プロ野球の日本シリーズが幕を閉じ、ストーブリーグの熱も高まって来る12月。メディアで目につくのは盛者たちの輝かしい顔ばかりだが、その裏では最高峰の世界から去っていく選手もいる。

 38年ぶりの日本一に輝いた阪神タイガースの、高山俊と北條史也。ともにドラフト上位で指名され、虎の「顔」となることを期待された両選手も今季で縦縞のユニフォームを脱いだ。鳴り物入りで入団し、いまでもファンも多い彼らのプロ生活のリアルは、どんなものだったのだろうか?(前後編の前編・高山俊編/後編・北條史也編を読む)

 プロ野球のシーズンオフは、まさに「明」と「暗」だ。

 朝、スポーツ新聞を開く。メジャーに進む選手の途方もない年俸の数字、ドラフトされプロに進む選手たちの入団発表、そして、優勝チームの凱旋パレード……きらびやかな記事が大きな活字で報じられるその下のほうに目を転じれば、何年か前には同様にその動向を熱く伝えられた選手たちが、野球界から去っていく報せが、ひっそりと伝えられている。

 盛者必衰――世の常とはいえ、毎年のこととはいえ、やはり、接するたびに胸に来る。

夏に阪神のファームで見た「ある選手」

 この夏、近畿地方の甲子園予選を回っている最中だった。

 阪神タイガースのファームの本拠地・鳴尾浜球場に出かける機会があった。

 ウェスタン・リーグ公式戦、阪神の相手チームに、どうしても見たい(会いたい)選手がいた。

 この日、阪神ファームのスターティングメンバーは、ほぼ「ベスト」と思われる顔ぶれ。ファームの試合にベストがあるのか、あっていいのか。そのへんは諸説あるところだろうが、リードオフマンを成長株のルーキー・井坪陽生(関東一高)がつとめ、3番・高山俊、4番・井上広大、5番・板山祐太郎がクリーンアップを組む打線なら、捕手が外野を守ったり、メンバー編成すらままならないような球団にとっては、うらやましいかぎりであろう。

 試合前のバッティング練習。

 高山俊選手の打球が、鋭いライナーになって、センターへ、右中間へ、左中間へ、続けざまに飛んでいく。

 ほぼ、ジャストミート。ドラフト1位でプロに入って8年、一軍経験もすでに450試合以上あって、300本以上の安打も放っているバットマンの打撃練習をほめては失礼なのかもしれないが、目を奪われるような、鮮やかなバットコントロールなのだから仕方ない。

 この試合、3番・高山俊は2安打を打ち、1本はタイムリー。

 高山選手の一軍経験からすれば、当たり前ぐらいの「結果」だったと思うが、それ以上の感慨はなかった。というよりは、それは「いつもの感慨」でもあった。

「サラッと走って、サラッと投げていた」大学時代の高山

 日大三高、明治大学……私は高山選手のプレーをいったい何試合見てきたろうか。プロ野球に進んでその頻度は減ったが、それでも彼が一軍で活躍した年には現場で、テレビで、5、6試合は見ていた。

 そのたびに、思うのが、「いい選手だなぁ」というボンヤリとした感慨。「ウワッ!」とびっくりしたことがなかった。

 高校、大学時代も、遠投120m、50m5秒台……強肩・俊足のふれ込みだったが、強烈に印象づけられる場面がなかった。

 たとえば、試合前のシートノック。それだけ飛び抜けた身体能力があるのなら、もっとネット裏のスカウトたちに見せつけてやればいいのに……身体能力が貧しくて苦労した者から見たら、もったいなくて、じれったくて、仕方なかった。サラッと走って、サラッと投げて済ませていたように見えたのは、それだけ自信があったからなのだろう。

 東京六大学の通算安打記録を塗り替えたほどのバットマンだ。絶対スゴいはずなのに、バットを振りきったあとの高山選手に、凄みを感じたことがなかった。

 高山選手のバッティングでスゴいと思ったのは、インパクトまで。スイング軌道が入っていけないコースがないほどの絶妙なバットコントロールで、抜群のジャストミート能力。そこまでは「凄い!」のだが、ジャストミートまでで、スイングをやめてしまっているように見えた。インパクト以降のもうひと押しがないから、びっくりするような飛距離や弾丸ライナーは見られなかった。

 もちろん実際はそんなことはなかったのかもしれない。だが、あまりに高すぎる技術が、本来にじみ出るはずの「凄み」を消してしまっているように見えた。

「上手さ」は抜群。それでも高山に足りなかったものは…?

 そして、久しぶりに現場で見た今日、鳴尾浜の高山俊選手も、そういうふうに見えた。いかにも彼らしく、“上手く”打ってみせた。

 昨年の夏、自打球で右ひざのお皿を骨折していたせいもあったのかもしれない。バットのさばきが見事だった分、踏み込んだ右足に力強さが感じられないように見えた。

 いつの時だったか忘れたが、明治大当時の高山選手をご指導された善波哲也監督が、こんなことをおっしゃっていたのを思い出した。

「私、高山が学生野球でなんとかやっていけるぐらいのことは教えられたのかもしれないですけど、もしかしたら、それ以上のことは何も指導できてなかったのかもしれませんね……」

 学生時代の高山選手のあれこれを思い起こすように、しみじみとした話され方だった。

 プロ入り以降の「バットマン・高山俊」を構築するのは彼自身であり、その手助けをするのは、球団の指導者たちであろう。プロ8年間の努力……それが、必ずしも結果や栄光につながらないのも、「プロ」という世界のある種の「理不尽さ」なのかもしれない。

 来季からは、イースタン・リーグに新規参入するオイシックス新潟アルビレックスBCに入団する。もう一度NPBの舞台に返り咲くことはできるだろうか。

(後編・北條史也編に続く)

文=安倍昌彦

photograph by Yuki Suenaga