今季のJ1リーグ前半戦で、サッカーファンを沸かせたトピックス――。それが、6年ぶりにJ1に復帰したアルビレックス新潟を牽引する、伊藤涼太郎のファンタスティックなプレーの数々だった。
4月15日のアビスパ福岡戦でのハットトリックを含め、17試合で7得点4アシストをマークし、2・3月度のJ1月間MVPにも選出された。
夏の海外挑戦は「決めていました」
浦和レッズ、大分トリニータ時代はコンスタントに試合に出られなかった伊藤にとって、これがプロキャリアで初めてのJ1での活躍。プロ8年目にしてようやくその才能が花開いたのだ。
シーズン序盤から、伊藤は活躍の場を与えてくれた新潟への感謝を口にし、「このチームでタイトルを獲りたい」と繰り返し語っていた。
だから、今夏の海外挑戦はまさに電撃移籍で、驚きを持って受け止められた。
ところが、伊藤自身は「この夏に移籍するということは、シーズンが始まってしばらく経った頃から決めていました」と明かす。
「もちろん、アルビへの感謝の気持ちはすごくあるし、このチームでタイトルを獲りたいという思いも本当でした。だから、シーズン途中で移籍するのは申し訳なかったし、寂しさもあって、すぐに決められたわけではないです。ただ、海外でプレーすることは子どもの頃からの夢だったし、サッカー選手として、人間としてもさらに成長するためには、こういう決断も絶対に必要だなって。自分のサッカー人生なので、誰かに相談することなく、自分で決断しました」
子どもの頃はロナウジーニョに憧れ、いつかバルセロナでプレーすることを夢見ていた。J1で活躍できていなかったから口にするのも憚られたが、海外挑戦は心の奥にしまい込んだ夢だった。
そんな伊藤の海外挑戦への思いを、あらためてかき立てたものがあった。
同年代の日本代表選手たちの活躍である。
1998年2月生まれの伊藤にとって、鎌田大地(ラツィオ)や板倉滉(ボルシア・メンヘングラードバッハ)は1学年上、三笘薫(ブライトン)は同学年、堂安律(フライブルク)、田中碧(デュッセルドルフ)、冨安健洋(アーセナル)は1学年下と、現在の日本代表の中心選手はまさに同世代。
作陽高校から鳴り物入りで浦和に加入した2016年当初、伊藤は4年後(コロナ禍の影響で実際には5年後)の東京オリンピックの代表チームのトップ下候補として期待されていた。
しかし浦和でも、レンタル移籍した大分でも、思うように出場機会が得られない。そのため、17年12月のチーム立ち上げから21年夏の本番まで、伊藤が代表チームに招集されることは一度もなかった。
「東京オリンピックは、ずっと目指していた舞台だったんですけど、そのメンバーに入れなかったばかりか、かすりもしなかった。同世代の選手たちが世界を相手に自分のプレーを最大限に発揮している姿をテレビで見て、自分もこうなるはずだったのに、自分は何をやっているんだろうって、焦りや危機感をすごく覚えて……。
自分は世界どころか、J1でも何も残せていない。本来は浦和で活躍して、浦和に恩返しをしてから海外に行きたかったんですけど、思い描いたようにはいかなかった。サッカー選手としてここから上に行くには、大きな覚悟を持って、危機感をもっと感じないといけない、このままではダメになってしまうってすごく感じて……」
このとき、伊藤は浦和からレンタル移籍した水戸ホーリーホックでプレーしていたが、そのオフに覚悟を決めて浦和を離れ、J2の新潟に完全移籍を果たすのである。
東京オリンピックでは同世代が躍動する姿に打ちのめされたのに対し、22年末のカタールW杯では計り知れないモチベーションが得られた。
「悔しい気持ちもあったんですけど、凄いなって。本当に刺激を受けましたね。もっと早く日本代表に選ばれたかったんですけど、それは叶わなかった。でも、今からでも遅くない、次のW杯には自分が出たい、って純粋に思えました」
「アルビに貢献してから、海外に行く」
そのひと月前、主力選手として新潟のJ1復帰に貢献した伊藤は、今度こそJ1で活躍して少しでも早く海外に飛び込む、という目標を掲げて23年シーズンに臨むのだ。
「今の日本代表を見ていると、大半が海外でプレーしている選手たち。自分も日本代表に選ばれて定着するには、海外の相手ともやれるということを示さないといけない。それにはまずJ1で活躍しないと説得力がないので、アルビにしっかり貢献して、J1でやれることを証明して、夏に移籍したいと思ったんです」
そして今夏、海外からオファーが届く。伊藤にチャンスをくれたのは、ベルギー1部のシント=トロイデンである。日本企業が経営権を持つこのクラブは近年、日本人選手がヨーロッパで飛躍するための足がかりの場となるべく、日本人選手を積極的に獲得してきた。遠藤航(現リバプール)、鎌田、冨安がここから羽ばたいていったことで知られる。
浦和でチームメイトだった橋岡大樹も21年1月から所属しており、伊藤は橋岡からクラブに関する情報を収集した。
