2023年の期間内(対象:2023年9月〜2023年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。スポーツ総合部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年9月25日/肩書などはすべて当時)
●おにぎり事件 9月19日(火曜) マルセイユにて
波乱のニースを経験したわれわれ取材部隊は、この地を離れる朝、各々朝の海岸へと散歩に出かけていた(日中の行動は別々である。共にするのは移動時間と、ここフランスでは大切な食事の時間です)。
素晴らしい青空だ。おお、そしてなんと、9月中旬だというのに、泳いでいる人がいるではないか!
クラゲ、出ないんですか、みなさん? わが故郷・気仙沼では、「お盆のあどは、海さ行ぐもんでね」とたしなめられていた。
ニースの海岸が良いのなんのって、たいへんなものである。怨嗟の思いしかなかったニースだが、青い空、青い海を見た私は一気に機嫌を直してしまったのである。
ニース、いいね!
「フランスでおにぎりに出会えるとは!」
そして12時02分発、パリ・リヨン駅行きの列車に乗り込んだわれわれは、列車が定刻に発車したことに驚きを禁じ得なかった。フランスに来て、初めてのことである。
定刻。フランス語で覚えましょう。à temps。もう二度と使うことはないかもしれませんがね。
さて、2時間ちょっと乗ると、マルセイユでの乗り換えである。わずか4日前、取材部隊が「地べたの二人」と化した因縁の土地である(※前回参照)。
フランスでは乗り継ぎ時間、かなりの余裕を見なければならないことを学んだ。少なくとも30分は取った方が安全だ。14時33分に到着し(到着時はやっぱり遅れた)、15時27分にトゥールーズに向けて列車に乗る。
私は重めのブランチを食べていたので、Mくんと軽食を摂ることにした。前回はCarl’s Jr.のハンバーガーだったが、今回は趣向を変えよう。
そんなわれわれの視界に入ってきたのは、コンビニ的なお店に陳列されたおにぎりだった。
嗚呼! 異国の地でおにぎりに出会えるとは!
「1個800円じゃないか!!」
「前回は、どうして気づかなかったんですかね」と、Mくんも感慨深げである。商品名は「SONiGiRi」。ラインナップは4種類だった。
THON MAYO WASABI(まぐろのマヨネーズ和え。ワサビを利かせて)
SURIMI AVACODO SPICY(魚のすり身、アボカド和え。スパイシーな味わいで)
POULET YAKITORI(焼き鳥)
ŒUF MAYO EDAMAME(玉子のマヨネーズ和え。枝豆を加えて)
私たちは買う気満々だ。
ところが、値段を見てたまげた。
4.90ユーロ! 800円じゃないか!!
フランスで2週間過ごしてみて分かったのは、ランチの価格平均は12ユーロということだ。これは高い云々というより、南仏ではこれが相場だということを肌で感じつつあった。これを日本円に計算するのは、もはや野暮になってきている。そういうものであり、それがヨーロッパの価格と思って生活するしかない。
そう考えると、ここでおにぎり2個を買っても10ユーロにしかならないわけだが……。日本に生まれて56年、おにぎりに800円を払うのは気が引けるのである。それでも……やっぱりおにぎりが食べたい! ということで、私は「まぐろのマヨネーズ和え。ワサビを利かせて」を選び、Mくんはおそらくは照り焼き風味であろう焼き鳥を選び、意気揚々と列車に乗り込んだ。
「これは、まずい」
しかし、慌ててはいけない。列車でごはんを食べるのは、動き始めてからでなくてはならない。3分遅れで発車した列車は(Mくんは「これは遅延には入りませんね」とストライクゾーンが広くなっていた。だいぶ、フランスに感化されているようだ)、静かにトゥールーズを目指す。
そしてわれわれは、おにぎりを取り出す。おお、包装をはがしていくプロセスは日本と同じではないか。まず、三角形の頂点からビニールを割く。そして左右を引っ張ると、おにぎりが登場する。食べた。
まずい。
これは、まずい。
だいぶ、まずい。
見ると、Mくんのあごの動きが止まっている。私もだ。
このおにぎりの問題は、具の部分が酸っぱすぎて、食べられたものではないことだ。ハッキリ言って、酢を食べさせられているようなのだ。
なんとか、「酸っぱいね」と話すと、それから二人とも固まってしまった。しかし、食べ始めたものを途中でやめるわけにはいかない。取材部隊は、「酢でしかない」と思われるものを胃袋に落下させるしかなかった。
なぜ、こんな味になってしまうのか?
