2023年の期間内(対象:2023年9月〜2023年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ドラフト部門の第1位は、こちら!(初公開日 2023年11月4日/肩書などはすべて当時)。

 3位以内でなければ、社会人野球チーム入り――。2016年のドラフト会議を迎える前にその方針を各球団に伝えていた履正社の左腕・山口裕次郎さんは、突如日本ハムから6位で指名される。熟慮の末、18歳は指名拒否を申し入れ、JR東日本への入社を決意する――。現在は駅員として都内で勤務する本人が「その後」の野球人生を振り返る。(Number Webノンフィクション 全2回の第2回/前回は#1へ)

監督、チームメイトは応援してくれた

 山口さんの選択に、周囲も騒がしくなっていた。「社会人に行っても頑張って」といった激励も多かったが、「日本ハムに行かなかったことで、指名できるはずの枠が一つ減ってしまった。そのことに対してどう思っていますか」などの辛辣なコメントも散見された。ドラフトで支配下指名を受けながら入団を拒否した選手は2011年日本ハム1位の菅野智之(巨人)以来。山口さん以降は現在まで一人もいない。

「当時の監督や部長からは『あまり気にするな』と言われていました。一緒に野球をやってきた仲間やチームメイトは応援してくれていて、そこに対する気持ちの揺れはありませんでした」

早く結果を出したいという欲がありすぎて…

 社会人でレベルアップして、3年後にドラフト上位でプロ入り――。そんな青写真を描いて入社したJR東日本では、結果を求め、試行錯誤を繰り返していくうちに、本来の自分を見失っていった。

「納得のいかない結果が出ると『どこがダメなんだろう』と悩んで、いろいろやっていくうちに、どれが正解か自分の中で分からなくなって……。早く結果を出したいという欲がありすぎて、少しダメだった時に『このやり方は間違っているんじゃないか』って思ったりしていました」

 高校の時は「ほとんど何も考えてなかった」と振り返ったように、細かいフォームのメカニズムなど気にせずに、ただがむしゃらに腕を振っていれば結果はついてきた。ただ、社会人の打者はそんなに甘くはない。今までなら空振りが取れた変化球は簡単に見逃され、少しでも甘いコースに入れば痛打された。

映像と自分の理想とのギャップ

 フォームにも悩んだ。高3の春、大阪桐蔭を1失点完投で抑えた時のような「自分が一番ストレスなく腕が振れる位置」を探るあまり、スリークオーターからさらに下へと腕が落ちてしまっていた。

「自分の腕の位置がここだと思って投げていて、いざ映像を見てみると全然できていなかったり下がっていたり。それで、大げさに上に上げると、映像はよくなるけど、自分としては凄い違和感があるというか……。その違和感は最後まで消えませんでした」

プロどころか、来年野球ができるかどうか

 一度はまった負のスパイラルから抜け出すのは至難の業だ。特に繊細さが求められる投手というポジションならなおさらだ。最速146キロを誇った直球は、130キロ台前半まで失速。ドラフトが解禁される高卒3年目での指名はかなわず、4年目の春先には高校時代の古傷である腰椎分離症が再発した。数本の骨にはひびが入っており、投球はおろか、まともに練習することさえできなかった。

 思うような結果が出せず、5年目ぐらいからは、「プロどころか、来年野球ができるかどうか」と考え始めるようになった。そして迎えた6年目。年数で言えば、上から2番目の古株になっていた。

「JR東日本は平均的な年齢も年数も若くて、結構入れ替わりが激しいチーム。6年目になって、そろそろ肩を叩かれるかもという意識はありました」

「一緒の時期やな」…お互いに「お疲れ様」

 そしてシーズン終了後の2022年10月。監督から勇退を告げられた。入社以来、チームとして毎年出場したアマ最高峰の大会・都市対抗野球のマウンドに一度も立つことなく、現役生活を終えた。もがき苦しんだ6年間。くしくも、高校時代に競い合った寺島成輝さんがヤクルトを戦力外となり、引退を表明したタイミングと同じだった。

「成輝が引退した時に連絡しました。偶然なのか分からないですけど、『一緒の時期やな』みたいな感じで話しました。お互いがケガとか、悩んでいるところもあったと思うんですけど、最後は両方とも『お疲れ』みたいな感じで終わりましたね」

悔しい気持ちはありましたけど…

 まだ24歳と若かったが、野球の道をきっぱりとあきらめ、JR東日本の社業に入ることを選択した。

「他で野球をやろうという思いもその時はなくて、自分の実力不足で終わるなら、JR東日本で終わろうと。自ら引退はしていないので、悔しい気持ちはありましたけど、未練はありませんでした」

