前十字靭帯損傷がサッカー選手にとっての致命傷だったのは、数十年前の話。スポーツ医療が発達し、近年はその大怪我からの復活も珍しいことではない。

 しかし、北海道コンサドーレ札幌に所属する31歳のMF駒井善成の復活劇は、実にレアなケースだ。さらに言えば、スポーツ界において決して小さくない意味を持つものだろう。

 関節内に位置する前十字靭帯は血流に乏しいため、基本的には自然治癒が望めない――そんな常識に反して、50%を損傷しながら手術をしない保存療法によって完治させたのである。

「20〜30%の部分断裂なら手術しないでもいけるんですけど、50%も断裂して保存療法で治ったのは、少なくともサッカー界では僕が初めてだと思います。春に公式戦に復帰してからシーズン終了までリバウンドもなかったし、痛みや違和感もなかった。トレーナーが画像を見ても『損傷したとは思えないほど完治している』と言ってもらえたので」

「走った瞬間に膝がガクンと抜けて…」

 駒井がアクシデントに見舞われたのは、2022年10月のアビスパ福岡戦のことだった。

 相手のクロスを阻もうとして伸ばした左足が相手の振り足と接触し、伸び切った状態の膝に自身の体重が乗ってしまったのだ。

「でも、違和感はあったんですけど、痛みは全然なかったんですよね。ドクターに触診してもらっても、大丈夫そうだと。それでピッチに戻ったら、走った瞬間に膝がガクンと抜けて。これはマズいかな、と思って途中交代したんです」

 もっとも、出血による腫れもなく、痛みもなかったから、この時点では自身が大怪我を負ったとは思っていなかった。

 ところが病院でMRI検査を受けると、前十字靭帯を50%損傷していることが判明する。

「前十字靭帯って、完全断裂以外は診断してみないと分からないらしいんです。ちょっと捻ったかな、くらいに思っていて。ただ、50%の断裂だと言われて、これは手術かなって」

 そう覚悟した駒井は、しかし、チームドクターの鈴木智之から意外な言葉をかけられた。

「手術しないで、保存療法でいけるかもしれないよって言うんです」

 その理由として、腫れも痛みもない状態だったことと、膝のズレの左右差が4mmだったことが挙げられる。この数値が5mm以上なら手術しなければならないという目安になる。

 アスリートなら誰でも、体にメスを入れる行為は避けたいものだろう。負傷前と変わらない状態に戻る可能性もゼロではないが、違和感が残る可能性は否定できない。

 一般人が日常生活を送るぶんには支障のない違和感であっても、繊細なテクニックを武器とするアスリートにとっては、ストレスとなってもおかしくない。実際、駒井自身も19年に右膝半月板損傷によって手術を経験した際には、膝の可動域の狭まりを感じている。

 前十字靭帯を損傷した場合で言えば、膝裏の腱や太腿の腱など別の箇所から靭帯の代替となる腱を移植するため、負傷前と完全に同じ状態には戻りようがない。

「だから、手術しないで済むなら嬉しいですけど、正直、不安のほうが大きかったですね。保存療法で本来のパフォーマンスを出せるようになるのか分からなかったし、前十字靭帯を50%損傷して手術をしないなんて聞いたことがなかったので。それで、ひとまず1週間様子を見ることになったんです」

元チームメイト加賀の助言

 検査を終えた駒井は、何人かに診断結果を伝えた。

 そのうちのひとりに、ブラウブリッツ秋田に所属する加賀健一がいた。

 浦和レッズで駒井とチームメイトだった加賀は21年に前十字靭帯断裂を経験しており、駒井が負傷交代したあとに心配して連絡をくれていたのだ。

「『切れてました』って報告したら、加賀くんから『佐藤さんのところに行ってみたら? 佐藤さんならなんとかしてくれると思うよ』と提案されて。『確かに、佐藤さんなら』って」

 佐藤とは、アスレチックトレーナーの佐藤義人のことだ。ラグビーファンなら、名前をご存知かもしれない。神業とも言われる独自の施術によって短期間で負傷者を復帰させることから、付いた呼び名はゴッドハンド――。

 2015年のラグビーW杯では日本代表チームに帯同し、歴史的3勝と、出場国で唯一の離脱者ゼロという記録を支えたトレーナーであり、堀江翔太や松田力也など、佐藤と個人契約を結ぶラグビー日本代表選手も少なくない。

 実は駒井も19年の右膝半月板損傷の際、佐藤の世話になったことがあった。ただし、3日間だけだったのだが。

「佐藤さんのリハビリメニューが地獄のようにキツくて、これは耐えられへん、もう無理やなと思って、そのときは3日で通わなくなってしまって(苦笑)」

 だが、意を決して佐藤に連絡し、京都にある治療院へと向かった。

「絶対にアイシングはしないように」

「チームドクターの提案で『1週間様子を見ることになった』と伝えたら、『じゃあ、1週間、僕の言うとおりにしてください』って。それでワットバイクというトレーニングバイクをメニュー通りに漕ぐように、たとえ腫れても絶対にアイシングはしないように、と指示されて」

 患部を冷やすアイシングは炎症を最小限に抑え、痛みを緩和させるというのが定説だが、佐藤の治療では原則として行われない。冷やせば、筋肉は硬くなる。炎症の悪化は防げる反面、血液の循環を滞らせてしまうからだ。

