どれだけ悪条件が襲ってきても、王者は平気だった。

 1月13日に国立競技場で行われた第60回ラグビー大学選手権決勝。帝京大学は34-15で明治大学を破り、3年連続12回目の優勝を飾った。

 午後3時19分という異例に遅い時間のキックオフ。試合開始と同時に降り出した雨。さらに雷の接近による試合中断は55分間にも及んだ。雷が遠ざかり、試合が再開されると急激に気温が低下し、今度は吹雪……そんな、めまぐるしく変わる悪条件の中でも、帝京大の強さは少しも揺るがなかった。

 逆境を克服した原動力はプラス思考だった。江良颯主将が明かす。

「プレー面では、ボールが雨で滑りやすいことは経験があったけれど、雷で中断されたのは初めての経験で、このあとどうギアを上げていったら良いか考えていたのですが、岩出(雅之)先生が『このメンバーで一緒に過ごせる時間が60分延びたってことや、嬉しいことやないか!』と言って下さって。『そう考えればいいんだ、この仲間と一緒にラグビーできる楽しみをかみしめながらプレーしよう』と考えました」

「不合理なレフリング」にも動じなかったワケ

 逆境に強かったのは決勝だけではない。準決勝の天理大戦では後半19分、アシスタントレフリーが「タッチラインを踏んだ」と判定してトライが認められなかったプレーが、直後に場内のモニターで再生され、実際は踏んでいなかった(本当ならトライだった)ことが判明。その後も相手の危険なタックルに見えたプレーが流されたり、相手ゴール前のスクラムで相手が反則を繰り返してもペナルティートライやシンビンが科されないなど、ストレスを溜めこんでもおかしくないようなレフリングが続いたが、やはり動じず、冷静に戦い抜いて勝利した。

「何を言ってもレフリーの言うことが正解ですし、レフリーさんがいるから僕らは試合ができる。レフリーへのリスペクトを忘れないで試合に臨んでいます」

 江良は試合後の会見で振り返った。その真意をミックスゾーンで再度聞く。

「1年を通して、練習では学生レフリーに、常に相手寄りのレフリングをしてもらって、それでストレスを溜めないように習慣づけてきました。高校(大阪桐蔭)時代はそんなことまで考えたことがなかったので、帝京に来てその練習をしたときは『そこまでやるんや……』と驚きました」

 江良は大阪桐蔭2年のとき、大阪・花園ラグビー場で行われる全国高校ラグビーで初優勝を飾り、同期のNO8奥井章仁とともに高2で高校日本代表に選ばれた。高3では奥井が主将を、江良は副将を務め、全国大会ではベスト8。そして江良と奥井は揃って帝京大に進学。ともに1年からレギュラーポジションを獲得し、2年からは対抗戦、大学選手権連覇の原動力になってきた。

 そして迎えた2人の大学ラストシーズン、帝京大3連覇へ向け、注目された主将の座を託されたのは奥井ではなく江良だった。

 江良は振り返る。

「僕たちの学年は大学に入ったときからコロナが流行っていて、チームが分けられることが多くて、A・Bの部員とC・D以下の部員は完全に分かれて活動することが多くて、絡むことがなかった。同じ4年生でも、これまでともに歩んできたという感覚がなかったんです」

 A・Bとは試合に備えるメンバー、C・Dとはそこに上がるために力をつけようとする部員たち。だが、選手層の厚い帝京大で上に上がるのは容易なことではない。C・Dの部員に意見を聞いた江良は『(A・Bの選手には)近寄りづらいところがある』と言われたという。

 江良は「日本一になるためにはC・Dの選手たちの支えが絶対に必要だし、C・Dの思いを知らないとA・Bの部員もジャージーを着て戦うことはできない。4年生全体がひとつになるためにまとめていきたい。自分の考えを変えていきたい」とプレゼンした。

江良と奥井…「2人のキャプテン候補」の行方

 一方の奥井は、高校時代からの「キャプテンキャラ」を持ち続けていた。

 先頭に立ってチームを鼓舞し、引っ張り、目を配り、時には厳しい言葉も発する。相馬朋和監督は「奥井は下級生の時から、キャプテンになるつもりで行動してきたと思います」と話す。

「最終的には2人のどちらかが我慢するんじゃなく、2人が納得してくれれば良いと思っていました。どちらも素晴らしいリーダーだし、どちらにも良い部分と足りない部分がある。その意味ではどちらがキャプテンになっても正解だと思って、4年生の話し合いを聞いていました」

 相馬監督も、当初は奥井が主将に選ばれると予想していたそうだ。だが、4年生の話し合いを聞いているうちに違う思いが湧いてきたという。

「奥井はこれまでバイス(副将)をやったことがないし、江良はキャプテンをやったことがない。その意味では新しい役目に就いた方がどちらも成長するのかな? ということも岩出先生と話しながら聞いていました。最終的には、江良主将という結論を奥井が納得してくれたのが大きかったと思います」

