アンジェ・ポステコグルーは横浜F・マリノスをどう変革し、日本のサッカー界に何を残したのか。トッテナム・ホットスパーの監督としてプレミアリーグで活躍する名将の素顔を、選手、コーチ、そして経営者の証言によって掘り下げていく。最終回は、F・マリノスの黒澤良二前社長が登場。フットボールをこよなく愛する社長と情熱的な指揮官は、いかにして理想を現実化したのか。出会いから旅立ちまでの軌跡を辿った。(全3回の3回目/#1、#2へ)※文中敬称略

ポステコグルーを快く送り出した理由

 もしこの人がトップでなかったら、プレミアで注目される指揮官になるまでにもっと時間が掛かっていたかもしれない。いや、それ以前に、「ボス」ことアンジェ・ポステコグルーがこの舞台にまでたどりついていなかった可能性だってある。

「スパーズの監督就任が決まった際に嬉しくなって、メールで“Congratulations!”と送ったら、アンジェからも返信が来たんですよ。もちろんセルティックでの功績が認められたからなんですけど、その礎を築いたのが横浜F・マリノスという誇りが我々のなかにはあります」

 黒澤良二は横浜F・マリノスの社長としてポステコグルー体制を後押しして、2019年に15年ぶりとなるリーグ優勝を達成。アタッキングフットボールをクラブ全体のスローガンとして浸透させた。さらに同路線を継続すべくケヴィン・マスカットを招聘、優勝を遂げた2022年シーズンを最後に退任している。

 社長時代に大きな決断を迫られたのが、2021年の6月だった。ポステコグルーに対してスコットランドの名門セルティックからオファーが届き、双方合意のうえでの退任がアナウンスされた。シーズン途中に現場トップが引き抜かれるとなれば、チームに混乱が起こってもおかしくなく、契約を盾に突っぱねることもできた。だが彼はそうしなかった。

「あの中村俊輔選手がプレーした有名なクラブから正式なオファーを受けて、アンジェ自身もスコットランドに行くことを熱望していました。彼の人生を考えたら止める理由はないと思ったし、セルティックからJクラブの監督に声が掛かっただけでも凄いこと。F・マリノスの価値をさらに引き上げることにつながるなと感じました。実際にそのようになったのではないでしょうか」

 横浜を離れる際、ボスに感謝を伝え、ボスからも感謝を伝えられた。どちらからともなく「お互いに良い仕事をした」と声を掛け合い、がっちりと握手を交わした。

「クビにしてもらっていい」本音で言い合った社長と監督

 クラブの社長と、現場の監督。

 2人の思いが合致すれば、当然ながら様々なことがスムーズに運びやすくなる。

 ポステコグルーを招聘した古川宏一郎に代わり、黒澤は2018年7月30日付で社長に就任。シーズン途中、それも残留争いが現実味を帯びていたころだった。元々サッカーマニアとして社内で知られた存在。バルセロナにある日産モトール・イベリカ時代には、カンプノウでホームゲームがあれば決まって観戦に訪れていた。

 ボスと最初に会って話をしたときから、「この人に賭けてみたい」という思いが膨らんだという。

「1974年のワールドカップの話をして、ヨハン・クライフが私のヒーローなんだと伝えたら彼もそうでした。そういった昔のワールドカップのことで盛り上がってからF・マリノスの話になり、優勝してクラブの価値を上げたいと伝えたんです。それも人々が見ていてワクワクするようなサッカーで。彼は“信頼してほしい。任せてくれ”と言ってくれましたね」

 時間があれば新横浜の練習場に通い、トレーニングを視察した。ボスとは2人で定期的にコミュニケーションを取った。監督との距離が近いことをチーム内にあえて示す意味もあったという。

「2018年シーズンはなかなか勝てませんでしたから。チームとしてはあまりよくない状態だった。だから練習場で私のほうから監督に近づいていけば、全面的にサポートしていることが伝わるじゃないですか。現場を知ることが大切という自分のポリシーに加え、単純にサッカーが好きだから見ておきたいというのも、もちろんあったんですけど」

