安堵を含んだ笑顔だった。

 フィギュアスケートのNHK杯に出場した三原舞依は、穏やかな表情を浮かべていた。

 昨シーズンはグランプリシリーズで連勝し、初めて出場したグランプリファイナルで初優勝を遂げている。世界選手権にも6年ぶりに出場を果たし、5位で終えた。

開幕前日には多くを語らなかったが…

 迎えた2023−2024シーズン、9月から10月に開催された近畿選手権を欠場し、10月のフィンランディア杯も欠場。11月上旬の中国杯も、右足首の怪我が完治していないことから大会直前に欠場を発表した。出場機会がゼロのまま進むシーズンは、容易ならざる状態を想起させた。

 そしてようやく叶ったシーズン初戦がNHK杯だった。

 開幕前日、三原は言った。

「(怪我のことは)詳しくは言わないでおこうかなと思っているんですけど」

 このときには多くを語らなかったものの、やはり深刻であったことが、大会が進むにつれて明らかになっていく。 

演技前に右足を叩いた「アドレナリンと痛み止めで…」

 11月24日、ショートプログラムを迎える。曲は『To Love You More』。

 冒頭のダブルアクセルを成功させると、トリプルフリップ−ダブルトウループと続き、トリプルルッツは回転不足となったものの着氷。得点は62.82点、4位で終えた。

 演技がスタートする前、三原は右足をたたいていた。その場面をこう振り返る。

「『耐えろよ』って。滑っているときは、アドレナリンと痛み止めで何とかする、という強い気持ちをもって滑ることができました」

 痛みを抱えつつ、懸命の滑りであったことが如実に表れていた。

 翌日のフリーは『ジュピター』。冒頭で、ダブルアクセル−トリプルトウループのコンビネーションジャンプを着氷する。

 その後の滑りでは、本来のスピードを出し切れない場面があり、ときにミスも出た。しかしショートプログラム同様、懸命の滑りを見せ、万全にはほど遠い状況にありながら、スピンとステップはレベル4でまとめた。

 演技を終えると、三原は場内の大きな歓声に包まれた。得点は109.82、総合では172.64点で8位。

コーチからの言葉「痛い中で…さすがだなと思います」

 試合を終えた三原は、笑顔だった。

「どんな状況でも滑りは落としたくないですし、その日、その日のコンディションで最大限の練習ができるようにしてきました」

「フリーではスピンもステップもレベル4がとれて、やってきたことが間違いではなかったと思うことができました」

 三原がショート、フリーを滑り終えたあと、中野園子コーチは、夏の終わりから痛みが出てきて練習を積み重ねることができなかったこと、「大会の1週間ほど前まで歩くのがやっと」の状態であったと明かしている。そのうえで、労いの言葉をおくった。

「今日もさすがに痛い中で、いろいろな経験をいかしてまとめましたので、さすがだなと思います」

 NHK杯までの状況を考えれば、まさに渾身の、現時点ではこれ以上はない演技を披露することができたことが、中野コーチの言葉に表れている。

 三原も言う。

「練習が積めていない中で最後まで滑れたのは、十数年間スケートをしてきた経験だと思います」

 そして続けた。

「『こういうときはこうして』みたいなのを試合前に考えることがいつも多いんですけど、フリーは4分間の中でいろいろなことを考えながら、ケースバイケースで滑ることができました」

スケート人生で初めての経験

 最初のジャンプは予定ではダブルアクセル単独だったが、「構成を変えようと思って」、トリプルトウループとのコンビネーションジャンプに変えた。さらに「最後のジャンプも変えました」というように、予定していた構成からさまざまな変更があった。事前のシミュレーションに加え、滑りながら何がベストかを考えて、演技を進行させたのだ。その力となったのは、「十数年スケートをしてきた中での経験がいきた部分」だった。

 11月に初戦を迎えるのはスケート人生で初めてだという。強化と調整の過程が大幅に変更をよぎなくされ、練習は満足に積むことができない。しかも今なお足首には痛みを抱える。

 苦難を乗り越える演技を支えたのは、自身が育んできた土台だけではなかった。三原の言葉がそれを伝える。

「練習では、自分の今の状態に落ち込んでしまうことが多かったけれど、たくさんの方が応援してくれて、6分間(練習)でもたくさんのバナーや、『頑張れ』という声が届いていました。よかった、と思ってもらえるようにと冷静に自分を保つことができました」

「三原舞依はこんなもんで終わってはいけない」

 スケート人生の中で何度も語ってきた、「会場のすべてのお客さんに届く演技を」という思い。プログラムを演じる中に、核として確固として存在する三原の信念でもある。それを貫いてきて実践してきたことを知るからこそ、観客席からの称賛と歓声という後押しもまたより大きくなったのではないか。そう考えるなら、三原を奮い立たせた励ましもまた、三原のスケート人生がもたらしたものであった。

 しかし笑顔であっても、三原は手放しで喜んだわけではなかった。

「トップレベルまで、まだまだ練習が足りてないという言葉に尽きると思います」

「あと1カ月間、死に物狂いでやっていきたいです」

 中野コーチも、「すぐに治るということではない」と語りつつ、エールをおくる。

「三原舞依はこんなもんで終わってはいけないし、どんどんできると思うので」

「あと1カ月間」――困難と向き合いつつ、でもあきらめることなく、思い描く世界を氷上に体現しようという思いとともに、全日本選手権を見据える。

文=松原孝臣

photograph by Asami Enomoto