 では奥井は、どのように納得したのだろう。決勝を控えた百草グラウンドで奥井に聞いた。

「江良も僕もお互いに、チームのために身体を張りたいという気持ちは同じでした。チームカラーとして、スクラムでも常に一番前で身体を張る江良がキャプテンの方がいいと思いました。自分はキャプテンじゃなくてもチームを引っ張ることができると思ったし、話を聞いて考えていることは同じだと思ったし」

 2人にはキャラの違いがあった。奥井は「江良の方がユーモアがあって、考え方が柔軟。僕はどっちかというと生真面目で、インドアのタイプ。江良は幅広くチーム全体を見渡すことができて、僕は目の前のことに集中するタイプ。今年のチームには、江良の持っている周りへの影響力が必要だと思った」と分析した。

「明るい天才肌」の江良と「責任感の強い」奥井

 あえて形容するなら「陽性で天才肌」の江良と「責任感の強いリアリスト」奥井、だろうか。その意味で、より伸びしろがあったのが江良だった。何より、奥井がそう理解したことが大きかったのだろう。

「江良とは高校大学と7年間ずっと一緒のチームで切磋琢磨してきて、いいライバルでもあり何でも言い合える仲です。去年まではちょっとしたケガで練習を休むときもあったけど、4年生になってからはコンディションが悪いときでも常にグラウンドに立って、いろいろなところへ気を配っていた。ラグビーの面はもちろん、そういうところでも1人の男として信頼できると思うし、帝京というチームが成長する上で大きな影響力があったと思う」

 昨年8月の菅平夏合宿、大学選手権決勝でも対戦することとなる明大とのオープン戦を控えた前日、江良は体調を崩した。以前の江良なら試合出場を見送ったかもしれない。だが江良は志願して出場。2トライ1アシストの活躍で帝京大を38−21の勝利に導くと、胸を張って話した。

「明治とは春季大会が大雨で中止になってできなくて、今日が今シーズンの大一番だなと思ったし、その大一番にキャプテンが抜けたらチームが成り立たない。キャプテンは常にグラウンドに立ち続けなきゃいけない。今日はそれができました」

 選ぶ段階での能力だけを見たら、奥井の方が優れたキャプテンシーを持っていたかもしれない。それは奥井が高校時代から磨き、完成度を高めてきたものだ。

 対して江良のキャプテンシーは未開拓の分野だった。成長は約束されたものではなかったかもしれないが、江良のキャプテンとしての成長、そしてバイスという初めての役目を得た奥井の成長は、そのまま帝京大の成長になった――そこは効率的で安全な実績主義よりも、未知の可能性に期待する、あえていえばロマンチックな価値観が覗く。

 それはたとえば、こんなエピソードも生んだ。

「今季の帝京大にピンチはありましたか?」と聞かれた相馬監督は「食事の時間のルールに関して、ちょっと揉めたんです」と明かした。

 寮の食堂には朝食、昼食、夕食について、何時何分までに食堂に入って食べ始め、何時何分までに食べ終えて退出しなければいけないというルールがある。一方で「自分は速く食べられるから入室時間はもっと遅く入りたい」という部員もいた。そんな意見を「ルールはルールだ」と退けるのは簡単だろうが、帝京大ラグビー部のリーダーたちはそうしなかった。

 食事に時間をかけたくない部員の考えを聞くと、朝食前には睡眠時間を、夕食前には練習後の体のケアやウエートトレーニングにもう少し時間を使いたいなどの希望が聞かれた。リーダーたちはできるだけその意思を尊重しようとした。話し合いが重ねられたが、結局、明確な結論は出されなかったという。

 相馬監督は「ルールありきではなく、自分たちは何を目的にしているかを考えよう。ルールよりも規律の高い集団にしていこうということです」と話した。

「グレーゾーンを残した」…?

「グレーゾーンを残したのですね?」と問うと相馬監督は笑った。

「余白を、もしくは行間を読もう、と言うことです。グレーゾーンっていうとイメージ悪いじゃないですか(笑)」

 余白、行間――良い言葉だと思った。

 正しいことはひとつではない。それは実際のラグビーのゲームでも同じだろう。個々のプレーがルールの文言に合致しているかどうかを検証する時間はない。大事なのはそもそものルールはなぜ存在するかであり、それは現実にはどう運用されるのかを理解すること。それらは時にはまったく矛盾していたりするのだが、それを問いただす時間もない。必要なのはどんなときでも速やかに行動することだ。

 雷で試合が中断されても、吹雪が吹き荒れても、微妙な判定が続いても揺るがなかったレジリエンス=復元力は、そうして培われたチームの文化に支えられていたのだ。

文=大友信彦

photograph by JIJI PRESS