食べ終えて、Mくんが言った。
「SONiGiRiって書いてありましたけど、これは“すにぎり”ですね」
それから、私たちはフランスの土地でおにぎりにとりつかれてしまった。
なぜ、こんな味になってしまうのか?
そしてなぜ、こんなにも高いのか?
人間、特定のものに意識が向かうと、不思議なことにどんどん情報が入ってくる。
友人であり、かつてフランスのクラブでプロサッカー選手として活躍していたMさんは、ニースで5.90ユーロのおにぎりを目撃し、それをFacebookに投稿していた。
「もはや恐怖です」
そして写真部員Mくんは、21日木曜日にマルセイユに出張に行き、22日はパリへと上京した。パリのリヨン駅に到着したMくんから、さっそくおにぎりの写真が送られてきた。
「日本語表記ありのおにぎり、シャキシャキがありました」
どうやら商品名が「SHAKI SHAKI ONIGIRI」のようだ。Mくんの報告では3.90ユーロ、送られてきた味の展開は「鳥の照り焼き」と、「サーモンクリームチーズ」。
サーモンクリームチーズ! 未到の味わいである。そしてLINEには、こう記されてあった。
「試す勇気が出ないです。もはや恐怖です」
それほど、マルセイユのおにぎりは、私たちの味覚にトラウマを残してしまったのだ。
「めちゃくちゃホンモノでした」
しかし、Mくんは見事リベンジを果たすことになる。
生まれて初めて花の都パリに上ったMくんは、凱旋門を観光したあと、さる信頼できる情報筋からもたらされた情報の確認に向かった。
パリには、日本と同等の極上のおにぎりがある――。
なんとそれは「おむすび権米衛」だった。
東京西部、吉祥寺、武蔵小金井、そして立川にも店舗を構えるあの権米衛ではないか。Mくんが訪ねたのは「権米衛 パリ・パレロワイヤル店」である。
Mくんからの写真付きの報告は、私を驚愕させた。購入したのは3種で、サーモン、高菜、そして昆布である。
まがいものとは違う。スパイシーとか、枝豆とか、余計なものが入っていない。それを食したMくんは「めちゃくちゃホンモノでした。具沢山でした!」と大絶賛である。
そして私は送られてきたレシートに驚いた。
高菜は2.8ユーロ。サーモンと昆布は2.5ユーロなのだ!
安い。すにぎりの6割程度ではないか(※2.5ユーロ=約400円)。
これでMくんはおにぎりのトラウマから解放された。
本物はパリにあったのだ。
「大きい! 具が多い!」
そしてアイルランドと南アフリカが死闘を繰り広げた翌朝(この試合は傑作中の傑作で、私の現地取材経験試合としては五指に入る)、ついに私はパリの権米衛を訪れた。
ショーケースに美しくおにぎりが並んでいる! 私は5種6品を頼んだ。
高菜
鮭
梅干し
昆布
ピリ辛唐揚げ
お値段は、昆布とピリ辛唐揚げが2.50ユーロで、残りは2.80ユーロ。
もはやフランス物価慣れした私には、これだけでも感激である。
Mくんに分けようと、「箱をもうひとついただけませんか?」とお願いすると、お店のお兄ちゃんが「10ユーロするけど、いいかな?」と言ってきたので目を剥くと、「冗談、冗談!」と笑ってくれた。
リヨン駅でMくんと待ち合わせし、権米衛弁当を分ける。列車が遅延したので、ここで食べてしまおう。
大きい!
具が多い!
そして、これはおにぎりに相違ない、相違なし!
南仏から始まったおにぎりをめぐる旅は、パリで大団円を迎えたのだった。
<《現地の物価高》編から続く>
文=生島淳
photograph by Getty Images