 前十字靭帯は関節内にあって血流に乏しいものの、毛細血管は通っている。血流を良くすれば必ず自然治癒できる、というのが佐藤の考えだった。

 札幌に戻った駒井はまずワットバイクが置いてあるスポーツジムを探し、佐藤の指示したメニュー通り、ひたすらバイクを漕いだ。

 そして1週間後、再びMRI検査を受けると……。

「数値を測ったらちょっと良くなっていたんです。少しだけですけど1週間で早くも効果が出たし、自分のフィーリングも良くて。それで札幌のトレーナーに引き続き、佐藤さんを信じて挑戦したいって伝えたんです」

 佐藤からは「2カ月チャレンジしてみたほうがいい」と言われていた。前十字靭帯がくっつくまでにはそれだけの時間を要する。もし2カ月経ってくっついていなかったら、そのときに手術をすればいい。

「リハビリで培った筋肉は手術したあとでもすぐに戻る。手術をしてからリハビリをしても、リハビリをしてから手術をしても変わらない。それだったら先にリハビリをして自然治癒の可能性を探ったほうがいいって佐藤さんは言うんです。それを札幌のトレーナーに伝えたら、『善成が望むなら、そうしてみよう』と理解してくれて」

 そこからは札幌と佐藤の治療院がある京都を行き来する日々を送った。

 佐藤の治療院は決して訪ねやすい場所にあったわけではない。駒井は治療のたびに新千歳空港から飛行機で伊丹空港まで飛び、バスで京都駅に出て、電車で妻の実家の最寄り駅まで行き、車を借りて40分ほど走らせた。

「2週間に一回のペースで通いました。でも、それでも佐藤さんには優先して診てもらえたと思うんです。アスリートから高校生やおじいさん、おばあさんまで施術を受けにきていて、予約が取れないことで有名な方なので」

 クラブも協力的で、ワットバイクを購入してクラブハウスに置いてくれた。

 22年は11月末にカタールW杯が開幕するため、リーグ戦は11月上旬に終わった。チームがオフに入ったため、駒井はクラブハウスでひとり黙々とバイクを漕ぎ、スクワットなど佐藤に指示されたメニューをこなした。

「バイクを漕いだり、スクワットをすることで筋肉痛を起こすと、周りの筋肉補強にもなるし、脳から『この筋肉痛を治せ』っていう信号を送ることで血液がそこに集中して、負傷箇所の治癒力を促進させていくようで、理に適っているなって。トレーニングしたあとは足がガクガクで立てないくらいなんですけど、血液が流れ込んでいるのを自分でも感じられて」

 駒井が佐藤の治療法を信じたのは、ラグビーの日本代表選手をはじめとする数々の治療実績だけが理由ではない。他でもない佐藤自身がビーチサッカー日本代表選手として活躍していた頃に、前十字靭帯断裂、半月板損傷、骨挫傷、内側側副靱帯断裂の大怪我を同時に負いながら、数日後には自転車を漕ぎ始め、治癒したというのだ。

「普通だったら全治10カ月くらいの大怪我なんですけど、5カ月で復帰したらしいです。信じられないですよね。自分が一番の実験台なんです」

 26歳だった3年前の駒井はあまりの辛さに3日で逃げ出してしまったが、30歳となった駒井は歯を食いしばって佐藤のリハビリに取り組んだ。

「やるんやったら出し切って、それでダメなら仕方ないなって。中途半端にやってダメだったら後悔するなって。悔いだけは残したくなかったんで。朝からひとりでバイクを漕いでいて、サボりたくなりましたよ。今日はやりたくないな、と思った日も何回もありました。でも、佐藤さんのところに行けばサボったのはバレますし。逃げ出せなかったです」

 そして、2カ月後――。

「画像を見たら成果がすごく出ていて、札幌のトレーナーも『めちゃめちゃいいね』って言ってくれて」

 受傷から5カ月が経った23年3月23日、駒井はチーム練習に合流し、フルメニューを消化する。

「切り返しのところは怖さがあったんですけど、徐々に気にならなくなった。膝のリバウンドや痛みはまったくなく、怖さなくやれました。ボールフィーリングはまだまだでしたけど、特別悪くなかった。右膝の半月板を手術したときは、捻りのところですごく嫌な感じがあったんですけど、今回は大丈夫でした」

 4月15日の浦和レッズ戦で途中出場して公式戦復帰を果たした駒井はその後、累積警告で出場停止となった1試合を除き、25試合すべてに先発出場を飾り、ゼロトップ、シャドー、ボランチと複数のポジションをこなすなどフル稼働でシーズンを駆け抜けたのである。

「手術しなくても治す選択肢がある」

 1年3カ月前に負った大怪我と治療法について、駒井が今あらためて話をするのには理由がある。

「復帰してから、再び前十字を損傷してしまったり、リバウンドが出ることなくシーズンを完走して大丈夫だったから、証明できたかなって。手術をしなくても治す選択肢があるんだってことを伝えたいですね。やっぱり、苦しんでいる仲間の姿もたくさん見てきたので」

 アスリートには怪我はつきものだ。だからこそ受傷後の選択肢は多いほうがいい。

 もちろん、前十字靭帯損傷に対する保存療法の適用は、損傷の程度にもよるし、選手の性格による向き不向きもある。腫れや痛みが出なかった駒井のケースは恵まれていたのかもしれないが、大事な膝にメスを入れずに治せるという成功例の一つであることは確かだろう。

 黙々とリハビリに励んだ駒井の姿は、札幌の若い選手たちの手本となったに違いない。そして前十字靭帯損傷を乗り越えた駒井自身は、今が一番いい状態で、まだまだ成長できることを実感している。

文=飯尾篤史

photograph by Atsushi Iio