W杯アジア2次予選ミャンマー戦の勝利で、国際Aマッチ7連勝としたサッカー日本代表。森保一監督率いるチームはカタールW杯を経て、どんな命題をもって向上しようとしているか。キャプテン遠藤航や堂安律、三笘薫の言葉から推測する。

 夢と希望が詰まった現日本代表の生き様(=HOW)がようやくハッキリした。これは、大きな意味を持つ。

 今の日本代表には「W杯優勝を目指す」という目標がある。

 では、そのためにどのようなサッカーをするべきなのか。その方法論(=HOW)に関する説得力は十分ではなかった。

 一応、キーワードはある。「カメレオン」のようなサッカーだ。端的に言うと相手、試合展開によって〈臨機応変〉に戦い方を変えるべきだということ。

 これは確かに、日本がどのように戦うべきかの説明にはなっているのだが、国民全体に浸透した表現とは言い切れない。詳しくは後述するが、国民を熱狂させることも、W杯優勝を成し遂げるためのパワーになるから、今のままでは物足りない。

ブラジルW杯までの熱狂と今を比べると…

 日本代表の歴史をひもとくと、最終的な結果はともかく、国民が熱狂に包まれていた時期はあった。たとえば、2014年ブラジルW杯までの期間がそうだ。

 どんな相手でも「自分たちがボールを支配して、守備を崩していく」こと。それが「自分たちのサッカー」だと本田圭佑を筆頭に選手から発信していた。

 日本代表が常に強者のサッカーをやっていく。そのメッセージはわかりやすく、だからこそ人気が高まり、ライト層のファンにも多くの選手たちの顔と名前、キャラクターが認識されていた(ただ、それがW杯グループリーグで1勝もできずに敗退という惨憺たる結果で終わり、バブルがはじけるかのように人気はしぼんでいくことになったのだが……)。

〈臨機応変〉に戦うべきだと日本代表を構成する監督や選手たちが考えるようになったのは、あの頃と比べて進化していると見て間違いない。それなのに、当時と比べてインパクトで劣るという状況は何とも歯がゆいのではないか。

遠藤航が口にした〈主体性〉というフレーズ

 そんなジレンマに包まれていた矢先のことだった――。

 2026年北中米W杯に向けた予選が始まるタイミングで、キャプテンの遠藤航が語った言葉は、夢や希望を与える無限のポテンシャルを秘めている。

 これからの日本代表におけるキーワードとなりえるもの。それは〈主体的〉というフレーズだ。

 遠藤はこう語っている。

「大事なのは、相手どうこうというよりは、常に自分たちにフォーカスを当ててやっていくところです。親善試合も含めて、自分たちの戦い方として『主体的』がテーマになっています。

 主体的を具体的にどう表現するかというと、プレッシャーのかけ方、ボールの動かし方だったりを相手によって変えてやっていくことで……」

 遠藤は今回の代表活動が始まる前、自身のオウンドメディアである「月刊 遠藤航」で、「『臨機応変』さが日本人の一番の良さだと思っている」と話していた。

遠藤が「敵地ドイツ戦での4−1」を例に挙げた理由

〈臨機応変〉〈主体的〉という言葉は、一見すると相反するもののように思える。

 もちろん〈臨機応変〉に戦い方を変えるのは決して悪いことではない。ただ、「自分たちのサッカーはこれだ」と定義することこそが〈主体的〉なのではないだろうか。

 そんな疑問をぶつけると、遠藤はよどみなく答え始めた。

「主体的と言っても『自分たちがボールを持つ=主体的』だとは思っていないので……」

 解説はこう続いていった。

「(カタール)W杯で言えばクロアチア、モロッコは『しっかりと守備をすることで、主体的にゲームを進める』感じでした。ブロックを引くことも、何も別に問題ないと思ってやっていたというか……。

 そういうことを自分たちのゲームプランの中でやっているのであれば、主体的だと言えると個人的には思うので」

 遠藤が例に挙げたのは、9月に行われたドイツ代表とのアウェーゲームについてだった。4バックでスタートして前半を2−1で折り返したあと、後半途中から5バックにしてカウンター狙いへとシフトチェンジ。後半の終盤に思惑通り2点を加えて、4−1で勝利をつかんだ試合だ。

「ドイツ戦の前半は(ディフェンスライン)4枚で、もっと前にどうやって行けるのか。そういったプレスのかけ方で、自分たちが主体的にアクションを起こしました。後半は5枚にして、こちらも主体的にブロックを引くゲーム展開を作って、カウンターで仕留めた。

 だから臨機応変と主体的、相反する言葉を使っているように見えるかもしれないけど、自分の中では、それはすごくマッチしているんです」

 この〈主体的〉という言葉こそが、次のW杯までの2年半の大きなキーワードにしていくべきものだろう。

では、2010〜2022年W杯はどんなテーマだった?

 では、過去はどんなキーワードを持って日本代表は挑んでいったか。2010年以降のW杯における日本代表のテーマと概要を振り返ってみよう。

 ★2010年:〈勝利〉にフォーカス★

 岡田武史監督就任当初はハイプレスのサッカーを目指していたが、思うような成果が出ず、大会直前に戦い方を大きくシフトチェンジ。中盤に5人の選手を横一列に並べてスペースを消す4-5-1の守備ブロックを作り、1トップにはトップ下が本職の本田を配して、勝つ確率を上げるための守備的なスタイルで決勝トーナメント進出を果たした。

 一方、南アフリカ大会後に、今度は攻撃的なサッカーをしたい、と主力選手が志向するようになっていった。

 ★2014年:「ボールを支配して相手の守備を崩す」という〈スタイル〉へのフォーカス★

 2010年W杯をポゼッションサッカーで制したスペイン代表のような〈スタイル〉こそが攻撃的だと定義して、そこに向かっていった。今になってみれば――当時はまだ、それを実行するだけの個人・グループ・チームの戦術レベルにはなかった。さらに世界的に見ても、攻守のトランジションの高速化にトレンドが変遷していたと冷静に振り返ることができる。

 ただ、このチームには周囲の人を巻き込む力がある本田がいた。そのメッセージ性の強さから、多くの人がその点を見逃していた。

16強のロシア、カタールW杯でフォーカスしたものは?

