。筋肉を修復するにはたんぱく質が必要なため、チャーシューと玉子をトッピングにしている。ワカメ、もやし、キクラゲなど海藻や野菜もたっぷりと摂れるようにした。
焼き鳥風料理に「鉄分摂取」の工夫が
選手の反応を見ながら、要望を聞きながらメニューを調整していく。たとえばレーズン、プルーンといったドライフルーツなど置いてはいるものの、積極的に食べている感じはなかった。鉄分をいかに摂ってもらえるか。宿泊したホテルでペースト状にしたダックのレバーが「臭みがなくておいしい」と知ると、すぐにダックのレバーを使って作ったタレを焼き鳥風料理にかけている。現地でいい食材に出会えば、速攻でメニューに反映させる。こういった反射神経の良さも、西ならではだ。
いつかなでしこジャパンの力になれたら、とは思っていた。
西は震災で甚大な被害を受けた福島・南相馬市の出身。あの3・11、楢葉町、広野町にまたがるJヴィレッジで被災した。一時、東京で避難生活を送っていたものの、居ても立ってもいられず原発事故の対応拠点となった同地に戻ることを決断している。
なでしこジャパンが輝いていた。何度も逆境をはね返して世界一の座に就いた。東北を元気にしたいとの彼女たちの思いは伝わった。自分も頑張ろうと思えた。震災から半年後、Jヴィレッジ内に作業員向けのレストランを開いた。温かいものといってもレトルト食品くらいしかなかった作業員に、栄養のある温かい食事を提供したいとの思いからだった。
西は言う。
「(なでしこジャパンに対する)思い入れと言われたら、もちろんあります。去年、インドでのアジアカップに同行させてもらいましたけど、予算やいろんな制限もあって十分に満足させてあげられたわけではなかった。だからこそ今回、勝ち上がっていくために、やれることはすべてやっていきたいなって。実は鍋料理を思いついて、鍋やカセットコンロの購入は(協会側に)事後報告だったんです。認められなかったら、自腹でもいいかなって。認めていただいて良かったですけど、キムチ鍋つくって負けていたら“西のヤツ、何やってんだ”って言われていたでしょうね、多分(笑)。
準々決勝でスウェーデンに敗れて、みんな目を腫らして帰ってきました。大会が始まる前まではそこまで期待されていなかったじゃないですか。選手のみなさんは悔しかったと思います。それでも素晴らしい戦いで勝っていって、本当に立派でしたよ」
涙、涙の選手たちが笑顔に
スウェーデンとの試合後はフォーとすき焼きを並べた。泣き顔から次第にこの先、また頑張っていこうと前を向く顔にみんななっていた。選手たち一人ひとりと再会を誓うように握手した。
西もまた選手と一緒になって戦っていた。
いいパフォーマンスを発揮してもらいたい、勝ってもらいたい。選手ファーストでありったけの思いを注いだ魂の料理だからこそ、選手たちの心に届き、溢れるばかりのエネルギーとなる。サムライブルーも、そしてなでしこジャパンも、それは同じであった。
今、西はフランスのトゥールーズにいる。
ラグビー日本代表に初めて同行し、ワールドカップを戦うチームを食事で支えていく任を担うためである。ニュージーランドから帰国し、筆者のインタビューを終えた2日後に欧州に飛んだ。
大男たちの胃袋を支える
プール戦だけでも1カ月に及ぶ長丁場。リラックスできる食事の場が大切になってくる。
「きっと雰囲気がいいときばかりじゃないと思うんです。どうしてもネガティブになってしまうことだってあるはず。そんなときにちょっとでもチームのプラスになるように、食事でストレスを発散して、気持ちを切り替えられるような料理をつくっていきたいですね」
南半球から北半球へ、なでしこからブロッサムへ。
栄養いっぱい吸い上げた花が、鮮やかに咲く。西芳照はそのために愛情込めて、魂込めてきょうもフライパンを振る――。
文=二宮寿朗
photograph by Takuya Sugiyama