「橋岡とは4月くらいに連絡を取ったんですけど、そのときはあまり勧められなかったです。当時の監督のサッカーに僕は合わないって。でも、新シーズンを迎えるにあたって監督が代わって、今の監督(ヴィッセル神戸でも指揮を執ったトルステン・フィンク)と面談をして、ここに来ようと決断しました。このチームからステップアップしていった航くんや鎌田選手のように自分もなりたいなって」
伊藤は現在、25歳。海外挑戦の年齢としては若くない。そんな伊藤にとって指針となるのが、遠藤の存在である。リバプールでプレーする日本代表キャプテンが浦和からシント=トロイデンに移籍したのは25歳の夏――今回の伊藤とまったく同じタイミングだったのだ。
「航くんとはレッズ時代に仲良くさせてもらっていて。航くんが海外に行くとき、僕はレンタル移籍をしていたのでレッズにいなかったんですけど、正直、疑問だったんです。この年齢で海外に行くのかって。でも、ここで結果を出して、シュツットガルトでも、日本代表でも活躍して、今、リバプールにいるという現実がある。25歳で海外に行くのは遅くないし、チャンスは転がっているから、それを掴めるかどうかは自分次第なんだと航くんが証明してくれた。僕も負けていられないっていう気持ちが強いです」
シント=トロイデンはフィンク監督のもと、ボールを保持することで主導権を握ろうとするスタイルを志向しており、伊藤はボランチとして開幕からスタメン出場を果たしている。
ボール非保持では3-4-3だが、ボール保持時はダブルボランチが縦関係となり、伊藤はトップ下の役割をこなす。
「ベルギーリーグは、大げさに言うと、Jリーグとはスポーツが違うというか。強度、インテンシティはすごく高くて、スピーディです。ただ、プレッシャーが速いぶん、逆を取れたら簡単に抜けるなっていう感覚もあるんで、手応えも感じています。実際、まだ自分の得点はないですけど、チャンスだったり、自分がフィニッシャーになる場面は作れている。ここでは気負うことなく、のびのびとやれていて、自分らしさを出せていると思います。浦和のときに起用された試合で何もできなかったのは、メンタル面の問題だったと思うんですけど、それはもう克服できたので」
浦和時代の後悔「本当にもったいなかった」
メンタルの弱さ――これこそ、浦和で輝けなかった最大の理由だった。最初に在籍した1年半に関して、かつて伊藤自身はこんなふうに分析していた。
「ベンチに入れないのも仕方がないな、と思ってしまって。(興梠)慎三さんとか、(柏木)陽介さんとか、代表クラスの選手たちと一緒に練習していることに満足していたというか。今思えば、本当にもったいなかったなって」
水戸と大分での武者修行を経て、20年に復帰した際は、過去の反省からポジションを奪ってやるんだ、という野心を隠さなかったが、それでも活躍することはできなかった。
「何ひとつ爪痕を残せていなかったので、練習中もここでボールを失ったらどうしようとか、試合に出るためにはここを直さないといけないとか、ネガティブなことばかり考えてしまって。なかなか自分のプレーを出せなかったですね……」
22年の新潟加入後も、気負って空回りしてしまう時期があった。そんな伊藤に手を差し伸べてくれたのは、松橋力蔵監督だった。
「リキさんは『ミスを恐れるな』と常に言ってくれた。『ミスしてもその後のプレーで取り返せばいいから』『何回でもチャレンジするのが大事なんだ』って。リキさんのおかげで、僕はボールを失うことを怖がるのではなく、相手ゴールに向かっていくという自分本来のプレーを発揮できるようになったし、生き生きとプレーできるようになったんです」
おそらく中心選手がシーズン半ばで抜けるのは痛恨だったはずだが、松橋監督は海を渡る伊藤に、こんなメッセージを贈ったという。
「『移籍が決まっておめでとう』と言ってもらいました。それに、『涼太郎が一番強く思っているはずだけど、海外がゴールじゃないぞ。海外でもっともっと活躍するのを期待しているぞ』って。たくさんの言葉を交わしたわけではないけれど、すごく心に刺さりました」
思い描いたプロサッカー人生とは大きく異なる道を歩んできた。だが、何度も挫折しながら諦めずに食らいつき、メンタル面を克服したことで道が大きく開けた。
「遠回りしたなっていう気持ちが強いです。でも、このタイミングで海外に来られたのは、サッカーの神様がくれた最初で最後のチャンスなのかなって。このチャンスを生かして、1年でステップアップできるように頑張りたい。僕がこっちで頑張っている姿を、新潟のファン・サポーターの方々にも見てもらいたいです。アルビと新潟のファン・サポーターには本当に感謝しているので」
ベルギーのピッチで戦いながら、欧州でプレーする日本代表選手のプレーをテレビでチェックし、刺激を受けている。
「近い将来、三笘選手や鎌田選手と対戦したいし、同じピッチに立って、自分も負けていないぞっていうことを示したい」
5大リーグへと辿り着くその過程に、念願の日本代表選出があることを信じて――。
文=飯尾篤史
photograph by Atsushi Iio