「不動の4番打者」と「リードオフマン」がいるチームは強い――。

 今季、18年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした阪神タイガースの躍進には、その「絶対則」がピタリとはまった。4番・大山悠輔と、リードオフマン・近本光司。近本が死球の影響で数試合休んだとはいえ、それ以外は2人とも首位を疾走するタイガースの大看板を立派に全うしてみせた。

 今でこそ打席に2人を迎える時の甲子園球場の大歓声は「チームMAX」に達するが、彼らと阪神タイガースとの初めての「接点」となったドラフト会議指名の瞬間は、必ずしも歓迎されたものではなかった。(全2回の前編/後編「2018年、近本ドラフト編」を読む)

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 大山悠輔1位指名の2016年、近本光司1位の2018年……コロナ禍勃発前のこの頃は、グランドプリンスホテル新高輪の会場に、多くの野球ファンが詰めかけてドラフト会議が行われていた。

 指名された瞬間の、「ええーっ」という驚きと、「ああーっ」という狼狽が混然となったようなため息。その現場に立ち会った者として、正直「失望」に近いような感慨のにじんだどよめきが起こっていたことを覚えている。

 ファンの多くは、その年、最も話題になっている選手、つまり最も評価の高い選手の1位指名を望んでいる――それが「ドラフト」の現実だ。

2016年のドラフトは投手に有力候補が多かった

 大山悠輔内野手の2016年には、「投手」に優秀な人材が揃っていた。

 1位指名に挙がっただけでも、千葉ロッテ、ソフトバンク、巨人、日本ハム、広島の5球団が重複した創価大・田中正義(ソフトバンク→現日本ハム)、中日、横浜DeNAが重複した明治大・柳裕也(中日)に、オリックスが東京ガス・山岡泰輔、楽天が横浜高・藤平尚真、ヤクルトが履正社高・寺島成輝、西武が作新学院高・今井達也。

 繰り上げ1位でも、千葉ロッテが桜美林大・佐々木千隼、横浜DeNAが神奈川大・濵口遥大、日本ハムが広島新庄高・堀瑞樹、広島が慶應義塾大・加藤拓也(現姓・矢崎)……現在、その多くが各球団の投手陣の一角として奮投中なのを見ても、やはり「2016ドラフト」は投手に人材が豊富だったことは7年後の結果が物語っている。

 それだけに、

「第1回選択希望選手、阪神、大山悠輔、21歳、内野手、白鴎大学」

 このアナウンスを聞いた瞬間の阪神ファンの落胆は、私にも想像できた。

 なんだ、ピッチャーじゃないのか。白鴎大学? 大山? 誰だ、いったい?

 いろんな思いが渦巻いたことだろう。

 そのあとの1位指名で、今度は5球団が田中正義投手を指名した。そんなサプライズが発生しているのに、会場が沸くどころかなんだかちょっと退いたような雰囲気になったことを覚えている。

大学時代の恩師が語った「大山の非凡さ」とは…?

 そのドラフトの半月ほど前だったと思う。

 大山選手と、やはりドラフト候補だった中塚駿太投手(西武2位→退団)の取材に、栃木県小山市の白鴎大グラウンドにおじゃましていた。

「大山みたいな右打ちのロングヒッターなんて、誰もいませんよねぇ。今年のドラフトで」

 当時の黒宮寿幸監督は、チームの選手についてはっきりと白黒つけて話す人だった。

 よいものはよい、そうでもないものはそれなりに。ありのままの評価をする方だったので、こちらも素直に聞けた。

「ウチのあんな高いネット越えられるバッターなんて、大山以外見たことないですから」

 リーグ戦も行われる白鴎大学グラウンドには、外野に50mもあるようなネットが高々とそびえる。そのネットを、打撃練習で大山選手の雄大な放物線が越えていくのを私は何度も目撃していた。

「リーグ戦でも越しますから。それに、ライトにもホームランが打てる。それも、ライナー性で。最近はセカンドの練習も始めていて、いや、これが器用にこなすんですよ」

 白鴎大時代の大山選手は、1年春から不動の三塁手。ずっとホットコーナーを守り通していた。

「あいつ、練習休んだこともほとんどないんです。僕もあいつは最初からプロに上げようと思って鍛えましたから、身体的にも、精神的にも、相当追い込んできましたけど、一度も音を上げたことないです。大山にないものがあるとしたら、全国の舞台で活躍した実績だけ。それについては、監督である自分の責任なんですけどね。申しわけないことしました」

 白鴎大の4年間、ずっとサードを守ってクリーンアップを打ち、通算16本塁打。4年生春のリーグ戦では打率.417で、リーグ記録の8本塁打をマークしたが、惜しくも全国の舞台は逃していた。

 4年の夏には、日米大学野球選手権のジャパンメンバーにも選ばれて、4番三塁手として奮戦したが、自身の打撃成績は15打数2安打。強烈なアピールには及ばなかった。

阪神が渇望していた打線の核になる「スラッガー」

 当時の阪神のチーム事情はどうだったのか。

 投手陣も盤石というわけではなかったが、それ以上に打線の核となれるようなスラッガータイプの打者に困窮していた。

 ペナントレースの多くの試合で4番をつとめた福留孝介外野手は、この年すでに39歳。外国人のゴメスが22弾、福留と原口文仁の11弾以外、ふた桁本塁打をマークした選手はいなかった。攻撃型野球を目指す金本知憲監督としても、近未来にクリーンアップの一角を託せる長距離砲を渇望していると聞いていた。

「やっぱりそうだったでしょ。上位で指名された野手って、1位で巨人の吉川(尚輝・遊撃手・中京学院大)、2位で京田(陽太・遊撃手・日本大)に、3位で立教の外野手(田中和基・楽天)。みんな、好打者タイプじゃないですか。スラッガータイプは、大山だけだったんですよ。大山の後、3人続けてピッチャー(2位・小野泰己、3位・才木浩人、4位・浜地真澄)でいってるでしょ、保険的な選手も獲ってない。タイガースはあいつに懸けてくれたんですよ。ありがたいじゃないですか。今度はあいつが恩返しする番なんです、命がけでね」

 ドラフトの少し後で、黒宮監督が涙目になって、そう語っていた。いや、ほぼ叫んでいた。

 おそらくあの時、あの会場で深いため息をついた阪神ファンたちも今は球場で、また映像の前で、大山悠輔選手の一挙手一投足に大きな歓声を上げていることだろう。

 ドラフトを巡るファンと選手の関係なんて、そうしたものであって、それでよいと思う。それは選手たちが努力に努力を重ね、ファンの期待の数百倍も数千倍も成長した証しなのだから。

(「2018年、近本ドラフト編」へ続く)

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama