世界一の歓喜から6カ月が経過して、侍ジャパンの監督問題が混迷の極みに達している。
9月16日、一部で代表監督への再登板の可能性が報道されたのを受け、栗山英樹前日本代表監督は報道陣に改めて続投の可能性がないことをこう語った。
「そう言ってもらえるのは幸せなことで、ありがたいことではあるけれども、僕は一度きちっと次の世代がやるべきだと思った。(中略)それ(再登板)はあまり考えなくていいと思います」
確かに3月の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)終了後の、次期監督選任は栗山監督への続投要請で始まっている。しかし本人が固辞して続投案は消えた。5月一杯で任期満了となり、6月2日には退任の会見も行っている。そうした経過を考えても栗山監督の再登板は、常識的には考えづらいものだった。それでもそんな報道が流れるのは、まさに混迷する次期監督選びを象徴するものでもあったわけだ。
さまざまな次期監督候補が挙がったが…
栗山監督の続投が消えてから、メディアではさまざまな次期監督候補の名前が挙がっている。
メジャー組からは元シアトル・マリナーズのイチローさんや元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜さんを筆頭にシカゴ・ホワイトソックス等でプレーした前ロッテ監督の井口資仁さんやボストン・レッドソックスでクローザーとして活躍した上原浩治さんらだ。また国内組からも前ソフトバンク監督の工藤公康さんや前巨人監督の高橋由伸さん、元ヤクルト監督の古田敦也さんや元広島監督の緒方孝市さん、東京五輪の代表チームのコーチを務め現U-12監督の元中日・井端弘和さんらの名前が次々とマスコミを賑わしてきた。
その中で一時は「工藤監督で決定」という報道も出たが、日本野球機構(NPB)は完全否定。実はこのときすでに工藤さんではない複数の候補者と順次、水面下で交渉をしていたが、いずれも就任を断られていたというのが実情だった。
侍ジャパン監督の“ネック”とは
以前にこのコラムでも書いたが、代表監督候補の選任は単純に「野球」という側面だけでは決まらない事情がある。
連覇のかかる第6回WBCの開催は2026年3月。新監督は就任から2年半近くの長い任期があり、その間の仕事はチーム編成をして、強化試合を戦うだけではない。侍ジャパンの様々なイベントやスポンサー関係との会合への出席などの“仕事”もそつなくこなさなければならない。その任期の長さ、拘束期間の長さも一つのネックとなっている。
栗山前監督が就任したのは、新型コロナウイルスの世界的な流行で第5回大会が2年延長となり、前任の稲葉篤紀監督の任期が切れた2021年の12月だった。拘束期間も約1年4カ月という短期だったのに比べて、次の監督はほぼ2年半ある。その間は新たに他の役職、例えばNPBの球団の監督などに就くことは実質的には不可能となる。
そして何より第5回大会での世界一というこれ以上ない結果を前提に、連覇に挑まなければならないハードルの高さがある。
第5回大会では準決勝進出が最低ノルマで、そこを突破して決勝進出が1つの目標とされていた。しかし次回大会では決勝進出が最低ノルマとされるだろう。
ところがチームの編成面が全く不透明だ。
大谷、ダルビッシュの参加は可能なのか?
第6回大会には現ニューヨーク・メッツの千賀滉大投手や第5回大会はケガで欠場したシカゴ・カブスの鈴木誠也外野手など、新たなメジャーリーガーの参戦の可能性はもちろんある。しかしその一方で第5回大会の優勝の原動力となった大谷翔平投手はトミー・ジョン手術を受けて、復帰後にどのような状態で参加できるかも分からない。そもそも参加が可能かどうかも不確定だ。チームの精神的支柱だったサンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有投手も3年後の大会時には39歳となる。年齢的にも現役を続けているかも見えない状況である。
そういう編成面での難しさも代表監督が負わなければならない。その現状に、名誉以上に引き受ける難しさを感じるのは当たり前と言えば当たり前の話なのである。
少なくとも5人の候補者に打診して断わられ…
加えてもう一つ、いま現在の監督選任が難航している一番の問題は、今回の交渉の過程で多くの“監督候補”たちが就任要請を断わっているという事実、そしてそのことが球界関係者の間に広く伝わっているということだ。
本人の事情もあるために実名を出すことは避けるが、筆者が確認をとれているだけでも、NPBの侍ジャパン強化委員会(井原敦委員長)は、非公式も含めて少なくとも5人の候補者に就任を打診して断られている。
同じようなことは2009年の第2回大会の監督選任のときにもあったにはあった。そのときは2008年北京五輪で代表チームを指揮した星野仙一さんが、そのまま翌年のWBCでも代表監督を務めることが既定路線だった。しかし北京五輪で敗れた星野さんが激しいバッシングの中にあった上に、「WBCで(北京五輪の)リベンジを」という発言に、当時シアトル・マリナーズでプレーしていたイチロー外野手が「WBCはリベンジの場ではない」と異議を唱えたことから、世論が沸騰。結果として星野さんが就任を辞退することになったのが混迷の理由だった。
「代表監督はたらい回しされるべきものではない」
第1回大会で優勝して連覇への期待も大きいというのも今回と同じで、北京ではメダルを逃していたのでハードルはかなり高くなっていた。
そこでメディアが次々と“候補”を挙げたのだ。マスコミ辞令では当時の中日監督だった落合博満さんや元ヤクルト監督の若松勉さん、西武の監督としてその年の日本シリーズを制した渡辺久信さんらの名前が次々と挙がった。しかしそうした人々が「要請されても引き受けない、もっと適任がいるはずだ」とこれまたメディアを通じて“辞退表明”していったという経緯だった。
ただ、そのときは報道先行で実際にNPBが、そうした“候補”と就任交渉をしたわけではなかった。そしてNPBが最初の候補に白羽の矢を立てたときには、綿密な情報収集と根回しを行なっていた。その上で巨人・原辰徳監督に就任を要請し、原監督も「代表監督はたらい回しにされるべきものではない」という言葉と共に就任を受諾している。
そこが今回と違うところなのだ。
今回は水面下とはいえNPBの侍ジャパン強化委員会が次々と就任の打診を行いながら、次々と断られている。中には少し情報収集をすれば、絶対に受けないことが分かるような人物にも、ほとんど根回しもなく要請をして案の定、断られた。当然、候補となるような人物の間では情報交換もあるし、「みんなが断っている」という事実が球界を駆け巡ってしまっている。
ひとまず新監督の選任をストップする選択肢も…
もはや負の連鎖が止まらないのである。
結果として当初は8月末の発表を目処としていたが、現実的には9月中も難しい状況だ。そしてこれだけ混迷してしまっていることを考えると、ひとまず新監督の選任をストップするのも選択肢ではないか、という声があるのも事実だ。
新監督の初陣となる「アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」は日本と韓国、チャイニーズタイペイにオーストラリアの4カ国が参加して11月16日に開幕する。この大会に出場するチームは、フル代表ではなく24歳以下の選手による編成だ。ならばあえて新監督にこだわらず、この大会だけファーム日本シリーズの優勝監督か、アンダーチームの監督を立てるなどした上で、フル代表の監督は来オフまでじっくり時間をかけて、改めて選任を進めるという手もあるという考えだ。その上で2024年11月に予定される「WBSCプレミア12」大会までに体制を整える。
そうなれば新監督の任期も、栗山監督と同じ1年半程度となる。来年になれば多少なりとも、第6回大会に向けたチーム編成の状況判断もできるようになり、ハードルは少しは下がるはずでもある。そこでもう一度、イチから候補をリストアップして、しっかり根回しをした上で就任要請を行う。
侍ジャパンの監督は想像以上の激務である。ましてや連覇を義務付けられる次期監督には、なかなかなり手がいないのは仕方ないことかもしれない。それでも3年後には誰かが侍ジャパンを率いて第6回WBCを闘わなければならない。
だからこそ行き当たりばったりではなく、まず要請する側のNPBにしっかりとした青写真が必要である。その上でNPBはもちろん関係各所が、新監督のサポート体制を整えた上で就任要請をする。その準備を整えるためにも侍ジャパンの新監督選びは、あえて急ぐ必要はないはずである。
文=鷲田康
photograph by JIJI PRESS