 ★2018年:勇気を持ってアクションを起こしていく〈マインド〉で世界と戦うことにフォーカス★

 2015年に就任したヴァイド・ハリルホジッチ監督は日本サッカーに多くの学びを与えた。しかし、そのチームマネージメント力は壊滅的で、最終的にはチームの大半が拒否反応を示し、大会直前にその座を追われた。ハリルホジッチ監督にノーを突き付けた選手たちは、その行為と引き替えに日本代表のユニフォームを背負うことに意義や責任を自覚した。

 そして、本大会前の限られた時間のなかで、キャプテンの長谷部誠を中心に、戦術面の整備を進める過程で、日本代表とはどうあるべきかについても突き詰めていった。

 最後は時間稼ぎのためにボールを回すだけだったポーランド戦翌日のミーティングで主力選手が涙を流したのも、2−2で迎えたベルギー戦の後半アディショナルタイムのCKで選手がリスクを背負った代償としてカウンターを受けて失点したのも、勇気を持って自分たちからアクションを起こしていく〈マインド〉がチームにしっかり刻まれていたからだろう。

 ★2022年:〈勝利〉にフォーカス★

 一時は、若手選手から警鐘が鳴らされるばかりか、日本国内にあきらめムードすら漂っていた。ただ、ドイツとスペインという、W杯優勝経験国(世界に8カ国しかない)と同居したことで、劣勢を強いられるのを前提にした上で、いかに〈勝利〉を目指すかにフォーカスできたことがグループリーグ突破の主要因となった。

「2010年の時に似ているのでは?」と問われた堂安は…

 こう振り返ると現在の状況は10年ほど前、2010年南アフリカW杯後の状況に似て見えるのかもしれない。ただ、多くの選手は冷静かつ、“大人”になっている。実際、カタールW杯最後の試合となったクロアチア戦を終えた直後に、当時滞在していたホテルで、求めるべき「理想」について選手たちは語り合っていたのだから。

 クロアチア戦翌日、同大会で2ゴールを挙げた堂安律に「この状況は2010年のときと似ているのではないですか?」と問うと、彼はこう答えていた。

「もちろん、理想を求めて(なおかつ)勝ちたいです。僕たちには良い選手が揃っていますし。ただ、昨日もホテルで選手たちと話しましたけど、やはりあの時の例が挙がっていた。『南アフリカが終わってからの4年間、本田さんを先頭に、理想を求めて……(ブラジルW杯で)敗退した』ということは、経験している選手たちが話してくれた。

 だからこそ、この大会で見せた粘り強い守備とかは、少し理想とは程遠いかもしれないですけど、それはベースとして持っていないといけないです。そして、そのベースを持ちながら、理想を追いかけるというのが良いかなと思っています」

三笘が語った「どの相手にも勝てる可能性がある以上…」

 そうした紆余曲折を経て、日本代表は今、何にフォーカスすべきなのか。

 現在の日本代表は、全会一致に近い形で「W杯優勝」という目標を掲げてはいる。ただし、そのための方法論(=HOW)が、これまではメッセージとしては弱かった。〈臨機応変〉というキーワードはあったとはいえ、この言葉だけでは国民に夢は見せられないため、この設定に至った側面もあるのだろう。

 ただ、忘れてはならないことがある。現チームが掲げている「W杯優勝」はとてつもなく大きな目標である。

「どの相手にも勝てる可能性がある以上、そこ(*W杯優勝)を目指すのは普通かなと思いますし、その上で、(初の)ベスト8が通過点になればいいかなと思います」

 思慮深い三笘薫がそう語るように――荒唐無稽ではないものの、実現するのは簡単ではないことは自明だ。

 それを踏まえれば、実現させるためには色々な人を巻き込んでいかないといけない。巻き込むことで、各選手の言葉には責任が生まれ、その責任は彼らにさらなる自覚を促す。また、ファンに夢を見せることで一層、人気がふくらむ。すると、その人気が期待となり、期待を背負うことが選手の誇りにつながる循環が生まれる。

 日本国民に夢を見させることは、直接的に「W杯優勝」にはつながってはいないだろう。それでも、巡り巡って選手やチームの強さにつながるのだ。

臨機応変に戦いつつ、主体的に主導権を握る

 その意味で〈主体的〉というのは、26年W杯を目指すチームの大きなテーマになる。

 もちろん、相手によって、シチュエーションによって戦い方は変える。

 例えば、守備を固めているときでも、相手にあえて攻めさせつつ、反撃していくためにどうすればいいのかを事前に考え、実行する。もちろん、ボールを支配して相手の守備を崩すことが最善なら、それを実行する。

〈臨機応変〉に戦いながら〈主導権〉を握るのはいつも、自分たち。相手がワールドチャンピオンであろうと、それは変わらない。

 そして、それこそが日本代表チームが掲げるべき「シン・自分たちのサッカー」ではないだろうか。

文=ミムラユウスケ

photograph by Kiichi Matsumoto