2004年から06年、駒大苫小牧を率いて夏の甲子園で優勝、優勝、準優勝――。だが07年夏に同校監督を突如退任した香田誉士史52歳は今、福岡にいる。名将にズバリ聞いた。「高校球界に電撃復帰の可能性は?」〈全3回の#3/#1、#2へ〉

北海道で“駒大苫小牧以外”は「違和感がある」

――もう覚えてないかもしれませんけど、社会人野球の指導者になるとき、香田さんが「最後は北海道に戻って高校野球をやりたい」って言ってたんですよ。奥さんが北海道出身の人で、あちらこちら連れまわして迷惑をかけたのもあるし、と。今もその思いは変わっていないのでしょうか。

香田 まあ、北海道に家もあるしね。自分を育ててくれたのは高校野球だし、最後は、その高校野球に恩返ししたいという思いもある。ただ、あくまで選択肢の1つであって、縁があれば、という感じかな。

――駒大苫小牧と戦うことになるかもしれないというのも抵抗がありますか。

香田 というか、北海道で駒大苫小牧以外のユニフォームを着るというのは、ものすごく違和感があるな。駒澤大学を出て、駒澤の人間でもあるし。どこの地域の、どんなチームでもいいんだけど、イメージが湧かないというのは嫌なんだよな。

――駒大苫小牧を辞めて、鶴見大学のコーチを4年間、やっていた時代もありました。あの頃は、けっこう高校野球の監督の依頼があったんですよね。

香田 あったね。西部ガスに来てからも、コーチ時代は、そういう話はあった。監督になってからは一度もないけど。ただ、タイミング的に、その気はまったくなかったから。魅力を感じたチームはなかったかな。

――今の状況、今の心境で同じ話がきていたら、また感じ方も違っていましたか。

香田 かもしれないね。

――香田さんは高校1年生と大学3年生の男の子がいますけど、2人とも野球部の寮に入っているんですよね? ということは、場所的な制約はほぼないわけですか。

香田 ないね。うちの奥さんは、福岡暮らしがすっかり気に入っているので、単身で行くということも考えてる。野球部の寮みたいなものがあるチームだったら、そこに入れてもらってね。

高校野球を離れて15年…指導は変わる?

――高校、大学、社会人と、段階的に大人の野球の指導者を経験して、これでまた高校に戻るとしたら、指導方法は以前とはずいぶん変わりそうですか。

香田 変わる部分もあるだろうけど、根本的な部分は変わらないんじゃないかな。駒大苫小牧時代もそうだったけど、結局は、選手とどれだけ長い時間をともにして、ぐちゃぐちゃになったりしてさ、できるかだと思うんだよね。そういう意味でも、寮みたいなのがあるチームの方がいいかなという気はするんだよね。

――香田さんが高校野球を去ってから15年が経過し、高校球界もかなり大きく変化しました。投球過多への意識もさらに高まりましたし、この夏も話題になりましたが丸刈りの高校もぐっと減りました。香田さんが高校野球をやるとしたら、やはり頭髪はもう自由にしますか。

香田 ああ、ありだと思ってる。

大阪桐蔭論…「対戦してみたい」

――これも大きな変化のうちの1つだと思うのですが、大阪桐蔭という、圧倒的な強さを誇るチームが出現しました。大阪桐蔭の西谷(浩一)監督は、香田さんに対して「勝ち逃げはずるい」って言ってたんですよ。駒大苫小牧は2005年夏の準決勝で、辻内(崇伸=元巨人)、平田(良介=元中日)、中田(翔=巨人)がいたスター軍団の大阪桐蔭と当たって、6−5で競り勝ったんですよね。大阪桐蔭はあの敗戦を糧にして、ここまでの地位を築き上げたんですよ。西谷監督も「あの試合で勝たせてやれなかったことで考え方が変わった」と話していました。

香田 (今の大阪桐蔭と)対戦してみたいな、と思ってたよ。否定的な意味ではないけど、この絶対感というか、ブランド感みたいなものを壊してやりたいな、って。結局、大阪桐蔭とは1回しか戦ってないんだよね。でも、あのときのイメージとはぜんぜん違うもん。すごく細かいし。選手だけを集めてやってるわけじゃない。すごく鍛え上げてるよ。

――今の大阪桐蔭は、二言目には「選手を獲り過ぎ」と言われてしまうんですけども。

香田 それは負けている人間の言うことだから。

――香田さんが駒大苫小牧にいた頃も相当、言われてましたからね。道内の人から「獲り過ぎだ」と。

香田 そんなこと、言われてた? 獲り過ぎてはないと思う。

馬淵史郎論…「カラオケにも行ってね」

――去年、仙台育英が東北勢として初めて勝ったというのも、大きなニュースになりました。ただ、個人的には、初めて優勝旗が白河の関(福島)を越えたという表現は違和感を覚えましたね。2004年、優勝旗はすでに北海道までいってるわけですから。陸路で越えたのは初めて、という解釈だったようですが。

香田 そうか。おれらも陸路で帰っておけばよかったのか。いや、でも、あの監督さんはたいしたもんだよ。

――この夏は、大阪桐蔭が大阪大会で敗れ、高校野球の古いイメージを一新した慶応が勝ったことで、高校野球の大きな潮目になるのかなと思っていました。そうしたら、U-18ワールドカップでは明徳義塾の馬淵史郎監督が率いる日本代表が初優勝を飾りました。ある意味、今風な自主性を尊重するのとは正反対の監督ですよね。「おれの言う通りにやれ。おれが勝たせてやるから」という。そういう監督が勝つというのもおもしろいですし、高校野球の多様性を感じますよね。

香田 ああいう人がジャパンの監督になっているのも嬉しいよね。2005年、日本代表のスタッフが全滅したことがあったんだよ。馬淵さんが監督で、おれと岡山城東の山崎(慶一)さんがコーチだったんだけど、全員不祥事があって辞退したの。そんなこともあっただけに嬉しいよね。馬淵さんとは一回、北海道で練習試合をしたことがあるんだよね。試合のあと、一緒に酒を飲んで、カラオケにも行ってね。「史郎ーっ!」って絡んだら、「あ?」って言われたんだよな。

名門か、無名校か…

――先ほどイメージが湧かないチームは嫌だと話していましたが、今、どういうイメージなら持てるのですか。

香田 そこもまったく白紙だよ。名門と呼ばれるようなチームでやるのもやり甲斐があるだろうし、そのまったく逆の無名のチームというのも魅力だし。

――ただ、社会人野球は学生野球と比べると、練習環境がすごく恵まれているじゃないですか。西部ガスも、こんなにきれいな人工芝のグラウンドがあって。それを経験してしまって、また決して潤沢とは言えない環境で野球をすることって、できるのでしょうか。

香田 このグラウンドでやってると、ボールがさ、真っ黒にならないんだよね。しかも、めちゃめちゃいいボールなのに、もうティーバッティング用のボールに回したりしてさ。だから、そうなったら、その感覚は戻さないとダメだよね。でも、それはぜんぜんできると思ってる。駒大苫小牧もそうだったけど、もともとは、そういう何もないようなところから始めた人間なんだから。

〈第1回「香田誉士史の今」、第2回「香田誉士史は慶応の優勝をどう見たか」編からつづく〉

文=中村計

photograph by Kei Nakamura