先日、韓国人プロゴルファーのイ・ボミ(35歳)が13年間の日本ツアー生活にピリオドを打った。引退試合となった国内女子ツアー「NOBUTA GROUPマスターズGCレディース」の初日1番ホールには、その勇姿を一目見ようと多くのギャラリーとファンが会場に集まっていた。

 応援グッズとして販売されていたピンクのTシャツやマフラータオルには「イ・ボミ ありがとう」のメッセージがプリントされ、ファンたちはそれを着用して応援。イ・ボミは、上田桃子と小祝さくらと同組でスタートした瞬間から感極まって涙を流していたが、様々な思いが込み上げるのはよく分かった。

日本ツアーを席巻した“強すぎる韓国勢”

 2011年の初参戦からツアー通算21勝。2015、16年には賞金女王に輝き、男女ツアー合わせて初めて年間獲得賞金2億円を超えるなど日本ツアーで数々の記録を残した。

 イ・ボミが日本ツアーに参戦した当時、日本人選手で注目されていたのは横峯さくらや有村智恵といった面々だった。すでに宮里藍は米ツアーを主戦場にしており、強い輝きを放つ新たなスター選手を待ちわびている状況でもあった。

 同時に李知姫や全美貞と長く日本で活躍してきた韓国人選手だけでなく、2010年には参戦初年度のアン・ソンジュがいきなり賞金女王をかっさらった。そこに韓国ツアー賞金女王のイ・ボミも加わり、1年目からシードを獲得、2年目の2012年に初優勝を含む3勝で賞金ランキング2位に食い込み一気に知名度を上げた。

 日本人選手の対抗馬として森田理香子(2013年賞金女王)らが期待されたが、“ヒール”の雰囲気が漂うほど韓国勢の強さが際立ったことで、「女子ツアー人気はこのままでは低迷していく」といった声も少なくなかった。その流れを変えたのがイ・ボミの人柄だった。

 ショットメーカーと言われるほど精度の高いショットが売りで、ゆったりとしたスイングは多くのアマチュアゴルファーが参考にしたほど。特にアイアンは狙ったところに打てばかならずそこに落ちると言われるほどで、周囲の選手たちに「勝てない」と思わせる雰囲気が漂っていた。しかし、実力に加えクローズアップされたのはイ・ボミがプレー中に魅せる笑顔やファンサービス。韓国人選手の記事をほとんど扱わなかったスポーツ紙や雑誌も、「イ・ボミ」を境にその報道姿勢を大きく変化させた。

来日当時はファンと食事会も実施

 会場を訪れたファンが自分のために待ち続けるのは申し訳なさすぎると、サインなどのファンサービスを徹底していたことや、来日したばかりの頃は数人のファンと食事にいくこともあった。

 初めて会った人の名前を覚えようと努力し、プレー中には笑顔を見せ、カメラを向けられれば手を振って返し、声をかけられたら会釈する。真剣勝負のプレー中でもムッとしたような表情を見せることはほとんどなく、常に笑顔でいるイメージが定着した。とにかく人に好かれる要素を持ち合わせていた。イ・ボミに対して“究極の人たらし”という表現を使ったことがあるが、あながち間違ってはいないと思う。

「これは私の元々の性格で、両親から譲り受けたもの。両親が人に接する姿を見て自然と身に付いたんです」とイ・ボミは言う。

 2014年に他界した父・ソクチュさんについて、娘のボミは「ものすごく明るくて、家族を笑わせるのが好きな人でした」と話していた。母ファジャさんは明るくパワフルで、イ・ボミを見ていると母の血筋をちゃんと譲り受けたなと感じたものだった。ファジャさんは会場に訪れる日本のファンクラブのメンバーとの交流や関係者にも気配りを欠かさない人だった。

 百歩譲って“親譲りの性格”だとしても、支えてくれる人たちを大切にする一つひとつの行動は、日頃からある程度、意識していないとできないことだろう。そうした姿勢はライバルである多くのツアープロにも伝わっていたと思う。

 驚いたのは「NOBUTA GROUPマスターズGCレディース」2日目終了後、サプライズで行われたイ・ボミの“引退セレモニー”だった。大会出場108選手のうち、50人以上の選手や関係者がクラブハウス内に集まり、ピンクの応援Tシャツを着て花束を手渡し、涙を流す光景は日本での出来事とは思えないほどだった。