 11、12月と営業のトレーニングや機械の取り扱いなどの研修をみっちり行い、年明けの2023年1月から御茶ノ水営業統括センターに配属。日勤や、宿泊を伴う夜勤で御茶ノ水駅の改札業務に入り、乗客の対応に追われる多忙な毎日を過ごしている。

野球で学んだことを仕事に生かせている

「それまでずっと野球をやってきてアルバイトもしたことがなかったので、最初はどうなるのかと思いました。でもやっていくうちに野球で学んだことを生かせたというか、駅も1人だけじゃなく、全員で連絡を取り合って緊急事態などにも対応していく。野球をやっていたからこそ、いい意味で違和感なく入っていけました」

 野球から離れたからこそ、懐かしい感覚を取り戻すこともできた。たまの休日。知人に誘われた草野球で登板する機会に恵まれた。「小学生以来」という軟式ボールでの投球。もうフォームも、腕の位置も気にすることはない。本能のままに、思い切り腕を振った。「久しぶりにグラウンドに行ってグラブをつけて投げたらやっぱり楽しいですよね。でも、軟球を投げたら肩が痛いです(笑)」。投手であるがゆえ、現役の頃は控えめだった上半身の筋力トレーニングも、今では気兼ねなくできるようになった。

同じ境遇の選手に何と言葉をかける?

 仕事も軌道に乗り、野球とはまた違った充実の日々を送る。あの時、プロからの指名を断ったことに「後悔はないです」と言い切る。もし自分と同じような境遇に置かれた選手がいたら、迷わずにこう声をかける。

「周りに流されず、自分が好きな方に、行きたい方に進んだ方が、上手くいかなかったとしても後悔しないし、納得がいくと思う」と。

もしプロに行っていたら…

 ただ、「もしプロに行っていたらどうなっていたんだろう」と考えたこともあるという。2016年ドラフト高卒組では山本由伸(都城−オリックス4位)を筆頭に、今井達也(作新学院−西武1位)、才木浩人(須磨翔風−阪神3位)、浜地真澄(福岡大大濠−阪神4位)ら、多くの投手が活躍。同じ6位指名の山崎颯一郎(敦賀気比ーオリックス)は今春のWBCで侍ジャパンに追加招集、大江竜聖(二松学舎大付−巨人)は、今季32試合に登板して4勝を挙げた。

「上手くいっていたらの話ですけど、高校ではずっと先発で回っていたので、先発を任されるような選手にはなりたかったですね」

 山口さんはそう言うと、屈託なく笑った。プロの夢は叶わなかったが、悔いはない。これからも、自分で決めたレールの上を走って行く。

<前編とあわせてお読みください>

山口裕次郎(やまぐち・ゆうじろう)

1998年5月14日、大阪府生まれ。履正社では寺島成輝と同じ左腕の2本柱としてプロから注目を集める。2016年秋のドラフト会議で日本ハムから6位指名を受けるも、JR東日本に入社。2022年秋に引退。今年から御茶ノ水営業統括センターに配属され、改札業務などを行う

―2023下半期 ドラフト部門 BEST5


1位:日本ハムがドラフト6位指名もJR東日本へ…“最後の指名拒否”山口裕次郎は駅員になった 本人が明かす、その後の野球人生「どれが正解か分からなくなって…」https://number.bunshun.jp/articles/-/859901

2位:ドラフトウラ話「指名漏れを思うと当日会見は…」「調査書の数は公言していいのか」無名公立校“テレビに映らない”ドタバタ現場《ヤクルト育成2位》
https://number.bunshun.jp/articles/-/859900

3位:「あぁ、指名漏れか…」ドラフトで“最も嫌われる言葉”から一転《西武6位指名》で叫び声…“史上初でドタバタ”村田怜音の指名ウラ側「ガリバーやん!」
https://number.bunshun.jp/articles/-/859899

4位:桑田真澄が涙の訴え「巨人に行くしかないんです」KKドラフトの“悲劇”はなぜ起きたのか? PL学園スカウトが責められた「どうしてこんなことに」
https://number.bunshun.jp/articles/-/859898

5位:ドラフト指名漏れで話題「“順位縛り”は個人的に疑問です」谷繁元信(元中日監督)が持論「確かに4位以下は契約金が安いですが…」
https://number.bunshun.jp/articles/-/859897

文=内田勝治

photograph by Yu Saito