 何でも話せる関係性。ボスから補強の要望を直接聞いたこともあれば、黒澤も試合に対する感想を伝えたこともある。「もっと守備の練習をしてみたら」と口にして「あんまり言うならクビにしてもらっていい」と不機嫌にさせてしまったこともある。ただ裏を返せば、それほどお互い腹蔵なく意見を言い合えた。

「アンジェはサッカーに対して情熱のない日なんてなくて、試合に負けて一睡もしなかったこともあったと本人から聞いたことがあります。アウェイゲームで新幹線移動する際も、パソコンを2つ用意してずっと映像を見ているんですよね。常にパッションが滲み出ていました」

 日々のボスを眺めていれば、余計な口出しは無用だと感じた。心の底からボスを信頼していた。

 グローバルパートナーシップを結ぶCFG(シティ・フットボール・グループ)とF・マリノスのFootball Strategy(将来の方向性)を議論する際には、ボスからも協力を得ている。クラブのインフラやアカデミーなど自分の考えをまとめてくれた。それが随分と役立った。銀行で働いていた経験もあり、慣れたものだなと感心させられた。

自信を失った選手に「大丈夫、アイツはウォリアーだ」

 2018年シーズン途中からチアゴ・マルチンス、畠中槙之輔らボスの戦術と照らし合わせながら補強が進められ、2019年シーズンになるとマルコス・ジュニオール、エジガル・ジュニオ、朴一圭(パク・イルギュ)、ティーラトンらも入ってくる。夏の移籍期間にはエリキ、マテウスも獲得。ボスの意を汲み、クラブも積極的に動いた。CFGのネットワークにも随分と助けられた。

「アンジェは常にチーム統括と強化に対する話はしていて、最終的に僕のところに話がやってくる。アンジェは我々の予算が限られていたことも分かっている。上昇志向のある伸びる選手を見つけてきて育てるのが本当にうまかった。もちろん僕も最後、(契約の)サインをする立場なので、どんな選手か映像で観るようにはしました」

 社長自ら補強に口を出したことはないものの、事前に自分の目で確認しておく作業は怠らなかった。黒澤のこういった姿勢に、ボスも信頼を深めたことは言うまでもない。

 忘れられないエピソードがある。

 ヴィッセル神戸から獲得したタイ代表のティーラトンは“偽サイドバック”という特殊な任務に当初は戸惑いを隠せず、自信を失っていくように黒澤の目には映っていた。

「そのことをアンジェに伝えたら“大丈夫、任せろ。アイツはウォリアー(戦士)だ”と。ずっと使い続けていくなかで、コーチ陣の尽力もあって練習からどんどん良くなって、自信が出てきた。アンジェ自身があきらめなかったし、ダメだから次、みたいな考えが彼にはまったくなかった。そこが凄いところだと思います」

 かくして個々の才を引き上げて、陣容がそろったアタッキングフットボールは見事にハマり、前年残留争いに巻き込まれたチームが優勝争いに食い込んでいく。バンバン得点を取る一方で、アグレッシブかつコンパクトな守備によって前年のような失点もグッと減っていく。ボスと最初に話をした「見ていてワクワクするサッカー」が、そこにはあった。

忘れられない「We did it together」

 2019年シーズン、黒澤にとって印象的な試合はいくつもあった。なかでも特にインパクトが強かったのは、勝って優勝に王手を掛けることになる11月30日のアウェイ、川崎フロンターレ戦だという。2連覇中のディフェンディングチャンピオンを4-1で粉砕した一戦だ。

「見ていて、本当にワクワクし感動しました。特に2点目と3点目ですかね。2点目は右サイドからマツケン(松原健)が中に入ってパスを受けて、そこからのスルーパスがエリキに通って右隅に流し込んで。3点目は大津(祐樹)のスルーパスを、テル(仲川輝人)がダイレクトで折り返し、さらにダイレクトでエリキが決めた! パスがポンポンポンって、凄くきれいで……。アタッキングフットボールで、あのフロンターレを打ち負かせたわけですから」