 イ・ボミの現場マネージャーの李彩瑛(イ・チェヨン)さんは「ほとんど話したこともないプロも残っていたんですよ」と驚いていた。俳優で夫のイ・ワン氏も「これだけ多くの日本の選手たちが残って、花束やプレゼントを渡したりする姿はとても不思議でした。一つ言えば、みんなライバル。韓国ならこういうことは起こるだろうかとも思いました。どれだけ愛されていたのかを改めて知りました」と話した。

 その中には予選を通過し、翌日に試合を控えている選手もいたわけだが、それでも先に帰らず、イ・ボミがホールアウトする夕方まで待っていた。日本の選手たちが一人の韓国人選手のために祝福する姿を見て、それだけ影響を与えた選手であると改めて知ることができた。

イ・ボミが後悔する“ライバル”との交流

 そんな愛されたイ・ボミだが、後悔もあるという。

「もっとたくさんの日本の選手たちと交流する機会が持てればよかった。そもそもツアーで戦っている同士ですし、試合が終わってからは翌日に備えてそれぞれ過ごす時間やスタイルが違います。私もチームで動いていたので、他の選手とご飯に行く機会はなかったんです。それに私がそもそも積極的に交流するタイプかと言われれば、そうでもなく。近寄りがたい雰囲気があったのかも(笑)。お互いに気を使って遠慮する部分は大いにあったと思います」

 ツアーで戦う中で会話を交わしたり、一緒に写真を撮ったりする過程で仲良くなる選手はたくさんいたが、意外にもほとんど選手同士で食事に行ったことはなく、私的な交流もほとんどないと話していた。実際、全盛期の頃のイ・ボミは指定練習日のラウンドもほぼ1人で回ることを徹底していた。プロとして戦う姿勢が、少し近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのかもしれない。

 それでもイ・ボミの“キラキラ”した姿に憧れた選手たちは多い。JLPGAオフィシャルのインスタグラムには、引退するイ・ボミに向けてのメッセージで「強くてかわいい姿に憧れていた」と告白したり、様々なエピソードを語る選手がたくさんいた。

 ツアー通算3勝の“プラチナ世代”吉田優利は「テレビでジュニアの頃から見ていて、ずっと憧れでした。強くてかわいいボミさんが大好きでした」と話していた。

 20歳の竹田麗央は「小学生の頃にボミさんを見てプロゴルファーになりたいと思いました」と語り、21歳の佐久間朱莉も「私もボミさんに憧れてゴルフを始めました」と話す。さらに今季4勝の19歳、櫻井心那も「ボミさんに憧れてプロになろうと思いました」と告白した。

 昨季2勝の20歳、川崎春花は「小学生の頃にいただいたサインを今も部屋に大切に飾っています」。また21歳の仁井優花は「中学生の時に写真を撮っていただきました」とメッセージを残していた。23歳の上野菜々子も「アマチュアのころボミさんの真似をしてパターを買った」という逸話を披露していた。

 いずれもイ・ボミの姿を見てゴルフを始めた世代。プロになったあと直接的な交流はなくても、特に20代の選手たちにとってはプレーと笑顔で大きな影響を与えた選手だったことがよくわかる。

受け継がれる“ボミイズム”

 もちろんイ・ボミとしのぎを削った同世代の選手たちも、日本ツアーへの貢献度の高さを肌で感じていた。

 同い年の菊地絵理香は「ボミがいたおかげで日本ツアーが盛り上がって、みんながんばれたと思います」とメッセージを送っていた。ツアー通算7勝で2019年に引退した佐伯三貴は「13年前に来たときはすごくかわいくて、ゴルフがうまくてやきもちを焼くくらいうらやましかった。日本のゴルフ界のために多大なる貢献をしてくれた」と振り返る。2019年賞金女王の鈴木愛は「何度か優勝争いしたこともあるのですが、本当に強いと思った選手の1人です。絶対に勝てないなと思った試合が何度もあったので、私も練習をもっとがんばろうと思えました」と話していた。

 有志プロが集まったサプライズセレモニーを見ながら感じたのは、人の心を動かすことに、人種や国籍の壁は必要ないということだ。特に158センチと小さな韓国人選手が、多くの日本人の心をわしづかみにした。それは積極的な交流を意識的にしたわけでなく、人として大切なことをイ・ボミが行動で示し、実践しただけのことかもしれない。

 ちなみに最近、現場に行くと人気プロの吉田優利などファンサービスを積極的にする選手が増えていることにも気が付く。日本の女子ゴルフ界に根付いた“イ・ボミイズム”は、次の世代にしっかりと受け継がれている。

文=キム・ミョンウ

photograph by Wataru Murakami