2023年の将棋界は藤井聡太八冠の誕生を筆頭に歴史的なトピックが数多く起きた。その1年について、叡王獲得経験のある高見泰地七段と藤井将棋の妙手を振り返りつつ、名棋士たちの素顔、そして自身の抱負についても聞いた。(棋士の段位・肩書は初出以降省略。全4回の第1回/第2回、第3回、第4回も配信中です)

 WBC優勝にバスケットボール、バレーボールW杯など日本代表の奮闘、三笘薫や北口榛花らといった世界の強豪相手に戦うアスリートの活躍が顕著だった2023年、将棋界も歴史に大きく刻まれる1年となった。

 その中心軸は藤井聡太竜王・名人であることに異論はないはず。

 棋王戦での六冠のち最年少名人と七冠獲得、さらには2022年時点で手にした5つのタイトルを防衛しつつ、8月末から10月にかけて行われた王座戦で永瀬拓矢九段との激闘を制して――八冠達成を果たした。

 未来を読む天才たちが集う盤上の世界において、なぜ藤井将棋はさらにその先を進んでいるのか……ABEMA中継などでの解説が好評な人気棋士・高見泰地七段と、2023年の〈神の一手〉と将棋界全体を振り返っていこう。

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逆転の〈6四銀〉が素晴らしかった理由とは

――藤井八冠は2023年も、様々な妙手でファンを楽しませ、驚かせてきました。

「渡辺明九段との名人戦・棋王戦でも進化を感じましたし、八冠を達成した永瀬拓矢九段との王座戦では、壮絶な逆転劇を目の当たりにしましたよね。その中で今回は王座戦挑戦者決定トーナメントから2局挙げられればと。

 まずはベスト8での村田顕弘六段戦です。あの一局はじっくり見ていましたが、この一局は村田システムが炸裂して、さらに藤井八冠の持ち時間も短かった。形勢がひっくり返ることはないのではと思っていたのですが、1分将棋の中で藤井さんが〈6四銀〉と上がったのが、素晴らしい手だったなと思います」

――その「素晴らしい手」とは、どういった点に感じましたか?

「端的に表現すると〈逆転するためにはこの手しかない〉という勝負に出た点です。おそらくAIでは最善手にならない……正解手を指されたら負けの手ですが、村田さんの立場で考えると、瞬時に急所が見えなくなる手なんです。具体的に言えば自陣と敵玉、両方を見なくてはいけない局面に村田さんがなった。そこから最後に逆転が起きました。

 藤井さんが提示した局面においての正解手。それは〈金を最初に手放す〉というものです。だけど、人間的な感覚だと〈金はとどめに残せ〉というセオリーがある。それに反する手を指さなくてはいけない局面を、村田さんとしては突きつけられた感覚だったのではないでしょうか。〈6四銀〉という手がなかったら、今年度の藤井さんの八冠達成はなかったはずです」

実力なのですが、神がかったものもあるなと

――ただその逆転劇に至るまで、村田システムが藤井八冠を苦しめた側面は見逃せない、とも。

「はい。村田さんの素晴らしい戦いぶりだったことは、強調してお伝えしたいです。正直に言えば藤井さんは99%ぐらい負けだったと思うんですけど、そこから〈1%〉を引き当てるのが……実力といえば実力なのですが、神がかったものもあるなとも思います」

――それだけしびれる逆転劇ののち、準決勝の羽生善治九段戦、挑戦者決定戦の豊島将之九段戦も勝ち上がりました。

「豊島九段との挑戦者決定戦もすごい将棋でした。途中は先手の藤井さんが抜け出すかとみられたけど豊島さんも追いすがり、最終盤は混沌として……最善手ではないような手の応酬となった。1分将棋ならではの展開でしたが、その中で本当に驚いたのが藤井さんの〈3三歩〉という手です」

豊島戦の最終盤で「すごいなと震えた」理由

――135手目ですね。

「評価値的に言えば最善手は逃して、ほぼ差のない形勢になりました。ただ、だからと言って悪い手と断定はできない。では、なぜ驚いたかを端的に言うと、怖くて指さない手だから。〈もう一手指さないと価値がない手〉を、自玉が危険に見えて、なおかつ1分将棋の中で藤井さんは選んだんです。

 あの局面で〈3三歩〉と指すと、直後に自玉が攻め込まれることが確定する。だから普通なら遠くから角を打つなどの攻防手を考えます。でもそれをしなかったということは……藤井さんは短時間で、自玉に対する攻撃がギリギリ見切れると判断しているんです」

――攻撃を見切れるとした判断の根拠は、どう推測されるのでしょうか。

「玉自体はかなり追い込まれた形に見える一方で、間隙を縫って反撃できるからです。具体的に言うと、歩を打ったことで3筋にある桂馬を取れる。さらに活用できていなかった龍を引けるのですが、その〈次の狙い〉までのイメージが脳内にあるかが重要です。龍を引くまで2手かかる。それでも……どうぞ、とばかりに手を渡したのは決断力の高さを感じました」

――1分以内に数多ある手を読んだ上に、そんな果敢な決断ができるものなのでしょうか。

「持ち時間があれば〈これで見切れるかな〉と考慮できますが、そんな状況ではないです(苦笑)。だから先ほど挙げた角のように〈自陣に利かせて、敵陣にも攻めに使う〉手を考えるのですが、それは誰でも思いつくものです。実際は最善手の方が良かったかもしれないし、後からコンピューターを見れば誰でも分かることではありますが、その上でこの手を実戦で選べるのが、すごいなと震えました」

藤井さんはハッとしたところで大胆な一手が多いんです

――藤井八冠はよく「面白い将棋を指したい」と表現しますが、通常ならそういかないだろうという発想を選べることが、非凡さの証とも言えるのでしょうか。

「藤井さんが王座戦後の会見で〈将棋は取った駒を持ち駒として使えるのが大きな特徴で、それによって中盤、終盤と局面が進んでいくにつれて複雑になっていくところが面白いのでは〉とコメントされていましたよね。中・終盤でひねり出す一手は、現時点でAI研究だけでは分からない、偶発的に出てくる金脈を見つけるようなもの。その探求に将棋の醍醐味を感じているのかもしれません。あと、藤井将棋を見ていて強く感じるのは……リスクを厭わないというか、ハッとした所に大胆な一手が多いんです」

――例えば?

「夏にもお話ししたんですが、佐々木大地七段との棋聖戦第3局の73手目です」

――藤井八冠が36分の考慮の末に〈8六玉〉とした手ですが、夏に高見さんにお話を伺った際に「コンピューターが1時間以上かけて自動で思考終了するまで、ほぼ最善手だった」と話されていたのが印象に残っています。「あの局面で、この手をこれだけの時間で指せる棋士が他にどれだけいるのだろうか」ともおっしゃっていましたが、棋士視点では、どんな点に凄みを感じたのでしょうか。

「優勢からどう勝ち切るかというところで、力を見せつけられた感覚になったんです」

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コンピューター解析して“ほぼ最善手”の凄みとは

 高見が自身のコンピューターで解析した際、藤井が36分で指した一手が“ほぼ最善手”だったことに驚きを隠すことはなかった。そのインパクトは2023年が暮れようとする今も、高い解像度で残っている。棋士視点で感じた凄みを掘り下げて聞くと「胆力」というキーワードが出てきた。

<第2回につづく>

文=茂野聡士

photograph by Keiji Ishikawa