 12月7日の最終節はホームの日産スタジアムに2位FC東京を迎え、これも3-0と圧倒して15年ぶりとなるJ1制覇を果たした。この大事な試合で先制点を挙げたのが、シーズン序盤は戸惑いながらプレーしていたティーラトンだった。

「優勝した瞬間、もちろん嬉しかったんですよ。ただ(栗原)勇蔵の引退セレモニーもありましたから、まだそこまで喜べなかったというか。試合後、アンジェに会ったときに、“We did it together”(我々は一緒にやり遂げた)と言ってハグしてくれたんですよ。そのときはさすがに感激してしまいましたね」

 ワクワクするサッカーでチャンピオンになる――2人の理想が実現した瞬間だった。

「俺と社長でカラオケに行って、練習しておくから」

 黒澤には、ふと思い出したことがある。

 シーズンに向けた春季キャンプにおいて、社長がチームに対してスピーチする「社長講話」がクラブの伝統としてあるという。黒澤はクラブビジネス視点からの話をするのではなく、ボスの許可を取りつけてサッカーそのものを話題にした。敬愛するクライフの「クライフターン」や、ジーコ、ソクラテスらブラジル黄金のカルテット、ピーター・シュマイケルなど、自分の好きなプレーやシーンをかき集めて分析班に動画をつくってもらい、選手やスタッフの前で流している。

「先にアンジェに見せたら、苦笑いしていましたよ。でも“みんなサッカー選手だから、いいんじゃないの”と。ちょうどフレディ・マーキュリーの映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されていて、動画の最後は『We Are The Champions』で締めくくったんです。選手たちの前で流したあとに、“優勝してみんなでこれを歌おうよ”と言いました。選手たちの反応は微妙だったんですが、アンジェがそこで“俺と社長でカラオケに行って、練習しておくから”と言って、みんなを笑わせてくれたんですよね」

 優勝後はバタバタしすぎて、みんなで『We Are The Champions』を歌うことは叶わなかった。それでも、黒澤は心のなかで誇りを感じながら口ずさんでいた。ひょっとしたらボスも、そうだったかもしれない。「We did it together」と言ってくれたのだから。

「アンジェのサッカーを突き詰めてプレミア制覇を」

 ボスは2021年シーズン途中まで指揮を執り、セルティックからのオファーを受諾してF・マリノスを旅立っていった。

 黒澤がマスカットに白羽の矢を立てたのも、ボスと同じようにサッカーへの並々ならぬ情熱を感じたからであった。異なる監督で2度リーグ制覇を果たした社長はクラブ史上、初めてである。

 社長を退任してからは、一人のサポーターとしてアウェイまでF・マリノスの応援に駆けつける日々だ。もちろん、トッテナムの試合をチェックすることも欠かさない。

「F・マリノスのときと同じような失点だったり、負け方だったり、点をいっぱい取って勝ったり……。僕も当時を思い出しながら観ています。Jリーグとプレミアではレベルが違うとしても、やっぱりF・マリノスでの経験が活きているんじゃないかな、と。彼は昔、言っていました。“勝つためにはこのやり方が一番なんだ”と。面白くてワクワクするアンジェのサッカーを突き詰めて、プレミアを制してほしいと思っています。そのときに“F・マリノスでの成功体験が礎になった”みたいなコメントが出てきたら、最高なんですけどね(笑)」

 間近で接してきた一人としてボスにも、このサッカーにもまだまだ無限大の可能性を感じている。その先にはきっと栄光が待っている。黒澤はワクワクしながら、その日が来ることを心待ちにしている。

<#1、#2とあわせてお読みください>

文=二宮寿朗

photograph by Getty Images/Kiichi Matsumoto